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「サイバー・デモクラシー」は醸成できるか~1

2005年05月27日 17時42分34秒 | 社会全般
今まで、ブログを中心とする政治的意思の表示機会・環境について、いくつか書いてきました。私の場合には、その動機として、「妄信というか、自己満足に過ぎないのかもしれないが、無意味ではないと信じたい」というスタンスです。その作用としては、「個人から個人」という本来のネットワークの性質に加えて、より社会的な影響力を持つという面では「個人からマスメディアへのカスケード」を期待する、とも書きました。

しかしながら、佐々木毅氏はサイバースペースへの政治的エネルギー滞留はマイナスであり、「サイバー・デモクラシー」は現実遊離であっていたずらに自己満足を見出すことになってしまう、という立場でした。こうした不利な面を克服しなければ、「サイバー・デモクラシー」の影響力を現実世界で求めることは難しい、ということでしょう。これについて、もう少し考えてみたいと思います。

参考記事:
ネット言論の試練1
ネット言論の試練2
「中国反日デモ」から見える日本政治~その3


「現実」に比べて、政治的意思の表出機会・環境で見ると、ブログというツールはそれなりのメリットがあると言える。各個人が表明するのは簡便かつ他者との意見交換も可能であり、ある程度の議論に耐えうるものである。ただし、これには勿論マイナス面もあるのであるが。政治的近代化という観点からすると、町内会の人々が会館に集合して討論会を開いたりせずとも、ネット上に議論の場があるので、代替となるように思う。勿論 face to faceということの良さはあると思います。ですが、現実には時間的・空間的制約も多いですし、サイバースペースを利用する方が即時的で、意思表出が行われ易いと思います。


厳しい指摘を受けた、「現実」からの乖離や遊離促進というものに対して、どのような対策があるのか、ということになります。これには、ある事項の専門家の意見というのが、重要になってきます。例えば、ある公共事業が行われる計画があるとして、その事業に反対するのか賛成するのかで議論が行われるとしましょう。仮に新幹線の延長工事であるとしましょう。その沿線住民とか駅予定地の住民とかで考え方は異なりますし、生活実態が掴めないこともありますね。地元自治体や議員さん達が陳情を繰り返したり、地元商工会のおじさん達が同じく誘致運動を繰り広げたりしている一方で、財政的な問題から反対するべきとか自然環境への影響で反対をする人達がいるかもしれません。騒音被害を考慮して、地元だけど線路近くの住民が反対するかもしれない。こうした意見をある程度積み上げないと、結論的には見えてこない、ということになるでしょうか。また、建設コストと効果の問題や将来の乗車数の確保とか地域振興にどの位の効果があり、その一方で通過駅になってしまう地域の損失がどうなのか、などの財政的検討についても議論される必要があるということになります。賛成派の方々は、反対派を説得するだけの論拠を用意することが必要で、その逆も同じですね。


こういう作業をやる時に、少ない人数で取り組むよりも多人数の方が進め易いし、分業体制となっている方がいいですね。従来の政策としては、こうした情報というのは公開情報となっていなかったりしましたが、近年の総務省の指導もあって情報公開を各省庁に求めるようになっておりますから、ネット上の調査能力の高い人達は効率的に重要情報を探し出して多くの人に提示できるようになってきています。この能力は、過去の旧タイプ人間には出来ないものであって、何処かの機関や調査組織が用意してくれないとならなかったのに、今では各個人が探し出せるようになって来ています。また、昔は町内会館に集められた周辺住民へは、「行政側」などの人間が自分達に一方的に都合のいい材料・資料・調査報告などを提示して、それを盾に議論を進めることも出来ましたが、今はそういう情報の「穴」とか「ウソ」(そこまで酷くはないでしょうが、例えば将来収益予想とか利用者数などの「色よい数字」などが用意されたことも少なくなかったのではないのかな、と)とかそういうことに目が向けられる個人というのが増えてきています。


これは、単なる例ですので、現実的にはもっと情報のレベルとか質に違いはあると思いますが、昔みたいに組織的に集められた参加者の集会で気勢を上げたり、演説中に大袈裟に拍手・掛け声をかけたり、鉢巻を巻いて「エイ、エイ、オー!!」とかやっていのに比べれば、「現実」がいつも優れた政治的議論や政治的意思表出が出来るとは限らず、サイバースペースであっても「現実」以上の政治的議論は出来うると思うのです。こちらの方が、政治的近代化は進んでいるようにも思えます。


そういった環境で、議論する時に更に重要なのは専門家の知識・意見表出です。従来の議論の際には、所属する集団・組織依存的に賛成・反対の意見表出となりがちであったと思うのですが、現在そういう単純さはネット上では減っていると思います。まあ、絶対的に専門家でなければならないということでもないですが、例えば新幹線とか鉄道事業の概要を掴めないと、事業計画が妥当なものかどうかの判断はつきにくいということになりますから、そういうことに詳しい人が客観的な意見を述べてくれると他の人の判断材料が増やせます。そういう情報は、身近な「現実」の政治集会などでは滅多に出てこないでしょう。ですから、そういう「現実」よりも判断の基になる「情報の量と質」と言う点では、サイバースペースに軍配であると思います(が、いかかでしょうか?皆様は)。だが、そういう専門的な意見が集積できないと、「現実」と乖離した議論を延々と続けてしまったりする可能性もあり得ます(新幹線の例で言えば、「沿線住民の騒音被害を考慮すれば、計画線をずらして迂回させるべき」のような、現実的な被害が想定されていないとか地元住民からの反対意見も全くないのに非現実的な解決策(迂回するには土地取得とか線路設計・停車駅などの多くの問題が出てくるかも)について議論してしまう、とか?)。情報の判断が難しければなおのこと、そういう枝葉末節とか現実遊離の議題が解決できず、延々と無益な議論を繰り返すようなものですね。それを防ぐ意味でも、やはり一定レベルにある人の判断・意見というものがどうしても必要となってきますね。


続きは、また。


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