電脳筆写『 心超臨界 』

ひらめきを与えるのは解答ではなく質問である
( ウジェーヌ・イヨネスコ )

窮地でこそ活路が開ける「背水の陣」――韓信

2024-05-26 | 05-真相・背景・経緯
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「たとえば、死にもの狂いの賊が一人、荒野にのがれたとする。これに千人の追手をさし向けたとしても、ビクビクするのは追手のほうである。なぜなら、賊が突然姿を現わして襲いかかってくるかもしれないからだ。このように、たった一人の賊でも命を投げ出す覚悟を固めれば、千人を震(ふる)えあがらせることができる。今、五万の兵士をこの賊のように仕立て、それを率いて敵を討てば、どんな大軍でも撃ち破ることができよう」


『「孫子の兵法」がわかる本』
( 守屋洋、知的生きかた文庫、p220 )

◆窮地でこそ活路が開ける「背水の陣」

《コレヲ亡地(ボウチ)ニ投ジテ然(シカ)ル後(ノチ)ニ存(ソン)シ、コレヲ死地(シチ)ニ陥(オトシイ)レテ然(シカ)ル後(ノチ)ニ生(イ)ク》
[訳]兵士を絶対絶命の窮地に追いこみ、死地に投入してこそ、はじめて活路が開ける。

人間死ぬ気になれば、できないことはない。

将軍の呉起(ごき)もこう語っている。

「たとえば、死にもの狂いの賊が一人、荒野にのがれたとする。これに千人の追手をさし向けたとしても、ビクビクするのは追手のほうである。なぜなら、賊が突然姿を現わして襲いかかってくるかもしれないからだ。

このように、たった一人の賊でも命を投げ出す覚悟を固めれば、千人を震(ふる)えあがらせることができる。今、五万の兵士をこの賊のように仕立て、それを率いて敵を討てば、どんな大軍でも撃ち破ることができよう」

兵士を死ぬ気で戦わせるには、死地や亡地に投ずることだと『孫子』はいう。

これを実戦に適用して成功を収めたのが、漢(かん)の劉邦(りゅうほう)に仕えた韓信(かんしん)という将軍である。

彼が劉邦の命を受けて趙(ちょう)の攻略に向かったときのことだ。韓信の軍はわずかに一万、これに対し趙の軍勢は二十万、しかも要害の地に堅固な陣を布いて待ちかまえている。まともに攻めたのでは、勝ち目がない。

一計を案じた韓信、総攻撃の前夜、二千の軽騎兵選抜し、全員に赤旗を持たせて、趙軍の陣を見おろす山かげにひそんでいるように命じ、

「よいか、明日の戦闘では、わが軍はいつわって敗走する。敵は砦(とりで)を空っぽにして追撃してくるに違いない。諸君はその隙に敵の砦にはいりこみ、趙の白旗を抜いて漢の赤旗を立てるのだ」

と旨をふくめた。

そうしておいて残った主力軍に移動を命じ、趙軍の前面に流れる河を背にして布陣した。朝になって、それに気づいた趙軍はあっけにとられ、そして手をたたいて笑った。兵法の定石を知らないというわけである。

韓信は、いさいかまわず一隊を率いて攻撃をかけた。趙軍も砦を出て応戦する。が、韓信はいいかげん戦ったとみるや、さっと後退して河のほとりの自陣に逃げこんだ。趙軍は砦を空にして追撃してきた。

なにしろ韓信の軍は河を背にしているので、それ以上逃げ場がない。ここを先途と防戦につとめたので、優勢な趙軍ももてあましてしまった。

ふと後を見ると、自軍の砦には漢の赤旗が翻(ひるがえ)っているではないか。攻めている趙軍のなかに、さっと動揺が走る。

そこを韓信は、前後から挟撃してさんざんに撃ち破った。

戦いを終わってから、配下の部将たちが、

「兵法には、山を背にして水を前にして戦えとあります。しかるにこのたびの戦いは、水を背にして戦いながら大勝利を収めることができました。私どもにはさっぱりわけがわかりません」

とたずねたところ、韓信はこう答えたという。

「いや、いや、これも立派な兵法なのだ。その証拠に、『おのれを死地において、はじめて生きることができる』と、兵法書にもあるではないか。それを応用したのが、このたびの背水の陣じゃ。なにしろわが軍は寄せ集めの軍勢ゆえ、これを生地においたのでは、ばらばらに解体してしまう恐れがある。だから、わざと死地においてみたのじゃ」

有名な「背水の陣」の故事は、『孫子』のこのくだりの応用だったのである。
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