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誤った説明がまかり通る経済学界

2010年03月06日 16時51分06秒 | 経済関連
またか。懲りないね、本当に。

デフレに関する典型的な3つの誤解 ──今こそ必要なデフレの経済学(4) | 野口悠紀雄 未曾有の経済危機を読む | ダイヤモンド・オンライン


どうして、ド素人でも考えられそうなことを、自ら考えることができないのだろうか?こうして解説してくれる内容があまりに杜撰である場合には、日本の経済学者を信じてはいけない、ということの立証になりますな(笑)。
この前に指摘したことが、そんなに悔しかったのか?
コレ>こういう説明以前に学者同士で決着をつけるべし


本当に残念でならない。
よくもまあ、こういう記事を書くね、ということは思いますわな。東大出の元大蔵官僚で、一橋や東大教授を経て、現在は早大教授なんだそうですが、日本の経済学界というのが、こういう水準なのね、ということですかね。畑違いのことを書いているのではなく、「自らの専門分野」の話がこんなんですから、いったいどうなっているのか、と思いますわな。

どうオカシイのか、専門外の経済学素人の僕(笑)が書いてみますから。
野口氏の記事から引用部は『』で示す。

『この関係を用いて、つぎのように言われる。すなわち、「デフレがあると期待インフレ率が低下(ないしはマイナス)になるから、実質金利が上昇する。したがって、投資支出を抑制することとなり、経済活動に抑制的な影響を与える」
 この考えは、単純な間違いである。どこが誤りかと言えば、「名目金利が固定的で、実質金利がインフレ期待の変化に応じて動く」と考えていることだ。しかし、正しくは、「実質金利が固定的で、名目金利が期待インフレ率に応じて動く」のである。実質金利は、生産性などの経済の実体的な構造によって決まるので、経済の実体が変わらないかぎり変わらない。つまり、実質金利は、物価上昇率の変化によっては動かされない。期待インフレ率の変動に伴って、名目金利が変動するのである。デフレになれば、名目金利が低下するのだ。1990年代以降の日本についてこの関係が成立していることは、改めでデータを示すまでもなく明らかだ。』

野口氏はデフレの議論の中身をそもそも知らないのだと思う。というか、彼はマクロ経済学なんて云々という考えの持ち主だったみたいなので、考えることができないのだと思う。

単純な間違い、って、それは、野口氏自身のことではないのか。「名目金利が固定」ということを全ての場合で肯定、主張している学者とかがいるのか?
名目金利が低下した、これは事実だ。90年代もそうだし、リーマン・ショック後の英米の金利などを見てもそうだ。だが、下がり続けるとどうなるか、ということを野口氏は想像すらできないらしい。
名目金利は「ゼロ」になる、だ。

すなわち、ゼロ金利制約に直面する、ということである。ここまで低下してしまうと、名目の「マイナス金利」を適用しない限りは、ゼロないしゼロ近傍に張り付いてしまう。これこそが、名目金利が固定化ということの意味である。恒等式の左辺(名目金利)がゼロ、これでfixedな状態が日本では長い間継続してきた、ということである。

従って、フィッシャー恒等式は、

 0=実質金利+期待インフレ率

と書くことができ、ゼロ金利下では、

 実質金利=-期待インフレ率

ということになるのだ。野口氏が実質金利が変わらない、と主張するなら、そういう俺流経済学理論を証明すればよいのだ。名目金利がマイナスの値を取れるのであれば、条件は別だがな。

少なくとも言えることは、名目金利は「ゼロのままで変化がない」にも関わらず、期待インフレ率が負の値、すなわちデフレであると実質金利は「上昇することもある」ということだ。


さて、野口氏の想定している架空の経済世界というのは、砂糖が1年で100円から90円に価格下落の起こるという想定のようだ。まあいいでしょう。
この世界では、経済の実体が変化なければ、名目金利が20%から10%に低下し、物価下落率は10%なんだそうです。じゃあ、1年後には90円に下落した砂糖は、N年後には一体いくらになっていると思うか?(笑)

野口氏によれば、物価下落が10%であろうと実体に変化はない、実質に変化はないと言い張るのかもしれないね。さて、年率の下落率が10%であれば、N年後にはどうなっているのか、ということを普通は考えるだろう。物価下落が「何も変わってない、何も問題ない」という人にとっては持続可能な仮想世界なのだから、続けるとよい。
野口氏の世界では、いずれ砂糖は「タダ」という時期を迎えるんでしょうな。ゼロに収束するんじゃないですかね?ああ、無限はない、とか言い張って、アキレスは亀に追いつけない、の論理を出してくるのかな?

実質的には変わりない、という想定は、たったの1期だけで確かめ証明できたと豪語する、その発想の低レベルには呆れますな。彼の世界では、名目金利はその後どうなってゆくのか、ということの想像もない、と。
これが、東大卒エリート官僚の代表格である大蔵かと思うと、それはそれで悲しいものがあるな。日本の経済学界に、知というものが残されているのだろうか?
一人や二人の話ではないのだな。しかも、肩書だけは、みな立派ときている。どうりで日本の経済運営がダメなわけだよ。

いずれにせよ、野口氏の言う説明とか、仮想世界とか、そういうのは単に自分の説明に都合のよいもの、というだけのものであり、素人が見ても「ああ、おかしいな」と即座に見破れる程度のものでしかない、ということである。


看板を降ろせ、という意味がわかったか?