肌寒い雨は、一向に止まない(;'∀') カステラ・ド・パウロのオーナー智子さん、「この雨の中、これからどこへ行かはるん?」
特に決めてなかった我々に、源光庵をすすめて下さった。 素直な?横着な?我々は、では、そこへ行ってみますかね、、、とタクシーに乗り込む。
北野天満宮からは、北東に向かったのだと思うが・・1200円くらいだったので、そんなに遠くはなかった。
静かな源光庵

この石畳、好きだな〜

★源光庵の解説★
源光庵(げんこうあん)は、1346(貞和2)年大徳寺2世徹翁義亨(てつとうぎこう)国師の隠居地として創建されたのが始まりで臨済宗に属した。後に衰退したが、卍山道白(まんざんどうはく)禅師によって再興され、1694(元禄7)年曹洞宗に改められた。境内にある稚児井戸には、徹翁義亨国師の枕元に現れた童子が、湧き水の場所を教え、飢饉を救った伝説がある。この井戸の水は、いかなる旱ばつでもかれたことがない。
仏教の真理を表した丸い窓「悟りの窓」(円型に「禅の円通」の心を表し、円は大宇宙を表現)と四角い窓「迷いの窓」(角窓に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表現)が見られます。
本堂天井には、1600(慶長5)年徳川家の鳥居元忠が石田三成勢と戦い、自刀してはてた時の伏見城の床板が供養され、血天井として天井に張られています。血天井は源光庵の他に、宝泉院、興聖寺、正伝寺、養源院で見ることができます。源光庵から常照寺まで内八文字で練り歩く(太夫道中)吉野太夫花供養は4月に行われます。
本堂に上がると、

右に迷いの窓、左に悟りの窓

秋には、もみじの赤が、美しいことだろう。
椅子に座って、ぼーっとする。 新緑が雨でピカピカ輝いている。 美しい。 雨の音しかしない本堂。 悟りの境地に・・・は、なれない悲しい自分(笑)

心穏やかになり、下界に?でると、小学生の下校時間に重なった。小さいながらも、にぎやかに関西弁を話すかわいい小学生たち。
バス停は、どこにあるの?と聞くと、「こっち〜」と、我々をバス停まで案内してくれた。 きゃわいい〜\(^o^)/ありがとね。
特に決めてなかった我々に、源光庵をすすめて下さった。 素直な?横着な?我々は、では、そこへ行ってみますかね、、、とタクシーに乗り込む。
北野天満宮からは、北東に向かったのだと思うが・・1200円くらいだったので、そんなに遠くはなかった。
静かな源光庵


この石畳、好きだな〜

★源光庵の解説★
源光庵(げんこうあん)は、1346(貞和2)年大徳寺2世徹翁義亨(てつとうぎこう)国師の隠居地として創建されたのが始まりで臨済宗に属した。後に衰退したが、卍山道白(まんざんどうはく)禅師によって再興され、1694(元禄7)年曹洞宗に改められた。境内にある稚児井戸には、徹翁義亨国師の枕元に現れた童子が、湧き水の場所を教え、飢饉を救った伝説がある。この井戸の水は、いかなる旱ばつでもかれたことがない。
仏教の真理を表した丸い窓「悟りの窓」(円型に「禅の円通」の心を表し、円は大宇宙を表現)と四角い窓「迷いの窓」(角窓に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表現)が見られます。
本堂天井には、1600(慶長5)年徳川家の鳥居元忠が石田三成勢と戦い、自刀してはてた時の伏見城の床板が供養され、血天井として天井に張られています。血天井は源光庵の他に、宝泉院、興聖寺、正伝寺、養源院で見ることができます。源光庵から常照寺まで内八文字で練り歩く(太夫道中)吉野太夫花供養は4月に行われます。
本堂に上がると、

右に迷いの窓、左に悟りの窓


秋には、もみじの赤が、美しいことだろう。
椅子に座って、ぼーっとする。 新緑が雨でピカピカ輝いている。 美しい。 雨の音しかしない本堂。 悟りの境地に・・・は、なれない悲しい自分(笑)

心穏やかになり、下界に?でると、小学生の下校時間に重なった。小さいながらも、にぎやかに関西弁を話すかわいい小学生たち。
バス停は、どこにあるの?と聞くと、「こっち〜」と、我々をバス停まで案内してくれた。 きゃわいい〜\(^o^)/ありがとね。