CS記念セールだかで下克上グッズは瞬殺に近かったような、またレプリカユニの50%セールも人気だったようです。
ここまで値下げをされると嬉しいながらも正価で買ったのがアホらしく、終盤戦に20%オフ、サブローの引退記念で36%オフ、そしてここにきての50%オフですので、目当ての選手のものを確実に手に入れるには微妙かもしれませんが、次にモデルチェンジをしたときには模様眺めをすることになるかもしれません。
そのモデルチェンジ、昨年もセールでCHIBAユニ、青ユニを売り払ったことでの今季ですから一年でまた切り替えるつもりなのか、さすがにそれは勘弁です。
ただ今年はピンストライプやビジユニもセール対象なわけで、ピンストライプを変えるとは思えませんから考えすぎか、もしあるとすればスポンサーの交代でしょう。
右胸に掲げるネクソンのエンブレム、もし撤退となれば全てのレプリカユニは一掃をしなければ不良在庫になります。
そうなればネーミングライツでも実際のところ苦戦をしそうな予感がありますから収入減に、補強にも影響が出かねませんので、これまた考えすぎであることを願いたいです。
二日目は午後から京セラドーム大阪での観戦があったので例によって早朝から起き出して、午前中は明石での史跡巡りです。
まずは明石城に向かったのですが時間が早すぎて日本100名城スタンプの置いてある明石公園、これは明石城跡が公園になっているのですが、そのサービスセンターがまだ施錠をされて入れなかったのと、撮影には逆光が厳しい状況だったのでざっと一回りをして位置関係だけをチェックして、他所を先に訪れることにしました。
まずは西へ向かい、城跡公園にほど近いところにあるのが織田家長屋門です。
明石市指定文化財で、この辺りは城に近いこともあり重臣や家臣たちが住んだ武家屋敷町となっていました。
太平洋戦争のときの空襲で焼失をした中で唯一に遺ったのがこの長屋門で、元は同じ明石の船上城のものを移築したとのことです。
この明石藩主松平氏の家老である織田氏は尾張織田氏の一族ですが信長の後裔ではなく、信長の叔父で犬山城に拠った信康の流れです。
信康の嫡男の信清は信長と対立をして滅ぼされましたが子の信益は許されてその後に越前松平氏に仕えて、その娘が結城秀康の側室になり直良を産んだことで信益の子、つまりは直良の叔父にあたる信勝が直良系越前松平氏の家老となり、直良の子の直明が明石藩主となったときに一緒に明石に入りました。
一部にこの信益は織田信忠の次男の秀則の後身との説もあるようで、そうなれば信長の血を引くことになります。
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大林寺には、明石藩主だった松平忠国の供養墓があります。
明石藩は小笠原氏、戸田氏、大久保氏と続き、そして丹波篠山から十八松平の一つである藤井松平氏の忠国が加増転封されました。
墓所は山門をくぐらずに手前を右にいったところに登り口が、そこから50メートルほど登ればあります。
自分は例によってお寺の方にご挨拶をしてからのお参りですので、中から脇道を教えていただいてのショートカットでした。
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住吉神社には、やはり明石藩主の松平信之の供養墓があります。
信之は忠国の次男で、兄の信久が早世をしたことで家督を継ぎ、その後に大和郡山に加増転封されました。
明石には住吉神社が二カ所ありますので注意が必要、有名なのは魚住町のそれのようで、しかしこちらは大久保町の住吉神社、本殿の裏にひっそりと眠っています。
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西は住吉神社で終わって明石城に戻りましたが状況が今ひとつのままだったので、次は東に向かっての長寿院です。
藤井松平氏の次は本多忠勝の本多氏の一族が入るも3年余で陸奥大久保に減封、そして直良系越前松平氏の直明が越前大野から加増転封、そして幕末までこの地を治めました。
長寿院の松平氏墓所にはその直明から8代斉宣までの墓があります。
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明石藩主としての初代である直明は直良の三男で、長兄、次兄ともに夭折をしたことで越前大野藩主だった父の跡を継ぎました。
直明の跡を長男の直常が、直常の跡を長男の直純が、直純の跡を長男の直泰が、直泰の跡を長男の直之が継いでここまでは順調でしたが、直之の19歳での早世により三弟の直周が、直周の跡を次男の斉韶が継いだものの斉韶に多くの子がありながらも子だくさんで多くの大名に子息を養子に送り込んでいた11代将軍家斉の26男である斉宣を押しつけられての直良、ひいては秀康の血が一時途絶えたものの、その斉宣の20歳での若死により斉韶の長男の慶徳が跡を襲い幕末を迎えることとなります。
写真は上段左から直明、直常、直純、直泰、直之、直周、斉宣、その後の昭和に入ってからの代々の墓で、あるはずの斉韶をどう探しても見つからなかったのが残念至極でした。
血の繋がりは上記のとおり、結果的には秀康の血を無難に継いできたと言えます。
