電脳筆写『 心超臨界 』

明日への最大の準備はきょう最善を尽くすこと
( H・ジャクソン・ブラウン・Jr. )

木綿のシャツが風に翻るような清潔な感動――茨木のり子

2024-07-14 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
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茨木のり子さんは、50を超えてから韓国語を本格的に学びました。私は、仕事のきっかけで44歳から韓国語を学び始めました。その私の韓国に向かう心を力強く後押ししてくれたのが茨木さんの「ハングルへの旅」でした。おかげで私は今、ソウルに暮らし、韓国の会社に勤務しています。


◆木綿のシャツが風に翻るような清潔な感動――茨木のり子

「詩歌のこだま――茨木のり子の詩と思索」 小池昌代
( 2006.05.07 日経新聞 )

今年、2月、くも膜下出血で、詩人の茨木のり子さんが亡くなった。79歳。雑誌の追悼特集号に載った写真を見ると、まさに戦後現代詩の「原節子」。

詩も清潔な美貌を誇るもので、陰や謎がない。だが、19歳で終戦を迎えたひとである。その言葉には、木綿のシャツが風に翻るような清潔な感動があり、弱き心を抱くひとを、底のほうからざっくりと、さりげなく救う力があった。

死後、長谷川宏氏と共著の、『思索の淵にて 詩と哲学のデュオ』(近代出版)が刊行された。茨木さんの詩から、ヘーゲルについての著作で知られる在野の哲学者・長谷川宏氏が、自在に思索を広げていく。詩に寄り添うよりも、詩から遠く離れ、時には、詩にゆさぶりをかけるようなとき、副題の「デュオ」に相応(ふさわ)しい音楽が響く。

たとえば、ある詩で、茨木のり子は父権制に異を唱え、「世襲を怒れ/あまたの村々/世襲を断ち切れ」と主張している。それを受ける長谷川氏は茨木さんより、14歳年下、父の商売を継がなかった息子である。その父のサビシサに思いを広げたあと、現代日本の、世襲から解放された親子の新しい親愛関係について思いをめぐらす。

ある時代に書かれた詩が、こうして別の時代のなかでふくよかに読み継がれ、詩のまっすぐな「主張」が、思わぬ屈折を伴って、読者の胸に、もう一度戻ってくる。詩はいきっぱなしの「矢」だが、思索はそれを、再び手中に戻す作業なのだ。

また、「あのひとの棲(す)む国」は、韓国の女性詩人との爽やかな交流が描かれた詩。長谷川氏にとって韓国は近くて遠い。侵略の歴史を考えるとき、なかなか行く気にはなれない国だ。おそらく思いは同じであったろうが、詩人のほうはその距離を思惑なく飛び越えて、女同士、慎ましくあたたかく、経緯の距離を保ちながら向き合う。

茨木のり子は50を超えてから韓国語を本格的に学び、『韓国現代詩選』(花神社)や『ハングルへの旅』(朝日文庫)という紀行文も残した。翻訳書のほうは、まるで茨木のり子を読むような一冊だし、紀行の散文は、詩の教訓臭が苦手な読者も、素直に心を開くに違いない魅力がある。韓国とこの詩人との関わりには、人肌が触れ合う温かさがある。
  (詩人)

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