いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

教育を考える12~教育問題は、教育では解決できない

2007年01月24日 23時04分52秒 | 教育問題
直接講演を聞いた訳ではなく資料からだけですが、山田昌弘東京芸大教授の意見を見てみたいと思います。

中央教育審議会義務教育特別部会(第2回)議事録・配布資料

(一部抜粋)



学校が希望だった時代:

*  パイプライン・システム(ヤンミン、マイミン)
勉強努力(苦労)が報われる「確実性」があった。
受験勉強という努力 よりよいパイプ(卒業学校)に入ることができる。
卒業という努力 パイプ(卒業学校)が想定する職に就くことができる。
(職に就く - 将来、豊かな生活が送れる)


教育が希望でなくなる時代:

* パイプラインの漏れ - 学校システムの機能不全
勉強努力 (苦労)が報われるという確実性の消失 - 教育は希望でなくなる
受験努力  学校が入りやすくなる - たいした勉強をしなくても入れる
卒業努力  パイプが想定する職に就けない - どうせ使い捨て労働者になる

特に、(相対的)能力がそこそこのもの 希望を失う (「希望格差社会」)
「漏れの多いパイプに入ったもの」「パイプが合わずに漏れてしまったもの」




まず、この対比ですけれども、なるほどうまく言い表せているかな、と思います。ただ、いくつか疑問があるので、とりあえず書いてみよう。

乱暴な言い方をすれば、今は勉強の努力が報われないという不確実性があるから「頑張る気力も失せる」、ということなんでしょう。でも、今までに何度か書いてきたが、「努力」と得られる結果というのは一致するとは限らない、というのは当たり前のことなのではないだろうか?努力している人たちなんて世の中にごまんといるわけで、「オレは毎日塾に通い、頑張って勉強したのに志望校に入れなかったのはオカシイ」、とか、そういう発想そのものというかそれを認める風潮みたいなものに問題があるのではないでしょうか?どれ程努力してもオリンピック代表に選ばれない人たちは、選ばれる人よりも圧倒的に多いでしょう。そういう時、選手たちは「努力する気力が失せる」とか言ってるのでしょうか?プロ野球選手を目指していてもプロになれなかった人たちは、「野球で努力をしない方が良かった、努力が無駄になったから希望はなくなった」とか言う人たちが多いのでしょうか?

この記事を書いた時に思ったことと同じなんですよね。簡単に言うと、ある大学院生が「自分は勉強を一生懸命頑張ってきたが、勉強とか成績とかにはあまり関係ないコミュニケーション能力とかで企業採用が左右されるのは疑問だ、勉強よりもバイトや部活をたくさんやった人たちが評価され採用されるのもオカシイ」みたいな意見を出していたのだが、これと似ているのですよね。家庭とか社会なんかの、価値観の植えつけ方そのものに何らかの問題があるのではないか、という印象を受けます。それは大人たち―親や教師など―が、正しくそう考えているからで、子どもたちはそれを学んだだけなのではないのかな、と。「頑張っても無駄なんだ、会社の為に努力してきたのに切り捨てられるんだ」というような、多くの大人たち自身が希望を失ったのでしょうか。

受験努力にしても、フリーターを多く生んだ90年代後半に受験~卒業期を迎えていた世代は、同年齢人口が割りと多い世代(団塊ジュニア世代~それ以降)であり、例えば95年入学、99年卒業なら(現役であったら)今年30歳になる。この世代でも競争はそれなりにあったのではないかと思うが、どうなんでしょう。本当に受験努力のハードルを上げようと思うのであれば、入試水準を上げるべきなんじゃないでしょうか。たとえ学生数が大幅に減少したとしても。成績の低い学生しか集まらない大学は、助成金を打ち切る等によって淘汰してあげたらいかがか、というようなちょっと過激な考えも浮かんでしまいますね。それは大学側の問題なのではないだろうか、というのが率直な感想です。パイプが想定する職業に就けない、というのも、昔ありがちであった価値観―いい学校、いい大学、いい会社というレールに乗るというような幻想―に基づいているんじゃないのかな、と思えます。そういう幻想は、あくまで幻想に過ぎなかった、ということに気付いただけのようにも思えます。そういう幻想を頭から信じ込んでいたのであれば、それを否定された時、将来が見失われることもあるのかな、とは思います。それは親の教育が悪かっただけなのではないかな、とも思えます。働けば、生きていくことは可能なのですし。大企業みたいな既存システムにうまく乗れなかった人たちに必要なことは、「じゃあ、自分の力でやってみよう」という起業家的精神なのであり、昔はそういう自営業者たちはそこそこ存在していたと思います。しかし、労働者の構成を見れば、自営業者の数は大幅に減少していたと思います。