それを脅かしたのが斉宣ですが、将軍の子ということもあり斉宣だけが石柵に囲まれた別格扱いだったのが、越前松平氏としては微妙な感じがしないでもありません。
凡例は赤字が藩主、下線が写真でご紹介をしているものとなります。
月照寺の山門は伏見城の薬医門だったものが、その廃城後に明石城の切手門に移築をされました。
そして明治になってからの廃城令により、月照寺に払い下げられて今に至ります。
ちなみに右手に写っているのが明石市立天文科学館で、日本の標準時刻を司る日本標準時子午線の真上に建っていますから、月照寺もほぼ日本標準時子午線上にあります。
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そしていよいよ明石城です。
堀は広く、石垣は高く、敷地は広大、明石藩の居城である明石城は一番の大身が小笠原氏の10万石ですから規模としては過剰のようにも思えます。
ただ築城は江戸初期、大坂の役が終わった直後の1617年ですから西国の抑えとしての役割を担ったこともその理由ではないかと、歴代の城主はいずれも親藩、譜代です。
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廃城令により多くの櫓、城門などが解体、あるいは払い下げをされましたが、坤櫓と巽櫓が現存、国の重要文化財に指定をされています。
本丸にはこの他に解体をされてしまった艮櫓、乾櫓があり四隅を守る構図で、予定はされていたようですが天守閣はありません。
写真は左が坤櫓、右が巽櫓です。
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小笠原忠真は父祖の地である信濃松本から明石に移封され、船上城に入ります。
しかし幕府の命により明石城の築城に着手、船上城などを解体した遺材が使用されたと伝えられており、この巽櫓も船上城のそれにより建てられたとも言われていましたが、昭和57年の解体修理の際の調査で柱や垂木、梁等の木材はすべて統一された規格品による建築物で、全くの新築であることが明らかとなりました。
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坤櫓は伏見城からの移築と伝えられており、こちらは昭和57年の解体調査で構造上、他から移されたものであることが明らかとなり、伏見城からの移築説が裏付けられました。
天守台のすぐ側にあることから、天守の役割を担っていたと見られています。
巽櫓と同じく三層の入母屋造りで、木目の揃った松の木がふんだんに使われているとのことです。
巽櫓と坤櫓は交互に内部公開がされているようで、この日は巽櫓でした。
表面がえぐれているなど痛々しいところはありますが、それはそれで年輪が感じられて刻の流れを体感することができます。
残念なことに上層へは立ち入り禁止で、係の人の説明では危ないから、昭和57年の改修から30有余年、そろそろ何らかの手当をしなければならない時期なのかもしれません。
これらの櫓に囲まれた本丸は広々としていて、天守閣の代わりに藩主の居館、政庁たる御殿がありました。
今はただ木が生い茂っているだけですが、三階建ての御殿は絵図が残されているのか、在りし日の姿をネットで拾うことができます。
それを見ればある意味で天守閣のようでもあり、それなら天守閣を建てちゃえよ、なんて言いたくもなりますが、いろいろと事情があったのでしょう。
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その天守閣の予定地、天守台です。
152坪とのことですが思ったほどの広さは感じられず、巽櫓や坤櫓の規模からすればもっとガッツリとした天守閣を想像していました。
それでも五層の天守閣がそびえ立つ予定だったとのこと、財政的な問題か、幕府が命じながらも気が変わったのか、当然ながら無かったものの再建計画はありません。
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三日目はやはり午後から京セラドーム大阪での観戦、結果的には途中で放擲することとなりましたが、よって早朝からの尼崎です。
深正院は江戸中期から幕末までの尼崎藩主だった松平氏の菩提寺で、その墓所があります。
こちらの松平氏も十八松平の一つである桜井松平氏で、ただ松平宗家に近しい血筋だったことで家督を狙って対立をすることもあり、また三河一向一揆では一揆側につきました。
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その後は徳川家康の異父妹を忠正、忠吉が正室に迎えるなどして宗家に従い、遠州掛川から尼崎に入った忠喬が初代となります。
忠喬の跡は忠名、忠告、忠宝、忠誨と直系が続きましたが忠誨が嗣子なきままに27歳で没したため叔父の忠栄が継ぎ、その子の忠興が幕末を迎えました。
長命な当主が多く、かつ子宝に恵まれたこともあり、無難に血を繋いでいったと言えます。
写真は左から忠喬、忠誨、忠栄、忠興です。
通字は「忠」で、初代から信定、清定、家次と続いて4代の忠正が名乗って以降、「忠」がつかないのは6代の家広のみです。
