電脳筆写『 心超臨界 』

人格は自らを守る守護神
( ヘラクリトス )

歴史とは何か――西尾幹二教授

2024-08-14 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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歴史という定まった事実世界を把握することは誰にもできない。歴史に事実はない。事実に対する認識を認識することが歴史である。それは私たちが絶え間なく流動する現在の生をいったん遮断し、瞬間の決定を過去に投影する情熱の所産である。相対性の中での絶対の結晶化である。


『国民の歴史 上』http://tinyurl.com/mtrmbzp
( 西尾幹二、文藝春秋 (2009/10/9)、p27 )

歴史とは何か、についてとかくに誤解がある。事実の追求や確認を歴史と思っているレベルがまずある。客観的な動かない過去の事実というものが存在し、それを論証するのが歴史家の仕事だ、というわけだが、これはあり得ない話である。客観的な動かない過去の事実というものは地上にたくさんあって、歴史家がその中の一つの事実を選んで論証しようとすれば、そのときにたくさんの他の事実は捨てていて、一つを選んでいる。選択は評価である。こうして書かれた歴史はすでにフィクションなのである。

一行たりとも証拠がないことは書かないと言って憚(はばか)らない歴史家がよくいるが、とんでもない嘘つきで、証拠があろうとなかろうと、なにかを探求するときにはなんらかの予想を立てなければ始まらない。あるいは、なんらかの仮説に依存しなければ証拠を見つけようとすることもできない。つまり主観がなければ客観に近づくこともできない。もちろん歴史家はデタラメを書けばよいというのではなく、できるだけ確実な事実に立とうとするわけだが、過去を認識しようとすれば少なくとも何らかの前提にとらわれざるを得ない。無前提の認識ということは人間の身には起こらない。

その前提には、歴史家個人の好みや才能、性格や気質といった人間的尺度も含まれる。彼が生きている時代と社会を蔽(おお)っている通念、宗教的ドグマ、政治的イデオロギーも当然関係してくる。人はなにかに支配され、そのパラダイム(認識の枠組)の中ではじめて認識ということを可能にするとも考えられる。偏見こそが認識の母である、と言った思想家もいる。解釈学者のガーダマーは先入見はものごとの理解の条件であると言っている。

要は、主観とか客観とかいっても、そのスケールの問題である。大いなる主観はひとまず同時代の認識の枠組み(パラダイム)に縛られ、それによって認識を促進するけれども、しかし結果として、いつしか認識の枠組みを打ち破って、ちっぽけな客観にとらわれている凡百の歴史家の眼に見えない地平を切り拓くことに成功しているということがある。

モンテーニュは『エセー』の中で「私は非常に単純な歴史家か、または群を抜いてすぐれた歴史家が好きだ」と言っている。単純な歴史家は自分の知った事柄のすべてを拾い集め、誠実に記録し、へたな選択や判断をせずに後世の理解のために材料をそっくり手つかずのままに残してくれる。他方、非常にすぐれた歴史家は、知っておく価値のあるものが何であるかを選び出す能力をもっていて、目の前に二つの報告文があればどちらがより真実であるかを直観的に見抜いて、選び出してくれる。そして、「以上二つの部類の中間にある連中が(これが一番普通にある部類だが)すべてをダメにしてくれるのだ。……自分たちは判断をくだす権利があると彼らは思っている。その結果、歴史を自分たちの勝手な考え方へ傾かせる。」(「書物について」)

いまだに西洋中心史観や中国文明優越史観や薄められたマルクス主義や東京裁判史観などの認識の枠組みにとらわれ、それを破れないでいるわが国の歴史学者の多くは、さしずめここでいう「二つの部類の中間にある」「すべてをダメにしてくれる」連中であろう。

( 中略 )

私たちは高い山を遠くに望みながら歩けば、角度により、近景のいかんにより、季節により、時刻により山が異なった印象を与えることを経験している。歴史はわれわれが歩くことによって異なってみえる高い山の光景に似ている。

日本史に起こった客観的な諸事実、その年代記的な諸事実は紛れもなく動かずに存在するものである。それが高い山であるとしたら、それが歴史なのではなく、歩くことで現在の私たちの目に新しい光景として映じている山の映像こそがまさに歴史である。

本書には、葛飾北斎の冨嶽三十六景の中から3枚の絵を掲示している。思い切った譬(たと)えを申し上げるなら、富士山は動かない存在、歴史上の客観的な事実である。しかしそれを知ることは誰にもできない。遠望できるだけである。北斎は現在の自分の置かれたポジションの条件を幾重にも組み替えることで、すなわち自分を相対化することで、富士の姿の絶対化を図ろうとした。それは数限りない冒険であり、知的実験であった。

セザンヌも同様に何の変哲もない、ただの岩塊から成るサント・ヴィクトワール山を36枚も描いた。季節により、時刻により、山は絶え間なく変容して見えた。しかし山の形姿そのものが大きく動くわけではない。同一の山をくりかえし描くなどということは西洋美術の伝統にはなく、セザンヌは北斎からこの実験のヒントを得たに相違ないが、二人に共通するきわどい、執拗で大胆な試み、届き得ない不動の山に、自分をばらばらに解体させる視点の多様化で接近しようとした実験精神こそ、ほかでもない、歴史家が歴史に立ち向かう際のあるべき精神に相似た理想の比喩なのではないだろうか。

歴史という定まった事実世界を把握することは誰にもできない。歴史に事実はない。事実に対する認識を認識することが歴史である。

それは私たちが絶え間なく流動する現在の生をいったん遮断し、瞬間の決定を過去に投影する情熱の所産である。相対性の中での絶対の結晶化である。
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