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介護問題を考える~「時は金なり」

2007年06月15日 21時42分37秒 | 経済関連
俺キンで取り上げられてたので、ちょっと参入。

切込隊長BLOG(ブログ) 毎日新聞がコムスン問題について正しいことを書いている件

<全く関係ないけど、以前「検事の視点」というパロディのれんを出してた時があったのを思い出しましたよ(笑)。近頃のブログ界隈では、ごく普通に「検事の視点」みたいな状況とか言説といったものが散見されるみたいで…ちょっと懐かしい思い出です>


根本的な誤りは、成長分野への資金配分をわざと減らしていることであると思う。以前から何度も書いているが、国内需要は非製造業であるサービスの比重が高いので、その分野での成長というのが必要なのである。サービスのうち、人的サービスに依存する分野というのは、主として健康・医療と教育があるのであり、「成長分野の2本柱」と書いたのである。こういう分野での付加価値とは、主に「買い手の時間」のようなコストから相対的に決まってくるものなのではないかと思っている。こうした成長分野への資金配分を歪めることによって、日本全体の成長を押し下げているのである。

介護のような人的サービスの依存度の大きい分野は、低成長であり付加価値も高められない、というのは実際どうなのであろうか。労働集約的産業は「もっと効率化せよ」「生産性を上げろ」と鞭打たれるのであるが、その意味を考えている学者たちは本当にいるのだろうか?確かに、教科書的にはその通りなのだが…。


参考記事:

医療費の分析~その1(追記あり)

女性がみんな働く社会環境をいち早く整備すべき

賃金に関する議論~補足編

崩壊は止まらない

続・「GRIPS」の生産性はどうなっているのか?



①単独では「撃墜王」になれない

すごくヘンな例であるが、考えてみよう。空軍チームがあるとする。チームは飛行機を整備し、出撃して何らかの戦果を挙げなければならない。チームにはそれぞれ「挙げた戦果」に応じた資金が配られるものとする。「挙げた戦果」とは、戦艦撃沈とか、相手航空機の撃墜とか、そういったことだ。チームには撃墜王のようなエース級のパイロットが存在しているものとする。このエース級パイロットは戦果が大きいのであるが、能力を最大限に発揮するには「十分な休養」「睡眠時間」といったことが必要で、それが達成できないと集中力に影響してしまい戦果は小さくなるものとする。

エース級は挙げた戦果でもらえる資金が100、他の平均的なパイロットは5であるとしよう。で、元々は全員が一律に自分の機体を点検整備し、銃弾補給や兵装整備を行い、出撃して戦果を挙げて帰ってくる、ということをやっている。エース級パイロットたちにこれを強いていけば、段々と戦果は落ちてくることになる。エース級に雑事をやらせるよりも、自分の戦果だけに専念してもらった方が良いのである。なので、他のパイロットなんかと同じく機体整備だのなんだのはやらせないで、戦果の低い人が代わりにそれら整備などを行う方が効率的なのである。エース級はそれら整備を他の人に委託するとしてその見返りを払うことになるが、その見返りが余りに低くて、他の誰かが「整備してもいいよ」と思える資金に達しなければ、誰もやってくれないだろう。自分で出撃して戦果を挙げる方を選ぶか、見返りの多い他の誰かの整備をやることになるだろう。整備の委託の見返りは、このチームのメンバーが得ている資金の大きさに影響を受けることになるのである。

この空軍チーム全体で得られる資金を大きくしようと思ったら、エース級に「自分の仕事に専念してもらう」ということが必要なのである。
周囲のメンバーのサポートがなければ、エース級といえども最大戦果は挙げられない。他のメンバーが可能な作業をわざわざやらねばならない。平均的パイロットはエース級の戦果を決して挙げることができないが、機体整備などに係る時間をエース級パイロットに提供することはできるのである。それぞれの人間に与えられた時間は、全員が等しく有限であり、挙げられる戦果の大きさには無関係な資源配分なのである。最大戦果を目指すにはエース級の時間を増やしてやらねばならないが、物理的には不可能なので他のメンバーが持っている時間を割り当てる、ということになるのだ。そうすることがチーム全体で見れば効率が良いからである。