尼崎藩主としては10代の忠喬から現在の当主に至るまで続いていて、ちょっと嬉しくなります。
ちなみに墓所にはおそらくは説明板と思しき杭があったのですが風化して全く読めず、各々は戒名などから特定をしたのですが、それっぽい感じがありながらもどうしても誰かが分からないものがあり、圓成院と読めたのですが、帰ってきてから調べてみても分からないままでした。
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尼崎藩の居城となった尼崎城は、当時の建物は遺されていません。
先の深正院の本堂が明治の廃城令の際に尼崎城から移築をされたものでしたが戦災で焼失、また図書館を囲むようにある石垣と土塀は復元をされたものです。
昨年に篤志家からの申し出による天守閣の建築計画が報じられましたが、最低でも10億円以上がかかり、またご高齢ということから実現をするかどうかが気になります。
法園寺には佐々成政の墓所があります。
織田信長の重臣だった成政は本能寺の変の後に羽柴秀吉と対立し、しかし柴田勝家らが滅ぼされたことでその軍門に降ります。
その勇猛さを買われて来たる朝鮮侵攻への布石として配された肥後での検地に反発した地侍の一揆を抑えきれず、ここ法園寺で切腹をさせられました。
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山門をくぐってすぐ左に、その立派な五輪塔があります。
ただ以前に訪れたときには知らなかったのですが、残念なことにこちらはレプリカです。
本物とされる墓石は墓地の無縁塔の累積していた中から発見をされて本堂内に保存されているのですが、お寺の方に聞いたところ寺宝なので公開はしていない、とのことでした。
【2016年8月 兵庫、大阪の旅】
白い白鷺城
白い白鷺城 旅程篇
白い白鷺城 旅情篇
白い白鷺城 京セラドーム大阪篇
白い白鷺城 史跡巡り篇 赤穂の巻
白い白鷺城 史跡巡り篇 龍野の巻
白い白鷺城 史跡巡り篇 姫路の巻 姫路城の章
白い白鷺城 史跡巡り篇 姫路の巻 黒田官兵衛の章
白い白鷺城 グルメ篇
白い白鷺城 スイーツ篇
白い白鷺城 おみやげ篇
まずは選手、監督、コーチ、スタッフ、球団関係者、そしてファンの皆々様、2月から始まった2016年のシーズンも今日で終わり、お疲れ様でした。
プレーオフのときからのファーストステージ神話が崩れ、またソフトバンクには手も足も出ずの5連敗とこれまで築き上げてきたものが雲散霧消してしまうかのような敗退ですが、昨年のゴールデンイヤーがそうだったように、新たなる伝説を作り上げるための第一歩と前向きに考えたいです。
何が足りていないかを現場も球団も痛いほどに分かったはず、外国人選手の補強を含めてしっかりと方向性を定めたオフであることを心から願います。
清田のポストシーズン史上初、2戦連続の先頭打者アーチで主導権を握りながらも、結局はその1点しか取れませんでした。
2試合で4発を放ちながらも4得点、ソロ、ソロ、ソロ、ソロでは打線の繋がりも何もなく、今日は角中が1安打1四球ながらもデスパイネが4タコと巡り合わせも悪かったです。
初回に先制をしながらも続くチャンスを逃すのはこれまたいつもの野球で、そうこうしているうちに立ち直りを許してしまうのもいつものことですからロッテらしい野球をやってロッテらしく負けた、この悪い意味でのロッテらしさを少しずつでも変えていかなければリーグ優勝、また下克上も夢のまた夢でしょう。
前日に打たれた内、今日の南に西野、二回にバントミスをした鈴木など、悔しくて眠れない選手も多いことと思います。
その悔しさを力を付けるバネにしていかなければ、力以上のプレーなどはできないのですから、CS出場を喜ぶのではなく敗退を憤ってもらいたいです。
石川は粘り強く投げましたが打線の援護なく、持ちこたえることができませんでした。
本多に打たれた膝元のボールは悪くはありませんでしたが、相性があるにせよ高谷にまたしてもやられたのは来季への反省材料です。
そして内川、今宮と分かりやすいぐらいに調子に乗せてしまった投手陣としての課題、スコアラーの問題もあるでしょう、またその情報をどう分析して、どうピッチング、そしてリードに活かすのか、チームとしての戦い、組織として動いていかなければ同じことの繰り返しです。
投打ともにそこが決定的に欠けているとは外野からの見方ですが、当事者たちにその自覚があるのかどうか、球団には一番に心地よいポジションにも思える3位ですので不安が無いわけではありませんが、山室球団社長、林球団本部長、松本球団本部長補佐兼編成部長にはここからが本来の仕事の始まりですから、2017年に向けて休んでいる暇はありません。
そしてファンにはいろいろと考えを巡らせる楽しいオフの始まりでもあり、次なるシーズンを語り合っていきましょう。
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◆10月9日(日) ソフトバンク−千葉ロッテCS1stS第2戦(ソフトバンク2勝、13時1分、ヤフオクドーム、38,500人)
▽勝 バンデンハーク 1試合1勝
▽S サファテ 2試合2S
▽敗 石川 1試合1敗
▽本塁打 清田2号(バンデンハーク)
