いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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100年に一度の出来事

2008年09月26日 20時45分07秒 | 俺のそれ
それは、1913年6月に起こった。
これ以後、約100年に渡り、同じことは一度も起こらなかった。
しかし、その極めて稀な現象―太陽黒点が「一つもない」ことが1ヶ月も続くという現象―は、2008年8月にも顕れたのだった。悪魔が降ってくるほど悪い年ではないが、決して良い年ではなかった。


2008年という年は、歴史上でも重要な意味を持つ年になるかもしれない。
かつて栄華を誇ってきた Wall street とThe City が、ゾンビで溢れかえる死の街―まるで「ラクーンシティ」のようだ―と化し、ゾンビになる前の資本亡者たちが信奉してきた「貨幣の子たる貨幣」が一気に崩壊した年として記憶されることになるからだ。過去150年に渡って積み上げられ、その粋を集めたはずの「貸殖術」の敗北が、決定的となったのだった。この惨憺たる敗北で、2つの街は「首切り」の嵐が吹き荒れる惨劇の地となったことは確かだ。一体、何人の首が繋がっているだろうか?


経済学の歴史を見れば

アリストテレスが戒めたことは間違ってはいなかったと、ゾンビたちは初めて知ることになるだろう。彼らにもう少しばかりの知性が備わっていたなら、誰かがアリストテレスの言葉を伝えたかもしれない。そうすれば、壊滅的な損害を回避することができていたかもしれない。しかし、欲望は戒めの言葉よりも強く、欲望の亡者となったゾンビには、そうした言葉は通じないのかもしれない。


さて、太陽黒点の消えた1913年には、一体何が起こっていたのだろうか?

バルカン戦争が勃発し、翌年には第一次世界大戦が引き起こされた。人類史上、最も悲惨な塹壕戦となった戦争であった。

米国では、T.W.ウィルソンが合衆国大統領に就任した。ウィルソンは軍縮や民族自決などを唱え、後に国際連盟創設に繋がることとなった。米国は勿論加盟することはなかったが。

日本では、護憲運動が湧き起こり、桂内閣が総辞職し山本権兵衛内閣が誕生した。この山本内閣には、後に総理となる原敬が内務大臣、デフレ脱却に尽力した高橋是清が大蔵大臣に入閣していたのだった。後に国際舞台で活躍する牧野伸顕は外務大臣だった。

<寄り道:
牧野はパリ講和会議に次席全権大使(首席は西園寺)として参加した折、人種差別撤廃案を提案したが、英米豪などに反対されたのだった。この会議の随行員には吉田茂や近衛文麿などがいた。ウィルソン大統領はこの会議の議長で、反対に回るとともに、人種差別撤廃案を否決に追い込んだのだった。>


このように、太陽黒点の消えた1913年と2008年を対比してみると、米国大統領選や日本の内閣総辞職などが似ているようにも思える。単なる偶然に過ぎないのだろうけど。私は太陽観測マニアでもないし、何かの不思議なパワーがあろうと無かろうと、どちらでもよい。ただ、ロマンチックではある。だからこそ、「100年に一度の危機」だったのさ。それに、太陽黒点のせいにでもしなければ、大敗北を食らってしまった「金融のプロ」たちや「金融工学の学者」たちや「経済学の専門家」たちの立つ瀬があるまい。

やはり、ジェヴォンズの着眼点は非凡で素晴らしかった、ということなのかもしれぬ。

「法学が経済学を笑う」の図

そう考えると、要注意は来年の2009年ということかもしれない(笑)。

※間違えて2010年って書いちゃったけど、09年だよね。ボケたんだな…オレ。




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