電脳筆写『 心超臨界 』

自分の人生を変えられるのは自分だけ
代わりにできる人など誰もいない
( キャロル・バーネット )

◆日露戦争における日本の勝利が支那の崩壊を食い止めた

2024-06-22 | 05-真相・背景・経緯
日露戦争で日本がロシアを阻止できなかったら、支那の国土はロシア、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスの軍隊による領土分捕り合戦の舞台となり、支那人は列強の兵士らの軍靴によって蹂躙(じゅうりん)されるところだった。イギリスやアメリカなどは、そんな事態の出現を手ぐすね引いて待っていたはずである。日露戦争における日本の勝利の最大の受益者は支那である。しかし、支那は解体を阻止してくれた日本に感謝したことがない。


◆日露戦争における日本の勝利が支那の崩壊を食い止めた

誰が「南京大虐殺」を捏造したか[2]/古荘光一・フリージャーナリスト
『WiLL』2012年3月号、ワック出版、p284 )

義和団事変のどさくさに、ロシアは満州を占領した。朝鮮侵入を狙っており、木こりなどに変装した兵士をもぐり込ませ、辛丑条約締結後も撤兵しなかった。これが日露戦争を招き、日本が勝った。

もし日本が負けていたら、ロシアは朝鮮を取り、やがては日本に矛先を向けただろう。

こう書くと、サボタージュ派の歴史学者は「ロシアにそんな計画はなかった」と言い出すに違いない。たしかにそんな計画をしたためた文書はなかっただろう。しかし、日露戦争直前の状況は、そんな想定を可能にするものだった。

日露戦争の意義はこれだけではない。ロシアは当然、満州以南の支那にも進撃し、北京を占領した公算が大きい。

支那はすでにイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本といった列強に侵食され、清朝の実質支配区域は狭くなっていた。首都の北京にはロシア軍が迫り、すぐ近くにドイツ、イギリスが勢力を扶植済みだった。そのうえ、アメリカも支那に入り込む機会をうかがっていた。

そんな情勢の中でロシアが南方に侵入すれば、清朝は崩壊し、曲りなりにも認められてきた支那の主権は吹き飛ぶ。

これは歴史の「イフ」といってすませられない。ロシアが満州に入り込む以前に、英米ではすでに支那の解体が論じられ、『支那の自壊』とか『支那の解体』と題した書物がニューヨークやロンドンで出版されていた。

日露戦争で日本がロシアを阻止できなかったら、支那の国土はロシア、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスの軍隊による領土分捕り合戦の舞台となり、支那人は列強の兵士らの軍靴によって蹂躙(じゅうりん)されるところだった。イギリスやアメリカなどは、そんな事態の出現を手ぐすね引いて待っていたはずである。

日露戦争における日本の勝利の最大の受益者は支那である。しかし、支那は解体を阻止してくれた日本に感謝したことがない。
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