▽バッテリー
千葉ロッテ 石川、大谷、松永、南、西野—田村
ソフトバンク バンデンハーク、岩嵜、スアレス、サファテ—高谷、細川
ぶれないのは悪いことではありませんが、レギュラーシーズンの終盤の戦い方のままに負けたCSファーストステージ初戦です。
内>南の構図はその終盤戦から疑問を呈してきましたが、離脱をするまでの内の快投からすればベンチが託したくなる気持ちも分からないでもありません。
ただそれでもやはりあそこは南でいって欲しかった、これまでも三者連続三振などで流れを引き寄せたことがありましたし、南でダメだった方がまだ諦めがついたと思います。
それにしても内が悪かった、あそこまで伝家の宝刀が制御できなければ自滅もやむなし、満塁になったところで代えるかと思ったのですが我慢をしたのですから明日以降も出番はあるのでしょう、2010年にも打ち込まれてから不死鳥のように甦った内が日本一を引き寄せてくれた再来を期待したいです。
涌井は厳しいジャッジと抜けがちなストレートに苦しみましたが7回2失点ですから文句はつけられず、ただ初回、そしてここぞでの失点は今季を象徴するようなピッチングでした。
だからこそ110球での交代だったのでしょうし、あの継投のタイミングは間違いではなかったと考えます。
打線は驚きの二発で幕を開けましたが、結局は千賀を攻略しきれずに僅差負けです。
ストレートを制御しきれずにフォークに頼る千賀の術中にはまっての12三振、八回のスアレスはボーナスステージかと思ったのですがあっさりと三者凡退、情けなさすぎです。
抜擢をされたナバーロ、中村、井上が機能をせず、福浦と井口の出番も無く、ロッテらしからぬアーチ攻勢もソロ、ソロ、ソロでは勢いがつきません。
暫くはホームランから遠ざかっていたデスパイネに「だから右方向でしょ」の2本は見事でしたが、角中がノーヒットだったのが痛かったです。
先頭打者を出せなかったのでは作戦も何もなく、今日は涌井が1点に抑えなければ勝てない試合だったと、これまたいつもどおりの展開でした。
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◆10月8日(土) ソフトバンク−千葉ロッテCS1stS第1戦(ソフトバンク1勝、13時、ヤフオクドーム、36,007人)
▽勝 スアレス 1試合1勝
▽S サファテ 1試合1S
▽敗 内 1試合1敗
▽本塁打 清田1号(千賀)、デスパイネ1号(千賀)、2号(サファテ)、内川1号(涌井)
▽バッテリー
千葉ロッテ 涌井、内、南—田村
ソフトバンク 千賀、スアレス、サファテ—細川
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葉桜の季節に君を想うということ |
これはかなり評価が割れそうな作品です。
その美しいタイトルとは裏腹な入りにまずビックリ、また登場人物のそれぞれの刻の視点で進んでいきますので話があっちゃこっちゃに飛んで落ち着きがありません。
それが最後に一つに紡がれていくなんてのはよくある展開で目新しくもなく、八割方までは駄作の雰囲気がプンプンでした。
ところが追い込みから仰天の展開、この手のものはかなり読み込んでいるので身構えるまでもないはずが、初めて作家ということもあり油断をしていたのかもしれません。
読み返しても無茶ではありますが無理なものではなく、評価が高いのはそこに尽きるでしょう。
ややずるさを感じなくもありませんが、これはもう見事の一語です。
ただ残念なことに、本筋のストーリーがチープすぎます。
かつて探偵事務所で働いていた主人公が高校の後輩とともに知り合いのお嬢様から依頼をされた保険金殺人、詐欺商法の裏取りに挑む一方で並行して流れる恋物語なのですが、ストーリーをテクニックで彩ったのではなく、テクニックを披露するためにストーリーを作り上げた、そんな気すらします。
終盤の盛り上がりでせっかくそこまでの細かな伏線を拾い上げて、解説めいたものも自然に流しながらも、最後の最後にストーリーの肝を放置ってのはないでしょう。
あれだけ主人公に事件にこだわるモチベーションを語らせておいて、この結末は酷すぎます。
これが評価の低い理由ではないかと、ぐぅーっと盛り上げてストンと落とされた、トータルで考えれば平凡と評しておきます。
2016年10月7日 読破 ★★★☆☆(3点)
日本一、ではなく、日本シリーズです。
今日からTEAM26有料会員向けのチケット先行抽選販売が始まり、日本シリーズ観戦に向けての第一歩となります。
昨年は無駄になりましたが当たりまくったので今年も大丈夫、とは思いつつもその前がダメダメでしたから、油断をせずにあの手この手で全力を尽くすのみ、抜かりはありません。
広島、東京、横浜のビジターチケットもゲットしての全試合観戦を達成すべく、場外戦のゴングが鳴り響きます。
そして福岡でのCSファーストステージ、先陣が石川ではなく涌井はチーム内での立ち位置が変わらず、ということよりも伝え聞くところの石川の繊細さへの配慮という気がしないでもなく、いずれにせよ初戦に勝ってこそとはプレーオフも含む過去5度のファーストステージで頭を取っているだけではなく、CSとしても初戦に敗れたチームの勝ち抜けはありません。