サポート人員を付けて、エースにはエースのやるべき仕事、エースにしかできないことをやってもらった方が効率的である。


②時間を買う

戦果という尺度で評価すればこうなるが、現実世界では稼げる人がエース級パイロットということになるだろうか。稼げない人たちは、時間は持っているが、何かの能力とか資本とかを持っていないのでエース級と同じくは稼げないのである。単位時間当たり100万円稼げる鈴木さんと、5万円稼げる佐藤さんがいれば、鈴木さんの1時間というのは大変「高価な1時間」ということになり、佐藤さんであるとそうでもないということになる(これはあくまで便宜的に付けた名前であるので、実際には無関係です)。

仮に、移動時間が歩いて2時間、自動車だと10分かかる場合、稼げる鈴木さんならば時間を惜しんでタクシーで移動した方がよいのであるが、佐藤さんなら歩いた方がいい、ということがあるかもしれません。あと、部屋掃除とか洗濯などにかかる時間が同じであっても、鈴木さんがやらないで誰かに委託して自分の仕事に専念して稼いだ方がよく、佐藤さんならば委託するほど稼げないとなれば自分の時間を投入する方がいい、ということです。鈴木さんの行動(タクシーに乗る、家事を委託)は常に「時間を買う」ということと同じなのです。外部委託して、自分の時間を確保するということを意味するのです。鈴木さんの持っている時間は非常に高価なので、佐藤さんの時間の価値とは異なるのです。佐藤さんは家事を外部委託したりせずに自分の時間を投入することで、自らの稼ぎの少なさを挽回しているとも考えられます。


③時は金なり

稼げる人の時間は高価なので、もっと時間単価の少ない人にその時間を投入してもらう方が有利になります。エースの稼ぎが大きくなればなるほど、時間単価が上がるので、そこに投入される他の人の時間は相対的に高くなるでありましょう。鈴木さんが家事をやるとか歩いて移動すると、失われる経済学的価値があるからです。これを「代替」するわけですから、代替者の生み出す価値は他の人の時間を増やしてあげた分だけ高くなります。鈴木さんが自らゴミ処理を行ったり、介護をやっていなければならないとすれば、その分、鈴木さんの稼ぎが減ってしまい、全体としても減ることになるのです。エース級パイロットには戦果を挙げてもらうことに専念させ、他のサポート人員が代わりに余計な仕事をしてあげるのと同じです。

ですので、介護を代替することによって、稼げる人たちが効率的に稼げるようにしてあげること、稼げる人たちが多くの価値を生み出すならば、稼げる人の時間を生み出した分だけ介護従事者等の価値は高まるのです。時間の値段は同じなわけではないのです。社会全体の経済活動によって時間当たりに生み出される価値が大きくなればなるほど、時間そのものの価値も大きくなっていくのです。そういう意味では、高速輸送システムも携帯電話も時間を購入しているのと同じです。

製造業の多くで生産性を高めてきたのは、時間短縮が行われてきた結果であり、それはまさしく時間を買ってきたのと同じでしょう。別な言い方をすれば、時間を買って余った部分を生み出してきたのと同じなのではなかろうか、ということです(余った部分で更に別な価値が生み出されることを可能にする)。時間当たり1億円を生み出す生産ラインの1分と、時間当たり10万円の生産ラインの1分は同じ価値なのではないでしょう。同じ時間経過でありながら、価値は全く違うと思います。どちらのラインも1分短縮に成功すると、生み出される価値は前者の方が大きいからです。同じ時間だけ故障でラインが停止しても、損失額は前者の方が大きいに決まっているのです。時間の価値が不変ということはないのです。


「時は金なり」というのは、まさに金言でありましょう。




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