いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

ドラマ『官僚たちの夏』はサイコー!

2009年07月06日 10時56分42秒 | 俺のそれ
私好みのドラマを作っていただき、誠にありがとうございます、って感じ。

個人的傾向を言っておくと、
・『プロジェクトX』が好き派
・『三丁目の夕日』的昭和の光景を支持するぞ派
ですから(笑)。

原作は読んだことがありませんが、ドラマには期待できそうです。
官僚(佐藤)の語ったセリフに、思わず涙してしまいました…(笑)


昔から、友人や家族などからも「理屈っぽい」などと揶揄されることが多かった私ではありますが、あえて一言申し上げたい。

 「理屈はいらない」

ただひたすら、がむしゃらにやってみろ、と。
泥のようでも何でもいいので、苦しんで苦しんで兎に角やってみろ、と。

今の世の中には、理屈や説明や合理性や、そういうのを求めるのがあまりに多すぎるんです。


納得しないと仕事ができないのか、と思ったりすることとかあるかも。
そりゃ全部完璧に説明ができればいいんだろうけど、できない部分もあるんですよ、多分。これは「どうして数学を勉強しなきゃいけないんですか」みたいな質問攻撃と似ているかもしれない。いちいち答えるのが面倒というか、難しいというか、相手をうまく納得できるような説明をつけてあげることが難しいことだってあるわけなんです。

でも、仕事がこれっぽっちもできないくせに、「納得できないので、やりたくありません」とか「納得した上で仕事をしたい」とか前口上ばかりはご立派な連中がいるんです。お前の納得なんていらない、そんなもんはどうでもいいから、さっさと仕事を終わらせてくれりゃいいんだよ、仕事を仕上げた後からそういう理屈をこねることをじっくりやってくれ、みたいなもんです。


ドラマを観て思ったのは、昔はひたすら信じて、「できない」と言われていたことを実現した、ということです。そういう強い意志が日本人の中にみなぎっていた。まさに「モーレツ社員」とか、そういうがむしゃらさがあった。人々はみんな、何かに熱かった。
今の社会では、スマートさは増しているけれども、そういうひたむきな、頑固とか、信念とか、日々生きている中で「意志」というものを感じる機会がもの凄く減ったような気がするのです。


言葉は下品かもしれませんが、「なにくそ」というのが少ないように思えます。
「お前は成績が悪い、こんなんじゃダメだ」と言われりゃ、絶対に見返してやるぜと思って、なにくそ魂で頑張るとか、そういう気概が足りないのではないかな、と。

厳しい競争環境では互いに実力が拮抗していたりして、勝敗を分けるのは紙一重であったりするのではないかと思えます。最後の最後というギリギリ状況では、理屈や理論なんかに頼っても仕方ないんです。強く信じる気持ちとか、決意や意志の強さが必要になってくると思うんですよ。無闇やたらに、ただ精神論を振りかざせというのではありません。正しい考え方や理論に基づく正しい準備を行った上で、後は実現できるかどいうか、実行できるかどうかというのは、各個人や個人の集合体である組織がどういう意志で臨むかというところにかかってくるんじゃないのかな、ということです。

勿論失敗はあるでしょう。敗北が積み上げられてゆくでしょう。
けれども、それは次につながる敗戦だってあるのではありませんか?



今の時代では、屁理屈や御託ばかり言って、何一つ達成できないことが多いんですね。しかも、論理的だの、ナントカ理論だの、屁理屈をこね回す連中の多くは、間違っていることしか言わないか、自分自身がまるで何も判っていないか、批判する口だけは一丁前という輩が多すぎるんです。


そういうのには、飽き飽きしました。

もっと熱い時代を、取り戻したいのです。





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