涌井はそのCSでここまで無敗とのこと、その実績を買われたところもあるのでしょう。
打線のキーマンにデスパイネはともかくナバーロの名前を挙げざるをえない苦しさはありますが、初戦の初回、ここで躓かないよう全力で、そして堅実にお願いします。
地元での観客動員が前年比15.5%アップと報じられたのは喜ばしいのですが、しかし1,526,932 人は12球団で最下位、これで4年連続です。
球団はいろいろなイベントを企画して集客に躍起となっていますが、球団記録で来季こそ狙いたいと山室球団社長がぶち上げた160万人は他の11球団は今季にクリアをしているわけで、ロッテよりチーム成績が下位に沈み、スタンドの規模でのアドバンテージもない楽天にすら及ばないのですから簡単な目標ではないでしょう。
繰り返しになりますがこれが千葉の限界なのか、その地元をアピールした広報活動も千葉都民な県民気質なのか「おらがチーム」に結びついていないような気がします。
チケット代にオンをしながらもグッズの配布日にはスタンドは埋まり、またロッテ製品の大盤振る舞いも人気ですがそれも一過性で根付かず、何が悪いでもなく、効果的な対策も思い浮かばず、勝てば客足が伸びるというほどに単純な話でもなく、とりあえずは今にないもの、「全国区なスター」の登場を待つしかないのかもしれません。
そうなれば入札は田中正なのか、来年は清宮一択なのか、ドラフト会議まであと半月です。
ただでさえ雑な配達の佐川急便が、ますます使いづらくなりました。
これまで1週間だった保管期間が「初回配達日+3日間」となり、これは基本的に週末にしか受け取れない自分からすれば致命的です。
注文をする際に配達日指定ができないところもありますし、それで配達業者が佐川急便であればそこはパスをしなければならなくなるわけで、やっかいなのが複数の業者を取り扱っていて発送の段階になるまでどこになるかが決まらないケース、配達日指定が不可でそうなったら面倒なことになりそうです。
注文前に問い合わせるしかないのでしょう、これが業界の流れなのか、はたまた佐川急便の暴走なのか、楽天市場のダイヤモンド会員としては気が気でありません。
レギュラーシーズンは今日で終わり、白星で締めくくってポストシーズンに突入です。
日本ハム、ソフトバンクとは大きな差を付けられましたが2年連続のAクラスは31年ぶりですので、その下馬評からすれば期待以上の頑張りと言えなくもありません。
今日にスタンリッジが7回97球を投げましたので四番手がほぼ決まり、併殺の直後の四球などムラがありながらも涼しい時期のスタンリッジは安定感がありますのでもったいなくもありますが、福岡入りをすることなく札幌での快投を期して英気を養ってくれればと思います。
リリーフ陣も西野、内の順番だったことからして西野の復帰後も守護神は益田でいくことを内外に示す起用だったような、南、大谷、藤岡、松永、田中靖らで僅差を競り勝つのみです。
押しの弱い打線は濱矢が一斗缶を背負ってやってくるまでは相変わらず、しかし井口のところを除けばほぼこの顔ぶれでいくのでしょう。
状況を考えれば凡打で走らないナバーロは却下ですが詰まりながらもタイムリーを放ちましたし、中村ともども下位での宝くじ競演ぐらいのつもりなのかもしれません。
となれば田村がポイントになりそうな、セーフティバントを試みたり基本は右ながらも甘くくれば豪快に引っ張る里崎スタイルが板に付いてきました。
ただやはり軸が打てるかどうか、9月以降に調子を落としているデスパイネ、長打力に欠く福浦では相手に与えるプレッシャーが今ひとつで角中の孤軍奮闘には限界があります。
短期決戦にはお祭り男が必須、細谷あたりが適任なのですがこちらもやや下り坂、それでもサード細谷を推したいです。
何はともあれ半年間お疲れ様でした、あともう一踏ん張りです、ここから世間が騒然とするKYな下克上に向けてまた走り出しましょう。
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◆10月5日(水) 千葉ロッテ−楽天25回戦(ロッテ16勝9敗、18時15分、QVCマリン、16,885人)
▽勝 スタンリッジ 27試合8勝8敗
▽敗 塩見 24試合8勝10敗
▽本塁打 三好3号(スタンリッジ)
▽バッテリー
千葉ロッテ スタンリッジ、西野、内—田村
楽天 塩見、濱矢、菊池、ミコライオ—足立
消化試合なので勝つに越したことはないものの大切なのは内容、そういう意味ではまずまずだったように思います。
唐川は立ち上がりに連続四球で不安定なところを見せましたが二回以降は変化球が決まっての5回58球での零封、上位チームに対するにはやはり球威が足りていないような感じもありますが、福岡でもつれるようなことがあれば中5日での第三戦がほぼ決まりでしょう。
これがもし炎上をしていたらスタンリッジが明日に投げるので中4日になりますからどうするつもりだったのか、とりあえずは考えないことにします。
一方でそのCSを勝ち抜くための鍵と落合コーチが力こぶのリリーフ陣は誰一人としてピシャリと抑えられなかったのが気がかり、間隔が空いて肩が軽すぎたのか抜けたようなボールが目立ったところをどう修正をするのか、あるいは明日に連投でもよいかもしれません。
