いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

人権擁護法案擁護論への疑問1

2005年03月17日 22時27分16秒 | 法関係
幾つか不安に思うことがあると以前に書いたのだが、もう少し書いてみたい。これは、行政庁の持つ仕組みやシステムといったものが、本当に「条文通り」機能するのか、という信頼性の問題でもある。まだ作られてもいない法案や組織について、いくら不安だからといって反対する理由にならない、と言われればそれまでかもしれない。しかし、法律とは一度作られてしまうと、それを改めることは容易ではないし、その法律に基づいて省令なりを附与されてしまえば、これまた改善させることは甚だ困難だと思っている。それに行政庁の下す判断や決定というのは、相当の重みがあり、これに抵抗できる権力は、一般国民には「司法」以外に持ち得ない。


国会議員の選出によっても、権力への対抗が可能とか、行政府の統治が可能とか、そういう考えは有り得るであろうが、本気でそう考えている人間など存在するのだろうか。およそ絵空事としか思えない。衆愚の目を欺いたり、大衆誘導を図ることの方が容易であり、今までも現にそういう方法によって政治が行われてきただろうし、それを選択したのは国民が愚かだったからだ、という結論を持っているのではなかろうか。

今までにも何度も書いてきた。法律は条文に正しいことが書いてあるからといって、それを担保するものではない。法律がいかに正しかろうとも、法の専門家や行政担当者達が、そろって愚かで特定権力になびいてしまえば、誰も変える事も改めさせることも出来ない。それが、行政の正体であり、行政組織の法の運用である。


以前書いた記事です。参考に読んでみて下さい。
人権擁護法案とネット言論
法と正義 1
法と正義 2
会計検査院の仕事4


1)組織独立性と法の恣意的運用

法務省の外局という構想であり、これが内閣府であろうがあまり違いはないように思う。
現在私が行政機関で最も独立性が確保されていると思っているのは、会計検査院です。これは、憲法で規定されている唯一の独立的行政組織だからです。その独立性について考えてみたいと思います。

会計検査院は、検査官3人(会計検査院長は互選)で、国会の同意を得て内閣が任命する(天皇が認証する)。閉会中などでは、任命後両院の承認が必要である。検査官会議で重要事項の決定を行い、その指揮下に事務総局があって、ここに検査院職員は所属し、検査官の合議により院長が任命するが、この権限は事務総長に委任できる為、一般には事務総長が実質的な人事権を発揮できるだろう(単なる推測ですが)。

当然会計検査院は、全ての省庁の検査権限を有しているし、その権限は強力であるはずだ。基本的に検査拒否できるという事由は存在しない。ところが、警察の裏金事件を見て明らかなように、必要書類を提出しなかったり、検査官の質問に答えなかったりできるのである。これは何故か。会計検査院法の条文に規定されているにも関わらず、その権限は正しく行使出来ない。刑事罰のような罰を与えることができないからである。本来「強制力がない」というのはウソだと思う。会計検査院法第26条規定は、検査忌避などできるような条文ではないが、拒否した人に「厳罰」を与えない、というだけである。隠せば当然26条違反になるのである。そして、これに違反すれば当然31条第2項規定に基づいて懲戒処分を要求しなければならないはずなのである。

また、会計検査院法第27条も33条も守られてはいない。領収書偽造事件が裁判の認定によって確定しているにもかかわらず、当然の如く会計検査院に直ちに報告されてはいない。領収書偽造は「犯罪ではない」という判断が、警察庁の判断だ、ということだ。そんな法的判断や解釈があるなら、是非講釈して欲しいものだ。どれ程立派な解説をされても、一般人が偽造したら犯罪として認定されるだろう。ところが、省庁は違う、ということだ。33条規定についても、検査院長の国会答弁では、「捜査機関ではないから、実質的に無理だ」ということである。ならば、条文そのものがいらない、って話だろう。検査した結果、かなりの確度で犯罪があるかもしれない、と考えれば検察に通告義務があるというのに、勿論通告したりはしない。「犯罪」と認定するのは難しいからだ、という理由でだ。捜査の端緒となすに決っているこの33条規定を守れないのは、省庁の顔色を伺うしかないからである。

