電脳筆写『 心超臨界 』

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( H・ジャクソン・ブラウン・Jr. )

不都合な真実 歴史編 《 アメリカが中国を共産化した――馬淵睦夫 》

2024-04-03 | 04-歴史・文化・社会
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日本は最後の最後までアメリカに頼って、ルーズベルトと会談しようとしたりした。アメリカに対して自重に自重を重ねた。今から見れば、なにをやっていたのかと思いますが。結局、そのときのルーズベルトを動かしていたユダヤ勢力の戦略に気がつかなかった。その戦略とは、中国を共産化するということなんです。別にアメリカは間違って中国を共産化したのではなく、抗日戦争の本来の目的を堂々と果たしたということです。


◆アメリカが中国を共産化した

『ようやく「日本の世紀」がやってきた』
( 日下公人&馬淵睦夫、ワック (2016/10/6)、p122 )

【馬淵】 まあ単純化して言えば、ルーズベルトは社会主義を世界に広めようとして戦争したというのが、私の解釈なんです。正統派歴史学者や経済学者がそんなことをいったら、いっぺんに学界から追放されてしまうでしょう。だから言わないというか。勉強もしていないのだと思いますが、それが今の世界の現状を理解する最大のカギだと思います。

結局我々から言うと、シナ事変も含めて、連合国との戦争である大東亜戦争というのはユダヤ系勢力との闘いだったんですよ。しかし、戦後の言論界では、そういうふうには言えない。しかし、それを言わないと、大東亜戦争の意味がわからないわけです。ましてシナ事変の意味もわからない。

シナ事変についてはすべて、張学良(ちょうがくりょう)・楊虎城(ようこじょう)らによって蒋介石(1887~1975年 中国国民党総裁1938~1975 国共内戦で中国共産党に敗れて1949年から台湾に移る)が拉致監禁された1936年の西安(せいあん)事件からはじまっている。

それによって、蒋介石と毛沢東との間で、第二次国共合作が成立して、抗日統一戦線をつくった。それが翌1937年からのシナ事変につながっていったんです。だから、日本は攻撃されたほうなんです。

ところが今は日本で保守の人でさえも、1931年9月18日に柳条湖で、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した柳条湖事件に端を発した満州事変から日本の侵略戦争がはじまった、シナ事変は日本の侵略戦争だったと言っている。

【日下】 なにも知らないのにね。

【馬淵】 満州事変は、1933年5月31日の塘沽(たんくう)協定で一応収めて、その後、蒋介石と日本との間で、小競り合いはあったにしても、一応平穏は保たれていた。西安事件が起こるまでは、蒋介石は、毛沢東を攻撃していた。ですから長征(1934~1936年にかけて、国民党軍に敗れた中国共産党が、江西省瑞金(ずいきん)を放棄して、国民党軍と交戦しながら1万2千5百キロを徒歩で延安まで移動)がはじまったんです。

【日下】 毛沢東が西へと逃げて行った。

【馬淵】 ところが、西安事件で蒋介石は実権を失ってしまった。クーデター騒ぎと同じで、いったん監禁されてしまえば実権を失うんですよ。ミハイル・・ゴルバチョフ(1931年~ ソ連最後の最高主導者)がそうだった。ゴルバチョフは、1991年8月に守旧派が起こしたクーデターで、別荘に軟禁された。クーデターは失敗に終わって、ゴルバチョフは釈放されたけれども、それによって完全にエリツィンに取って代わられた。

蒋介石は、いったん張学良に命を握られていたわけです。ところが張学良の背後には、毛沢東がいて、その背後には、ソ連がいて、アメリカもイギリスもいたわけです。

毛沢東だけではなく、スターリンもルーズベルトも、蒋介石を日本と戦わせないと、共産主義運動が蒋介石につぶされると思った。そこで、彼らが「日本と戦争しろ」と蒋介石を強要したのが西安事件です。それは、毛沢東を生かすためであって、蒋介石が日本と戦争して共倒れしてくれたら、中国が共産化できるからですよね。

毛沢東はそのことを知っていたから、かつて社会党の佐々木更三委員長が中国に行って、「すみません、悪いことをしました」と誤ったときに、「日本がやってくれたおかげで自分たちは勝った」といったことを言ったのです。半分は社交辞令にしても、それは本当なんです。だから最終的に騙されたのは蒋介石なんですよ。

【日下】 私は「蒋介石が、この山をよじ登って逃げて隠れているところを、とっつかまえて引き出したんです」というところに行ったことがある。ほんとうに小さな山でした。

【馬淵】 そうですか。

我々はルーズベルトがそんなことを考えていたとは、まったく想像もしていない。しかし、当時のアメリカは毛沢東に肩入れしている。歴史家はそんなことをまったく言わないんですよ。

日本の教科書では、西安事件はほとんど触れていない。本当に触れたら具合が悪いんですよ。1936年の段階で蒋介石は実権がなくなっていのだから、相手にしてもしょうがなかった。

日本は蒋介石と交渉しても、蒋介石がいつまで経っても和平に応じない。それは蒋介石には、日本と和平交渉をやる権限を与えられていなかったからだと思います。

蒋介石との和平は、ドイツが仲介してくれたりしましたけれど、広田弘毅(1878~1948年 1933~1936年外務大臣、1936~1937年内閣総理大臣、1937~1938年外務大臣)がアメリカにも頼んでいる。しかしアメリカは蹴とばしているんです。それでアメリカは東京裁判で広田弘毅を文官として唯一A級戦犯として死刑にしているわけですよ。

日本は最後の最後までアメリカに頼って、ルーズベルトと会談しようとしたりした。アメリカに対して自重に自重を重ねた。今から見れば、なにをやっていたのかと思いますが。

結局、そのときのルーズベルトを動かしていたユダヤ勢力の戦略に気がつかなかった。その戦略とは、中国を共産化するということなんです。別にアメリカは間違って中国を共産化したのではなく、抗日戦争の本来の目的を堂々と果たしたということです。
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