打線は美馬の二桁勝利を粉砕したことでお腹いっぱい、併殺あり走塁死ありと相変わらずの決め手に欠く攻め方ではありますが、とりあえずヒットが出ましたのでホッと一息です。
頭部死球を食らった美馬に対する清田は内よりも、その内を意識しすぎの外のボールが課題になりそうな、ソフトバンクや日本ハムはきっちりと突いてくるでしょう。
そしてナバーロが使い物になりそうにもないことが分かったのも収穫、となれば細谷がサードで中村がセカンドなのか、いずれにせよ苦戦必至です。
そんな中で福浦が低めの落ちるボールを芸術的なバットコントロールでタイムリーを放ち、初回に先制をしながらも追加点が取れずにズルズルといってしまった試合が少なくなかっただけに貴重な一打、ノーアーチの五番は貧弱に過ぎますが、このバッティングを見せつけられればスタメン起用が濃厚です。
2005年には初芝が活躍をしました、短期決戦にはベテランの経験が必要ですので、その美しさを輝かせるポストシーズンとなることを期待しましょう。
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◆10月4日(火) 千葉ロッテ−楽天24回戦(ロッテ15勝9敗、18時15分、QVCマリン、15,026人)
▽勝 唐川 15試合6勝6敗
▽S 益田 61試合3勝2敗14S
▽敗 美馬 26試合9勝9敗
▽バッテリー
千葉ロッテ 唐川、藤岡、大谷、南、益田—金澤、田村
楽天 美馬、金刃—足立、伊志嶺
なんて思っていた今週の空模様は台風の進路からすればやや不安ながらも、週末時点の雨予報から回復基調で明日は晴れ、明後日も昼過ぎから試合前ぐらいまでに小雨が降るぐらいで開催には影響が無さそうな、ハズレてそれなりに降ってもおそらくは強行をするでしょうからレギュラーシーズンは明後日に終わります。
大逆転で三連覇を逃して、さらには松坂の大炎上で雰囲気は最悪なソフトバンクを叩くべく、ここは勢いを付けるためにも連勝で締めくくりたいところです。
降雨コールドにでもならない限りは最終戦セレモニーで伊東監督の意気込みが聞かれるはず、また千葉で会いましょう、そんな言葉を待っています。
その明日は山本一元監督の逝去により、喪章を付けてのプレーになるのではないかと思います。
不人気が極まった時期のロッテの監督を押しつけられたとも言われた山本一元監督は、12球団で唯一の最下位になったことがない記録に終止符を打つという不名誉な役回りとなってしまい、僅かに2年での退任に「村田と巡り会いたかった」との言葉が記憶に残っています。
最下位になったシーズンは右肘痛で村田は全休、サンデー兆治として復活をするのはその翌々年のことでした。
貧乏くじを引いた形になってしまい申し訳なく、そうなれば選手として15年を過ごした広島が優勝、そして監督を務めたロッテとの日本シリーズがいい供養になるでしょう。
それまでは負けられません、明日が唐川ですので福岡では涌井、石川、スタンリッジで臨むと思われ、とにかく打線の確変を願います。
初日の午後には龍野に、自分にとっては血のルーツの地です。
もっとも住んだことはありませんので子どものころの帰省の際の思い出しかなく、また本格的な史跡巡りはその帰省をしなくなった大学生になってからですので龍野よりは姫路、が正直なところでもあり、冠婚葬祭を除けば20年以上ぶりの里帰りを慌ただしく駆け抜けました。
まず目指すは龍野城跡ですが、その途中にあるのが家老門です。
龍野藩はほぼ脇坂氏が治めていた地で、寛政10年(1798年)の絵図では脇坂久五郎の屋敷地として描かれていますので一門なのか、城門であってもおかしくはない風格です。
たつの市の指定文化財で、保存を図るために平成13年に解体修理がされました。
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その家老門を左手に振り向けば、そこには龍野城の隅櫓が鎮座をしています。
左の写真が龍野城の鉄板ビューで、30分ぐらい車が停まっていたのを移動するまでじっと待っての撮影、ちょろちょろしていたのでプレッシャーをかけたかもしれません。
龍野城は赤松氏が山城として築いたのが初めで、しかしその後に破却、龍野藩主として入った脇坂安政が新たに平城として築城をしたものです。
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階段を上っていけば高麗門が、そこをくぐって左には山城跡への登り口がありましたが門扉は閉まっていて、案内板には柵の間から出入りしろとありながらも妨げるようにロープが張ってあり、乗り越えようとすれば乗り越えられる状態ではありましたが止めておきました。
そこから右手に行けば櫓門が、その規模からしても、あるいは龍野城の碑があることからしてもこちらが正面なのでしょう。
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さらに進んでいけば本丸御殿、脇坂氏の居城としての龍野城は江戸初期に築かれましたので「幕府に遠慮」というありがちな理由からか天守閣はなく、この御殿が藩主の居館です。
先の隅櫓、高麗門、櫓門と同じく再建がされたもので、この龍野城跡には当時の建物は遺されていません。
