電脳筆写『 心超臨界 』

歴史とは過去の出来事に対して
人々が合意して決めた解釈のことである
( ナポレオン・ボナパルト )

日本史 古代編 《 はたして、戦前に「学問の自由」はなかったか――渡部昇一 》

2024-06-24 | 04-歴史・文化・社会
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久米博士は、帝大退職後は自由な立場から古代日本について論じ、早稲田大学で教え、そこの発行の講義録にも率直な見解を示されたのである。この中には『日本書紀』の紀年の誤りなどの指摘もあったから、これは昔のキリスト教国でバイブルの誤りを指摘したり、今(昭和48年)の中国で『毛沢東語録』の誤りを指摘するのに等しい大胆なことであった。しかも明治政府は、このような活動に対して久米先生に文学博士という、当時としては最高の名誉ある称号を与えているのだから、立派と言うべきであろう。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p35 )
1章 神話に見る「日本らしさ」の原点
――古代から現代まで、わが国に脈々と受け継がれたもの
(2) 実証万能主義・戦後史学の陥穽(おとしあな)

◆はたして、戦前に「学問の自由」はなかったか

久米事件について注目すべき第二の点は、久米博士の論文が、最初『史学会雑誌』という学術雑誌に出たときは問題にならず、当時の言論界で注目を浴びていた田口博士の民間雑誌に出たときに、はじめて問題になったということである。

事実、『史学会雑誌』は創刊以来、ペンネームや匿名を用いないので、しかも執筆者が大胆な意見を出し合っていたので、久米博士の例の論文が問題になるぐらいなら、ほかにも問題になりそうなのがいくらでもあった。しかし学術雑誌の論文であるかぎり、神道派のイデオローグも何とも言わなかった。しかしオピニオン雑誌となると問題が別であった。

このことは、言論がきわめて窮屈であった戦争中にも、ほぼ当てはまっていたとのことである。私は、戦時中の大学のことは子どもだったから知らないが、当時のことを知っている人たちの話によると、ゼミナールなどでのデスカッションで不自由を感じることはない、と言う人が大部分である。

しかし、当時の一般の新聞雑誌では、天孫降臨が文字どおり信じられていたかのごとくであった。それで外国人は日本人が本当にそう思っていると思ったらしく、戦争末期に出たアメリカの雑誌の表紙にも天孫降臨図が描いてあり、この「神話の国をいかに目覚めさせるか」というテーマで特集をやっている。しかし、当時の大学で日本史をやっていた日本人の一人としてそれを信じていた者はなかろう。

「天孫降臨」はタテマエであり、日本人の祖先がウラル・アルタイ系の一部族を根幹とする混合民族であったらしいことは、少しでも学問をやった者の通念であった。

日本語の起源についても、東大の藤岡勝二教授、京大の新村出(しんむらいずる)教授、またアイヌ語の研究で名高い金田一京助教授など、日本の言語学の最高権威者たちが、ウラル・アルタイ説を唱えていたのである。「神勅(しんちょく)」に使われていた言葉が、シベリヤの土人の言葉と同系らしいというのでは、天孫民族も形なしである(神勅とは神のお告げ。特に天照大神(アマテラスオオミカミ)が天孫降臨のときに、ニニギノミコトに授けた言葉を指す)。

しかしこういう説を唱えたからといって、これらの言語学者が当局の迫害を受けたという話は聞いたことがない。それは問題が学界の範囲にとどまっており、国家のタテマエと庶民の目の触れるところで対立しなかったからである。

このように、学問論議にとどまる限りは体制によって大目に見られ、体制のタテマエに衝突すると禁圧されるという例は日本だけの問題ではない。

かのガリレオ問題は、その典型的なものであった。地動説を唱えたのは、なにも彼が初めてではない。地動説の元祖はコペルニクスであるが、彼に論文の出版をすすめたのは、ほかでもない時のローマ法皇クレメンス7世であり、コペルニクス自身はカトリックの司教に出世して平和な一生を終えているのだ(ついでながら言っておけば、コペルニクスの地動説をニュールンベルクで印刷しようとしたのに対し、それを不可能ならしめたのはルターやメランヒトンのような宗教改革者であり、そのためコペルニクスの論文はライプツッヒで出版されることになった)。

ガリレオが問題になったのは、地動説を用いてカトリック教会のタテマエ、つまり教義に口を出したからである。もっとも、しばしば誤って伝えられる伝説とは違って、ガリレオは拷問も受けなかったし、裁判中も身体が弱っている理由で投獄を免除されたし、判決後は、フロレンス郊外にある自邸に閉門ということになったが、よその学者との文通は自由であった。

このように学問の自由がありながら、体制のタテマエと衝突するときは抑圧するということは、世界中でよく見られることであり、その点、久米事件は日本独特の事件ではない。体制のタテマエと反対のことを学界の内のみならず、公然と表明できる国家は、現在においてすら、世界中に数えるほどしかなく、日本などは例外的に自由な国なのである。

自由の本尊であったアメリカですら、つい20年前ごろのマッカーシズムの時代(1950~54)は、大学でマルクス主義を唱えるわけにはいかなかった(注・上院議員のジョゼフ・マッカーシーが官吏や大学教授で容共的立場を採った者の摘発をやったので、この告発運動をマッカーシズムという)。

そして今でも、共産主義国で共産主義否定の言論を認める国は一カ国もないのであるし、西独のようにナチスで痛い目にあった国は全体主義を恐れて憲法に、つまり、タテマエに反対する結社を認めていない。だから現在の日本という史上空前とも言うべき自由国家の立場から久米事件をあまり手厳しく批判することはフェアでなかろう。

久米博士は、帝大退職後は自由な立場から古代日本について論じ、早稲田大学で教え、そこの発行の講義録にも率直な見解を示されたのである。この中には『日本書紀』の紀年の誤りなどの指摘もあったから、これは昔のキリスト教国でバイブルの誤りを指摘したり、今(昭和48年)の中国で『毛沢東語録』の誤りを指摘するのに等しい大胆なことであった。しかも明治政府は、このような活動に対して久米先生に文学博士という、当時としては最高の名誉ある称号を与えているのだから、立派と言うべきであろう。
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