電脳筆写『 心超臨界 』

あなたはこの世で
自らの能力を使用できるただひとりの人
( ジグ・ジグラー )

用意ができたとき師が現われる 《 裕次郎との縁――なかにし礼 》

2024-06-22 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。


『太平洋ひとりぼっち』の中で、ハワイ沖で嵐に見舞われ、水をかき出してほっとしたところに、「王将」が聞こえてくるシーンがあるではないですか。「日本の皆さん、これからハワイ放送です」とか、短波か何かで……。村田英雄の「王将」が流れてくる。すると、石原裕次郎が、映画では堀江謙一が、「♪吹けば飛ぶような 小さなヨットに賭けた命を 笑わば笑え」と涙ぐみ、嵐の静まったヨットの中でベッドに横になるシーンがある。そのときに僕、相当ジーンときたんですね。それで、これはちょっと日本の歌を書いてみるのもいいかなあと思って、それからやおら書きはじめたのですよ。


◆裕次郎との縁

「東京の窓から世界を」
( 石原慎太郎、PHP研究所、p8 )

【石原】 皆さんに知っていただきたいんだけど、あなたと裕次郎との縁(えにし)っていうのは変なんですね。

【なかにし礼】 僕と裕さんとの縁というのは、ほんとうに、天の配剤だと思う。あるホテルに僕が新婚旅行で行ったわけです。すると、裕さんが『太平洋ひとりぼっち』の撮影で来ていて、バーで飲んでいた。で、あまたのカップルがロビーにいる中で僕を見つけてくださった。

【石原】 いや、若き日の礼さん、やっぱりカッコよかったんだね。

【なかにし】 たぶん(笑)。退屈しのぎに、たくさんいるカップルの中で誰が新婚カップル賞かということを決めていたらしいのです。で、僕たちが入っていって、僕と目が合い、指でこうして「ちょいちょい」と呼ぶんですよ。「僕ですか?」って尋ねると、「うん」と頷いたので、行きました。

「お前、何やってんだ?」ときかれたので、「シャンソンの訳詩をやってる」と。そうしたら、「日本の歌を書けよ。書いて俺のところに持ってきたら、俺が売り込んでやるよ。俺が歌うわけにはいかないけどよ」と言われましてね(笑)。

【石原】 偉そうだね(笑)。

【なかにし】 それは、偉かったですよ、あの頃。そこで僕は真に受けて、ほんとに作詞作曲して持っていったのです。一年後ぐらいですけどね。そしたら、言われましたよ。「俺が声かけて、ほんとに真に受けて来たのは、八代英太とお前だけだ」って。

八代英太さんは、福岡かどこかのキャバレーの司会者やっていらした。そこに裕さんが行って、「君、見所あるね。来いよ」って言ったんです。

【石原】 国会議員をやった八代君?

【なかにし】 そう、そう。八代さんはそれで上京してきて、裕さんの伝手(つて)で業界へ出たのです。

【石原】 あ、そう? へえー!

【なかにし】 八代さん、覚えていらっしゃると思いますよ。

僕もまともに受けて、非常に恥ずかしかったのですが、虎の門の、あの鉄の扉の石原プロモーションに行って、作詞作曲して自分の声で歌ったものを聴いていただいたのです。それでしばらく経ったら、それを石原プロの裕圭子(ひろけいこ)とロス・インディオスでレコーディングしてくださった。あの人のそうした仁義に厚く、約束を守るところに、僕はほんとうに感激しましたね。

【石原】 いや、世間はやっぱりいろんな才能を探しているから、彼だって、ある地位を得た人間としての責任だと思うし、並み居るハネムーンのカップルの中で、裕さんがあなたをナンバーワンとしたのは、やっぱり、ただルックスがいいとか、それだけじゃなしに、何か感じたんだろうな。あれ、なかなかの目利きだしね。

それがきっかけで、日本の歌を書くようになったの?

【なかにし】 まったくそうです。僕、じつは裕さんに会ったときは迷ってたのです。そのあとすぐ『太平洋ひとりぼっち』っていう映画が封切りされて、観に行ったのです。裕さんも別れ際に、「俺も一生懸命つくってるんだから、観てくれよ」っておっしゃいましたから、それまでも石原裕次郎の映画はほとんど観てました。その『太平洋ひとりぼっち』の中で、ハワイ沖で嵐に見舞われ、水をかき出してほっとしたところに、「王将」が聞こえてくるシーンがあるではないですか。「日本の皆さん、これからハワイ放送です」とか、短波か何かで……。村田英雄の「王将」が流れてくる。

すると、石原裕次郎が、映画では堀江謙一が、「♪吹けば飛ぶような 小さなヨットに賭けた命を 笑わば笑え」と涙ぐみ、嵐の静まったヨットの中でベッドに横になるシーンがある。そのときに僕、相当ジーンときたんですね。それで、これはちょっと日本の歌を書いてみるのもいいかなあと思って、それからやおら書きはじめたのですよ。
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