その奥にはたつの市立龍野歴史文化資料館がありましたが控えめな展示で興味を惹くものはあまりなく、15分ほどで見て回れるほどのものでした。
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次なるは小宅寺、脇坂氏の墓所があります。
しかし藩主の多くが京都の妙心寺に眠っていて、ここにあるは9代安宅、10代安斐のみです。
脇坂氏は賎ケ岳の七本槍でもある安治が家祖とも言えますが豊臣政権下では同じく七本槍の加藤清正、福島正則らほどの出世はできず、関ヶ原の合戦では西軍に属しながらも小早川秀秋の裏切りに呼応する形で大谷吉継らに襲いかかった一人であり、その子の安元がそれなりに一族がいながらも徳川譜代の堀田氏から養子を迎えての安政、途中でまた養子に入った安親も堀田氏ですし、早い段階から血の入れ替えがされて脇坂氏としては見る影もありません。
外様小藩としての生き残る道ではあったのでしょうが、血統フリークとして残念至極ではあります。
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その堀田氏の血の力なのか、5万石やそこらの小藩で従三位だ正三位だとの官位には驚かされました。
ただ脇坂氏としては従五位の格式だったところが8代安董が老中となったことが理由か従四位に、やはり老中を務めた安宅も従四位、藤堂氏から入った安斐は維新後に子爵に叙されたことでの正三位なのか、いずれにせよやはり破格という感じがしないでもありません。
写真は上段左から安宅、安斐、安之、安善で、安之の右にちろっと写っているのが壽です。
安宅の子の安煕が幼かったことで中継ぎで入ったのが安斐、よって長じた後に安煕が継ぎ、その子が安之、安之の父が壽のようですから安煕=壽であれば写真を撮り損ねたのが痛恨、安善は安之の長男ですが跡を継いだのは研之ですので早世をしたのかもしれません。
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龍野の最後は城門巡りです。
解体をされた城の城門が寺院などに払い下げられるケースは少なくなく、ここ龍野でも4寺院の山門として遺されていました。
因念寺は大手門、浄栄寺はすかし門、光遍寺は不明、蓮光寺は錣坂門が移設をされたもので、それぞれ瓦に脇坂氏の家紋である輪違いが刻まれています。
かなり老朽化をしているものもあれば真新しさを感じさせるものもあり、その後のメンテナンスの差なのでしょうが、どちらがよいのか、微妙ではあります。
写真は上から因念寺、浄栄寺、光遍寺、蓮光寺です。
【2016年8月 兵庫、大阪の旅】
白い白鷺城
白い白鷺城 旅程篇
白い白鷺城 旅情篇
白い白鷺城 京セラドーム大阪篇
白い白鷺城 史跡巡り篇 赤穂の巻
白い白鷺城 史跡巡り篇 明石、尼崎の巻
白い白鷺城 史跡巡り篇 姫路の巻 姫路城の章
白い白鷺城 史跡巡り篇 姫路の巻 黒田官兵衛の章
白い白鷺城 グルメ篇
白い白鷺城 スイーツ篇
白い白鷺城 おみやげ篇
他の選手よりも早く戦力外と報じられながらも昨日に発表とはならなかった大松が、一日遅れの通告をされました。
功労者だけに球団との話し合いが長引いたのか、しかし本人は現役続行の可能性を捨てずにチャレンジをするとのこと、ただ来季に35歳、今季を含めてのここ数年の低迷、そしてアキレス腱断裂はまだ完治に至らず、相当に厳しいことは本人も分かっているはずです。
黒木、堀がそうだったように、結局は伊藤とともにユニフォームを脱ぐことになるのではないかと、残念ながらそうなってしまえば球団にはスタッフとしての雇用、またオープン戦での引退セレモニーなどの配慮を、正直なところ温情での来季があると思っていましたのでそこは伏してお願いをしたいです。
これでここまでの退団は9人でナバーロがどう転がるかを除けば終わりでしょう、FAには参戦をせず、インディアンス3Aの村田なんて名前が出ても国内復帰ともなれば地元阪神かソフトバンクあたりで決まりではないかと、そうなればトライアウトで中途半端な選手を獲るぐらいであればドラフトに注力をするにしくはありません。
仕方なく捕手を外野で起用するなんて恥ずかしいのは勘弁、二軍が普通に試合ができて、選手たちが競い合える環境作りぐらいはやってください、最低限のマナーです。
懐かしいけど今さら感があるのも正直なところです。
ファミコンはかなり遊びましたし自分にとってのテレビゲームの原点でもあるのですが、さすがにこれを買って遊ぼうとは思いません。
ただでさえロッテだ!映画だ!読書だ!史跡巡りだ!と時間が足りない毎日なわけで、ゲームは買うだけ買って棚の肥やしになっているのが実情だったりもします。
これが定年で時間が余りまくればまた話は違うのですが、天から神が降りてこずに黙々と働くしかない身としては贅沢すぎる逸品です。
手のひらサイズのファミコン「ニンテンドークラシックミニ ファミコン」発売決定 (9/30 GAME Watch)
任天堂は、家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」の本体サイズを約60%に縮小した「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」を11月10日に発売する。