「漏れの多いパイプ」というのは、ダメな学校という意味なのでしょうか?ちょっとよく判りませんが、そんな意味なのかな、と推測しています。それとも就職率の悪い学校とか?まあ、どうでもいい大学とか専門学校は掃いて捨てるほどあると思うので、そういう学校自体に問題があるのであって、教育全体とか社会全体の問題なのか疑問ですよね。そういう進学先を選ぶ本人も、親もそのリスクを負うのは仕方がないですよね。能力がそこそこのものが希望を失いやすい、というのは、「オレの能力に見合うのは、こんな低レベルの仕事じゃないんだ」とか、「他のヤツラは要領よくやったのに、どうしてオレだけが」みたいな不条理?のような感情を抱くから、ということなのかな?これも、酷い言い方をしてしまえば、「ハイ、しょうがないです」としか言いようがないような…プロ野球のドラフトで入団した後で、芽が出ずに数年で解雇されている選手なんて、それこそかなりいますよ。2軍暮らしで明け暮れて、一度も一軍の試合に出られないまま、切られる選手は必ずいますよ。毎年新人選手を採っているのですから、その分選手生活を終わらせられる人たちは必ずいるのです。「オレはこんなもんじゃない」といくら本人が思っていようとも、野球以外の「やりたくない仕事」に就いて生きていかねばならない人たちだって必ずいるんですよ。それは自分の選んだ道で、チャレンジなのだから仕方がないのですよ。希望を失う人たちには、そういう厳しさが足りないとしか思えないんですよね。


更に引用してみたいと思います。



*絶望の二極化
親にパラサイトし、親が教育費を出し続ける - 絶望の中で学校に行き続ける
豊かでない親 - 社会から漏れていく

*義務教育の希望とは?
これだけの勉強をしたら、このレベルの職に就け、この程度の生活ができる
教育問題は、教育では解決できない 「職や生活」への見通しをつける




まず、親が教育費を出し続ける、というのは有り難い話で、これのどこが希望を失わせるのか全く不明なのですよね。絶望の中で学校に行くのはイヤならば、辞めればいいと思うのですけど。極端な話、どこかの外国にでも行って、自力で生きてみればいいのではないでしょうか。学校に行けることのありがたみがよく判るような気がするんですけど。豊かでない親の家庭であると、社会から漏れてしまう、ということであるならば、奨学金(無償、有償)、教育費貸与とか免除とかの支援制度を拡充することで対処すればいいのではないかと思えます。金がないから勉強できないとか学校に行けない、というのは、本当にそうなんでしょうか?私立中学とか何とか言っても、それは2割程度に過ぎず、残り8割は公立なんですよね?社会の大勢は公立じゃないでしょうか(笑)。私立大学にしても、中には成績上位者の学費免除とか制度はあると思うのですけど。要するに、そういった情報が届いていない部分があるのであれば、是正するべきですし、「金がなくても大学を卒業する方法はある」ということをできるだけ知ってもらえれば、と思います。

山田教授のまとめの中で、最も「アレ?」っと思ったのが、「これだけの勉強をしたら、このレベルの職に就け、この程度の生活ができる」という部分なのですよね。今の子どもたちは、利益志向で合理的に行動するのが当然だから、「どうして勉強するのか」「この勉強が何の役に立つのか」ということ(近頃のハヤリ?偶然ですけど)を納得できないと勉強しない人間になっている、ということなんですかね。これも、家庭での生活の仕方によるのではないでしょうか。親が子どもに何かの忍耐とか、厳しさを教えるということが少ないように思うのですよね。「勉強できる」そのこと自体が、とても幸せなことなのであり、価値があるのだ、ということでいいような気がするんですが。もっと何か高度な理屈を付けないと、子どもは納得できないものなんでしょうかね。よく判らないんですけど。

「これだけ勉強したら~云々」というのは、昔のような、「レール」主義(こんな言葉はないですけど)みたいに、「東大出れば、官僚か一部上場企業で安泰」「○○大だから、スーパー店員が関の山」というような感じで、「職や生活」を提示せよ、ということなんですかね。それとも、たとえ成績が悪くても、「キミは毎日2時間勉強してるから、年収は400万円まで行ける」というようなことなのでしょうか?こんなことで勉強の動機付けを行えるとは思えないのです。将来見通しは大事ですよ。でも、それは「最低限こうなる」という下支えであって、いい大学、いい会社幻想を強化することではないと思うのですけどね。


「教育問題は、教育では解決できない」

山田先生はもっとこれを広く訴えるべきではないでしょうか。この意見には全面的に賛成できるという訳ではないのですが、当たっている部分もあるな、と思えますので。教育再生会議の性急な議論にも、不安がありますし。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。