電脳筆写『 心超臨界 』

人格は自らを守る守護神
( ヘラクリトス )

ラバウルの楽園で終戦を迎え、現地除隊を申し出る――水木しげる

2024-08-14 | 04-歴史・文化・社会
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水木サンはほかの日本兵と違って威張らないし、ぼんやりしたところが気に入られたのでしょう。「パウロ」という名前までもらって、破格の待遇です。大の仲良しになったのがトペトロ。賢い少年でした。エプベという少女は美人でした。しかし、もう人妻でした。酋長(しゅうちょう)代行の老女、エカリアンにはとりわけ良くしてもらいました。


◆「ラバウルの友人たち――この世の楽園に巡り合えた」
漫画家・水木しげる[5]
(「こころの玉手箱」2007.06.29日経新聞(夕刊))

ラバウル(パプアニューギニア)でなまけ二等兵だった水木サン(水木氏の場合、これが一人称)は敵機の爆撃で左腕を失い、最前線から離れた、ナマレという所の野戦病院に移されました。

ジャングルの中です。時たま来る敵機の襲撃にさえ気をつければ、のんきな暮らしです。軽作業を終え、空き腹を抱えてボーとしていると、土人(水木語では、大地とともに暮らす人という尊敬語)たちが戦争なんかどこ吹く風の風情でのんびり道を歩いている。トライ族の人たちでした。

集落を訪ねると、水木サンがベビーのころからの理想だった悠々たる暮らしぶりでした。畑をつくり、食べる分だけ取ってくると、あとはおしゃべりしたり、昼ねしたり。夜は虫たちのオーケストラを聴きながら満点の星空を眺めて過ごす。この世の楽園でした。

水木サンはほかの日本兵と違って威張らないし、ぼんやりしたところが気に入られたのでしょう。「パウロ」という名前までもらって、破格の待遇です。大の仲良しになったのがトペトロ。賢い少年でした。エプベという少女は美人でした。しかし、もう人妻でした。酋長(しゅうちょう)代行の老女、エカリアンにはとりわけ良くしてもらいました。

やがて終戦。上官に現地除隊したいと言うと、「両親に元気な顔を見せてやれ」と説得され、いったん日本に戻って出直すことにしました。みんな熱心に引きとめてくれ、送別会まで開いてくれました。

帰国後は食うのに追われ、再訪できたのは1971年のことでした。トライ族の村をやっと探し当ててトペトロと再会。彼は酋長になっていました。それから何度も訪れ。愉快に過ごして友情を温めました。

92年にトペトロはあの世に旅立ちました。水木サンが主宰してトライ族式の葬式を出したのです。

永住しようと本気で考えていた、この世の楽園も変わりました。電気が来て、道路ができ、商業が入り込んで、みんな忙しくなった。もう昼寝なんかできません。やっぱり楽園はあの世にしかないのかなあ、と思う今日このごろです。
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