これが恣意的運用と言わずして、何と言う?もしも、納得のいく説明が出来る人がいたら教えて欲しい。
法律の条文とは、このように適用するかしないか、又は、運用者が法の趣旨を正しく判断して運用するかしないか、の違いだけである。書いてあることがどれ程正しくとも、到底行政を信用できるものではない。国会議員も追及の仕方が間違えているが、議員さんが国会で一言くらい突っ込んでみたところで、官僚達や行政職員や検査官達は、考え方を改めたり間違いを認めたりは簡単にはしない、ということだ。

さらに、会計検査院は検査官会議によって決定すべき事項が殆どである。しかし、第34条規定は、検査官会議を経なくともよい事項となっているが、今までこれに基づいて改善措置をとらせたり、意見表示、処置の要求などをしたことは多分ないだろう(検査現場に立ち会ったことがないので推測です)。条文には『直ちに』できることになっているが、現実は違う。条文は、間違っていなくとも、適用が違えば何の意味もなさないのである。いちいち省庁にお伺いを立てて、返答を待ってから検査報告を提出するのだ。これの何処が独立性が確保されているのか聞いてみたい。形の上では独立しているが、実質的に権限行使段階では独立などしていない。検査官は厳密な立場だが、現場の働き手は寄せ集め軍団だからなのかもしれない。それと、法律家に言わせれば、「『直ちに』とは、いつでもよい」と答える(解釈の権限は行政庁にあるから)だろうが、一般国民に制限を加える時には「今すぐに、緊急に」という日本語になり(これも適用する権限は行政庁にあるから、好きなときでいい)、行政庁が行う時には「自分達に都合のよい、『直ちに』でいい」というのが実際の運用の仕方である。だから法律の条文は、何が書いてあっても、たとえ同じ日本語が書いてあっても、簡単に信じることはできない。


独立性が本当に確保されているならば、どこの省庁だろうが適切に検査して、改善命令を出し、検察に通告するものは通告しなければならないだろう。検査途中であっても、検査官会議を経る前に意見表示し、改善要求できるだろう。およそ恣意的に運用されている条文は多いと思うが。それに、独立性が発揮されているとも言えないと思うが。こうした、行政への不信感を払拭できる、十分な理由などあるだろうか。憲法に規定される最も独立性の高いと思われる会計検査院でさえ、このありさまである。これが、法務省だか、内閣府だか知らないが、どちらに属していようが、両院の承認を受けようが、内閣が任命しようが、省庁の影響を受けたり他の公権力に影響されることがないような行政機関として機能することの保障など、何処にもないように感じる。

続きは、後で書きます。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
一筋縄ではいかないですね。 (an_accused)
2005-03-18 02:10:14
先日はコメントをいただきありがとうございました。



 “信頼性のない”制度について細々と考えておりますan_accusedでございます(笑)

 役人だけに任せても信用できないのは仰るとおりですが、当然次には「じゃあどうするんですか」という問いが待ち受けているわけですね。私は、結局のところ「民による監視」制度をどう確保するか、につきるように思っています(その意味では、司法に対する信頼は何に根拠付けられているか、という問題もありますが、それはまた後日)。

 たとえば検察審査会や付審判請求の制度を強める方向でも考えているのですが、まだ私にはうまくバランスの取れた制度が思いつきません。

 私は、15年前から大阪市の乱脈運営を告発してきた「市役所『見張り番』」の松浦代表と何度かお話ししたことがありますが、彼女は「いかに制度を有効な道具として活用できるか」ということに腐心し、だめな制度をメディアと訴訟を使って作り変える努力を続けています。また折りを見て、オンブズマンや情報公開についても書いてみようと思っています。



 まずは先日のお礼まで。では、失礼いたします。
返信する
記事を引用させて頂きました (まさくに)
2005-03-18 04:01:05
記事の方に続きを書いています。またご意見をお聞かせ下さい。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。