§3 日米戦争によってアメリカは日本を侵略した
◆日本軍の兵士たちの耐えた困苦は、圧倒的な感動を呼び起こした――ドナルド・キーン
「ガダルカナルを餓島と呼んだ日本軍の兵士たちの耐えた困苦は、圧倒的な感動を呼び起こした。アメリカ軍の兵士の手紙には何の理想もなく、ただ元の生活に戻りたいとだけ書かれていた」「大義のために滅私奉公する日本人と、帰郷以外のことにはまったく関心を持たない大部分のアメリカ人。日本の兵に対して賛嘆を禁じえなかった。そして結局、日本人こそ勝利に値するのではないかと信じるようになった」。日本軍は補給を完全に断たれ、餓死する兵士が続出した。だがキーンは、まさに超人的な精神力で戦った日本兵を目の当たりにした。
『連合国戦勝史観の虚妄』
( ヘンリー・S・ストークス、祥伝社 (2013/12/2)、p211 )
ドナルド・キーンは、2012(平成24)年に、日本国籍を取得した。「余生を日本で暮らす」という宣言は、広く報じられた。日本外国特派員教会で特派員との会が持たれた際には、私が司会を務めた。
キーンは16歳で奨学金を受け、コロンビア大学に入学した。厚さのわりに安かったという理由で、アーサー・ウェイリーが訳した『源氏物語』を買った。これが出会いとなって感動して、日本語を学び始め、日本研究に打ち込んでいった。
1942(昭和14)年に、コロンビア大学で学士号を取得し、アメリカ海軍日本語学校に入学した。そこでは完全な「缶詰教育」で、英語厳禁のなかで、日本語の本を読み、レポートを書き、授業以外も一日中ずっと日本語で過ごした。
語学に戦争の勝敗がかかっていた。最前線に送られるから、命を賭した研修だった。
研修後は情報将校として、太平洋戦線で通訳を務めた。日本軍捕虜の聞き取り調査をし、日本兵の遺体から奪った日記や、手紙を訳した。それらの手紙や日記は血まみれで、異臭を放っていた。腐敗した遺体から奪ったものだった。
翻訳は、日本軍がどのような現状に置かれているか、どのような戦闘行動に出てくるのか、それを知るのが目的だった。日本軍にとって何が有利で、不利かつかむためだった。
キーンは、それらから日本人の気高さに、打たれた。著書『日本との出会い(ミーティング・ウィズ・ジャパン)』のなかで、述懐している。
「ガダルカナルを餓島と呼んだ日本軍の兵士たちの耐えた困苦は、圧倒的な感動を呼び起こした。アメリカ軍の兵士の手紙には何の理想もなく、ただ元の生活に戻りたいとだけ書かれていた」
「大義のために滅私奉公する日本人と、帰郷以外のことにはまったく関心を持たない大部分のアメリカ人。日本の兵に対して賛嘆を禁じえなかった。そして結局、日本人こそ勝利に値するのではないかと信じるようになった」
日本軍は補給を完全に断たれ、餓死する兵士が続出した。だがキーンは、まさに超人的な精神力で戦った日本兵を目の当たりにした。
20歳にも満たない兵士も多くいた。彼らは親兄弟から遠く離れた戦地で、勇敢に戦って、命を落としていったのだった。
キーンは自分を平和主義者(パシフィスト)としているが、それは戦場の体験に基づいていた。
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