価格は5,980円(税別)。
本製品は、かつて1983年の誕生以来ゲームの歴史の一端を担ってきた「ファミコン」を手のひらサイズ(実機の約60%)で再現したもの。
以前の記事でお伝えした「NES CLASSIC EDITION」の日本版が登場した形となる。
「マリオブラザーズ」や「パックマン」、「ギャラガ」といった往年のタイトルを30本収録。
HDMIケーブルを用いてモニターと接続することで収録されたタイトルをプレイすることができる。
本体には当時のファミコンと同じようにコントローラーが2つ付属する。
給電は付属のUSBケーブルを用いて、別売りのACアダプターやUSB電源供給機器と接続して行なう。
USB接続端子のついたテレビ等からの給電も可能。
本製品にファミコンカセットを挿し込んで遊ぶことはできない。
また、ダウンロード等でのソフトの追加も不可。
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ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ |
HDMI接続ですのできれいな画像でプレイができそうですが、そもそもがドット絵ですので大画面テレビに耐えられるかどうかも気になります。
それでもやはり大人気のようで、予約開始となった当日から売り切れの店舗が出始めて、翌日にはもう正価で手に入るところが無くなっているお祭り状態です。
さっそくにヤフオクなどでは転売厨の出品がぞろぞろと、限定品との話もないようですから焦らずともよいのでは、とは思うものの、そのあたりがゲーマー魂なのでしょう。
PlayStationVRとどこか似ている構図のような、こちらも気にはなっていますが現時点で手を出すつもりはありません。
この狂想曲がいつまで続くのか、なかなかリタイアができない我が身の不幸を呪いつつ、まったりと見守ることにします。
CSを前にしてレギュラーシーズンも終わっていませんが、第一次戦力外通告が発表となりました。
伊藤、木村、川満、吉原、香月良、青松の6人で、予想としては木村、吉原、黒沢、金森、青松でしたが驚くような名前はありません。
ただ哀れなのが川満、先日に落合コーチの「CSが決まったら上で投げさせる」とのコメントが報じられただけに、まさに天国から地獄といったところでしょう。
それが誤報だったのか、あるいは球団と現場との意思疎通に欠いていたのかは分かりませんが、かなり後味が悪いです。
もっとも川満、本格的に試合で投げられるようになったのが今季ですのであともう少しぐらいは、と思わないでもないですが、逆に言えば素材型ではありながらも大卒4年目でのそれでは厳しすぎるのも現実、中後がそうだったので川満も待ったなしと見ていましたから、踏み止まるには光るものを見せられなかった一年ではありました。
無償の愛を捧げるべき木村もベンチの我慢が足りなかった感は否めませんが、グッとくるような片鱗のようなものを見られなかったのも正直なところです。
その入団に至るまでの経緯から本人が望めばスタッフとして球団に残れるのではないかと思いますが、どうやら現役続行を模索しているようです。
吉原はルーキーイヤーのナマ初見でガッカリとしてしまった印象を払拭できないままの僅かに3年、名門トヨタとの関係が心配にもなりますがボリューム感の無さはどうにもならず、プロ入り前、そしてプロ入り後の度重なる故障がその資質を削いでしまったのでしょう。
やはり現役続行を望んでいるようですが、何となく、打撃投手兼スコアラーへの転身となるような気がします。
香月良は大丈夫かよ、が中継ぎ陣の現状を見ての本音でもあり、こつこつと積み上げてきて昨年にプチブレイクをしての今季は一軍、二軍ともに豪快な躓きですので分からないでもないですが、香月良なら金森じゃないの、とは思い入れの差なのかもしれません。
這い上がりのタイプはどうしても応援をしたくなりますし、ヤクルトあたりが声をかけてくれるのではないかと期待をしています。
唯一の野手の青松は三塁チャレンジが実を結ばなかったのが痛かった、福浦に井口という名前が並ぶところに直接のライバルが井上ともなれば仕方のないところではあります。
やや意外だったのが伊藤、故障からの復帰の過程ですのでもう一年の猶予があるかと思っていたのですが、年齢的なところも大きかったのでしょう。
一部にやはり戦力外と報じられた大松とともに功労者ですから、ユニフォームを脱ぐことになれば来春のオープン戦での引退セレモニーがあるのではないかと思います。
そしてフェニックスリーグへの派遣メンバーも発表となり、伊志嶺の名前が無いのが気にはなりますがここから第二次戦力外通告がされるとは思えませんので、引退を発表したサブロー、兵役に就く李大恩とで退団は8人、現有戦力は58人ですので今春が64人からスタートをしたことを考えれば、ドラフトでは6人ぐらいの指名になるのでしょう。
そのフェニックスリーグの野手の貧弱さを考えればそれでは戦えず、育成枠を含めて10人程度は欲しいのですが、球団を取り巻く環境からしてあまり期待ができそうにもありません。