電脳筆写『 心超臨界 』

歴史とは過去の出来事に対して
人々が合意して決めた解釈のことである
( ナポレオン・ボナパルト )

悪魔の思想 《 言論界を牛耳りつづけた売国奴たち――谷沢永一 》

2024-06-24 | 04-歴史・文化・社会
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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このようにして、国を売る輩が言論による圧力を加えたため、新聞とテレビにたいへん弱いわが国の政府は、新聞論調の言いなりになって、世にも卑屈な恥ずべき謝罪外交へと、一瀉千里(いっしゃせんり)に傾いていきました。健全な良識を持つわが国民は、これはどうもおかしいな、雲行きが変だぞ、と思いながらも、発言の機会がないものですから、首を傾けながらも、事態を黙認しているしかなかったのです。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p10 )
第1章 こんな国家に誰がした――今も続く、スターリンの呪縛
(1) 「悪魔の思想」の誕生

◆言論界を牛耳りつづけた売国奴たち

戦後50年です。その間、総体として言えば、日本の社会的な風潮は、先の大東亜戦争のため、多大の罪悪感を持つように、国民を引きずり回してきました。

しかも、この傾向が一段と高まったのは、時間が進むにつれての“押しつけ”だったのです。すなわち、日韓基本条約(昭和40年)と日中平和条約(昭和53年)によって、国際関係の諸問題が解決し、国交がきちんと正常化したそのあとから、京城政府および北京政府に、平身低頭すべきであるという時流が強まったのです。まことに、おかしな根拠のない思い込みでした。

そのため、中華人民共和国や大韓民国などアジアの諸国が、先の大戦にまつわるさまざまな言い掛かりを突きつけてきたとき、その言い分を無条件に受け入れるという習慣が生まれました。それも、正規の外交ルートを通じての公式な申し入れではないのです。一方的な放言として、わが国を攻撃したり、いわゆる不快の意を憎々しげに表明したり、新聞の論調で喚(わめ)きたてたり、という手口でした。すべて、近代国家としての正式な手続きを経ない非公式な恫喝(どうかつ)だったのです。

それにもかかわらず、わが国のその時その時の政府は、それこそ無条件で頭を下げ、相手側の言い分を全面的に認めて、拝跪(はいき)する姿勢を通してきました。政府よりもっとひどかったのは、新聞とテレビによるわが国の言論界だったのです。本来なら、国民の意向を反映すべきはずの言論界が、一部の国を売る輩(やから)に乗っ取られていました。

これら言論界を牛耳っている連中が、北京政府や京城政府の立場に立って、彼らの言い分を増幅してがなりたてる代理人となり、日本にだけ非があると囃(はや)し立てたのです。彼らは日本の国益を代弁するという、当然そうあるべき使命を投げ捨て、その逆に、相手側の国の利益になるように言論を組み立てました。

他国の利益を重んじて他国の代弁者となり、自分の国の大切な国益を損なう行為に突き進む者、これを「売国奴」と呼ぶのが正当でありましょう。

このようにして、国を売る輩が言論による圧力を加えたため、新聞とテレビにたいへん弱いわが国の政府は、新聞論調の言いなりになって、世にも卑屈な恥ずべき謝罪外交へと、一瀉千里(いっしゃせんり)に傾いていきました。健全な良識を持つわが国民は、これはどうもおかしいな、雲行きが変だぞ、と思いながらも、発言の機会がないものですから、首を傾けながらも、事態を黙認しているしかなかったのです。

とにもかくにも、謝罪外交は屈辱の極みでした。若干の例を挙げてみましょう。古くは、「日韓併合は韓国側にもいくらかの責任がある」と発言した藤尾正行(ふじおまさゆき)文部大臣は、ただちに罷免されました。奥野誠亮(おくのせいすけ)国土庁長官は、国会で「日本に侵略の意図はなかった」と答弁したため、辞任に追い込まれました。最近では、「南京大虐殺はでっちあげ」と、事実を事実のとおりに表明した永野茂門(ながのしげと)法務大臣が職を辞するに至りました。

念を押して申しますが、これらの発言には、客観的な歴史認識として、いささかの間違いもないのです。すべての正当な観察であり、訂正の必要はありません。にもかかわらず、新聞とテレビは、向こう側の言い分だけがもっともであると肩を持ちました。

そのため政府は慌てふためいて大臣の首を差し出し、相手側のご機嫌を伺って膝を屈め、身を屈し、両手を突いて平伏しました。

現在、こういう状況にあるわが国は、果たして真正(しんせい)の独立国家と言えるのでしょうか。他国の言いなりになる国は、真っ当な独立国家ではなく、従属国家と規定されなければなりません。この卑屈な上目遣いのご機嫌伺いは恥辱の極みです。

事柄をはっきりさせるために申し添えますが、こういうふうに、大臣の首を差し出せという声が、国民の中から沸き起こったことは一度もありません。国民が謝罪せよと申し出たことは断じてありません。これはたいへんおかしい、と国民は思いつづけてきました。どこか大筋で間違っていると、国民のすべては、なんとなく、もやもやした割り切れない気持ちでいました。そのように冷静な国民の意向を踏みにじったのが、ごく一部の売国奴なのです。

売国奴とは国を売る者であり、国を裏切る者です。国を裏切るとは、すなわち、国民を裏切ることです。そして国民を裏切るとは、つまり、国民を卑(いや)しめることなのです。私たち国民は彼ら売国奴から蔑まれているわけです。
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