電脳筆写『 心超臨界 』

限界も恐怖と同じでしばしば幻想なのである
( マイケル・ジョーダン )

学術会議への警鐘――戸谷友則

2024-05-23 | 04-歴史・文化・社会
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軍事研究禁止は平和のため、戦争に科学が利用されないためだというが、軍事研究の是非については賛否さまざまである。軍事研究は戦争への道という人もいれば、戦争を抑止する安全保障のための軍事研究があり得るという人もいる。そもそも、一部の人たちの意見で全研究者に軍事研究を禁止することが許されるのであれば、時代が代われば、同じ制度のもとで逆に全研究者に軍事研究を強制することも可能となってしまう。


◆学術会議への警鐘――戸谷友則

【寄稿】「学問の自由」は政府から与えられたものか
学術会議への警鐘――戸谷友則・東大教授
(「The[考]」産経新聞 R02(2020).11.01 )

2年ほど前のことである。私が所属する日本天文学会では、日本学術会議が出した「軍事目的の科学研究を行わない」という声明への対応をめぐり議論していた。学術会議会員でもある重鎮の先生方が、声明に賛同する形で学会を少々強引にまとめようとしているとも感じられ、私は声明への批判と学術会議という組織の問題を指摘する意見記事を執筆した。学術会議が、画一的な価値観で全ての研究者を縛るのはおかしいと思ったからだ。

学術会議の新会員は会議内で選考され、政府に推薦される。誰がどのような根拠で推薦されたのか、一介の研究者には毎回何の説明も無い。偉い先生の私的なクラブであればそれもよいが、学術会議はすべての研究者の代表とされ、政府の内部機関として存在し、大学や研究者の行動を制限できるほどの力を持っている。その非民主的に選ばれたごく一部の研究者の団体が、全ての研究者に画一的な価値観を押しつけて、自由を縛ることが許されるだろうか。

軍事研究禁止の声明により、多くの大学は防衛装備庁の研究費助成に応募することを禁じ、それまでの研究が止まってしまう研究者もでてきた。

軍事研究禁止は平和のため、戦争に科学が利用されないためだというが、軍事研究の是非については賛否さまざまである。軍事研究は戦争への道という人もいれば、戦争を抑止する安全保障のための軍事研究があり得るという人もいる。

そもそも、一部の人たちの意見で全研究者に軍事研究を禁止することが許されるのであれば、時代が代われば、同じ制度のもとで逆に全研究者に軍事研究を強制することも可能となってしまう。

私はそう考えたのである。

◆もはや政争の具

今回、学術会議推薦の新会員候補6人を菅義偉首相が任命拒否したことが、「学問の自由」を侵すと批判されたが、その一方で学術会議が政治的に偏向しているという批判も聞かれた。この話になると、各々(おのおの)の政治的なスタンスが絡むので、現在の学術会議がどうであるかには踏み込まない。だが、一般論として、身内だけで長年人事を回している組織であれば、その意見分布が一般国民や研究者のそれから乖離(かいり)する恐れはある。さらには、政府機関でありながら政府すらも活動内容や人事に介入できないなら、学術会議が暴走したり、他国に利用されたりしたときに誰が歯止めをかけるのか。

実は、学術会議は予算数十億円を超える研究者たちの大型科学計画について実質的に強い権限を持っている。学術会議が統括する「マスタープラン」で推薦されなければ、計画の推進は難しくなるからだ。数多く提案される計画を公正に審査し、有限の予算に落とし込む作業はどこかで必要だ。だが、それを閉鎖的に選ばれた少数の研究者に任せてよいかは、注意が必要であろう。

2年前の天文学会での議論では、若手から「大型計画に関わっていると、学術会議を批判しづらい」という声も聞こえた。学術会議には各分野の重鎮がいるだけに、にらまれるのが怖くて批判するのは気が引ける、という気持ちは多くの研究者が持っているだろう(私もそれなりの勇気を要した)。

今回の任命拒否問題で、学術会議のこうした問題にも光が当てられたのはよかったと思う。一方残念に思うのは、一連の問題がもはや学術の問題ではなく、政権と野党の間での醜い政争の具と化していることである。これが日本の学術の発展にとってよいはずがない。純粋に学術の問題として、冷静な議論から将来の方向性が打ち出されることを私は望んでいる。

上に述べた諸問題は、学術会議が政府から独立した組織や法人となれば、実は概(おおむ)ね解決するのである。学術会議が研究者を統制する正当性は弱くなるし、政府の学術行政に過剰な介入をすることも抑えられる。政府は専門研究者集団である学術会議に意見を求めるが、従う義務は無いし、最終的な判断は政府が独立して行う。一方、会員の人選は学術会議の自由となり、任命拒否問題も解消する。会員選出や大型計画の評価の方法は、学術界で議論すればいい。

結局のところ、学術会議が政府の組織でありながら、政府から一切自由な活動を求めるから、ボタンのかけ違いが生じているのだ。学術と政府は適切な距離を取る必要がある。政府が学術に介入すべきでないことはもちろんだが、学術の側も、国民から選ばれた政府の行政に過度に干渉することは慎むべきだ。「政学分離」がきちんとできていないことが問題であり、現在の組織構造は学術の側が政府の領域に踏み込みすぎている。

◆なぜ独立しない

不思議なのは、なぜ学術会議自身が、政府から独立して自由に活動することを選ばないのか、である。欧米のアカデミーの多くは、政府からは独立した団体である。しかし学術会議は、過去に独立団体となることを政府側から提案されながら、自分の意思で政府組織として残ったとも聞く。政府組織でなければならない正当な理由があるのなら、学術会議は研究者と国民に説明すべきである。

ちなみに独立組織の欧米アカデミーも多くの場合、財源の一部は政府からの援助である。日本の学術会議でも完全民営化ではなく、例えば外郭団体として政府から資金援助を受ける形はあり得るだろう。ただ、それには学術会議の活動が広く国民に支持されていることが前提となる。多くの学会のように会費制を導入するなど、自分たちで運営資金を集める努力も必要だ。自由というものは政府から恵んでもらうものではない。ボランティアベースであれば、人件費は必要ない。主な運営コストは会議のための出張旅費だというが、オンライン会議が普及した今、大幅なコストカットも可能なはずだ。

会員候補の任命拒否をめぐり延々と不毛な議論を続けるのはやめるべきだ。政府の組織である限り、学術会議の人選に政府が一切口を挟むなという主張は無理がある。政府支持派・反対派が入ってきて泥沼の政治問題となり、本質を見失うだけだ。学術会議が独立すれば、学術の側は問題解決である。それでも今回の政府の行動を問いたいならば、それはもはや政治の問題であり、政治家とマスコミに任せればよい。学術の問題と政治の問題の切り分けが必要だ。

もちろん学術界と政府をつなぐ組織としての、学術会議の使命の再定義も必要だろう。初めに述べた軍事研究の問題に焦点が当たりがちだが、学術会議はもっと地味で様々な活動も行っており、正当に評価すべきものも多い。一方で、学術会議が個々の研究者の自由を縛るような権限は与えるべきでない。

学術会議は早急に、政府から独立した、真の学者の代表といえるような新しいあり方をまとめ、研究者と国民に示すべきである。そしてそれが、全ての研究者とオープンに議論したものであることを望む。すでに政府・与党内では、学術会議のあり方について検討が始まっている。学術会議の新しいあり方を政府に先を示されては、日本の学術界の面目が立たないではないか。学術会議の奮起を期待する。
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