電脳筆写『 心超臨界 』

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( キャロル・バーネット )

不都合な真実 《 「家族の解体」ここまできている――渡辺利夫 》

2024-06-20 | 04-歴史・文化・社会
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ワイマール憲法は20世紀で最も民主的なものとされ、日本国憲法第24条の原案作成に影響を与えたといわれる。樋口教授は、第24条はこの憲法の家族保護とは正反対に「家族解体の論理」を意味するという。日本の憲法学では宮沢俊義教授以来、戦後リベラリストがその中枢に位置していたことは知らないではなかったが、ここまでかと驚嘆を禁じ得ない。


◆「家族の解体」ここまできている――渡辺利夫・拓殖大学学事顧問
(「正論」産経新聞 R01(2019).10.21 )

憲法第24条は婚姻に関わる条文である。その第1項を改めて記すならば、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」である。

〈 国家、社会との関わり語らず 〉

西修教授の指摘するところにしたがい、樋口陽一教授の著作『国法学 人権原論[補訂]』においてこの条文がどのように解釈されているかを確認してみた。樋口教授の指摘はこうである。

〈日本国憲法24条は、前近代性を色濃く帯びていた日本型家族国家観の基層としての「家」を否定し、「両性の本質的平等」と「個人の尊厳」という憲法価値を、公序として私法上の家族関係に課すものだった。(中略)「個人の尊厳」を家族秩序内にまで及ぼそうとする点で、日本国憲法24条はきわ立っている〉

〈家族の問題について「個人の尊厳」をつきつめてゆくと、憲法24条は、家長個人主義のうえに成立していた近代家族にとって、―ワイマール憲法の家族保護条項とは正反対に―家族解体の論理を含意したものとして意味づけられるだろう〉

ワイマール憲法は20世紀で最も民主的なものとされ、日本国憲法第24条の原案作成に影響を与えたといわれる。樋口教授は、第24条はこの憲法の家族保護とは正反対に「家族解体の論理」を意味するという。日本の憲法学では宮沢俊義教授以来、戦後リベラリストがその中枢に位置していたことは知らないではなかったが、ここまでかと驚嘆を禁じ得ない。

西教授は、1990年以降に制定された103カ国の憲法条項を精細に比較し、87カ国の憲法において家族は「社会の自然的かつ基礎的単位であること」「国家・社会の保護を受けること」がほぼ共通に書き込まれていることを証している(『世界の憲法を知ろう―憲法改正への道しるべ』)。

確かに第24条は個人の尊厳と両性の本質的平等をうたうのみ、家族が国家・社会とどのような関わりをもつか、もつべきかは何も語ってはいない。果たしてそれでいいのか。西教授の問題提起である。

〈 日本の現実みつめてみると 〉

ここで憲法論から離れて日本の現実をみつめてみよう。樋口教授の指摘通り、日本の家族は着実に「解体」に向って進んでおり、これが推移していけば地域共同体はもとより日本という国家自体がいずれ衰滅するのではないかという不吉な予感さえ漂う。

日本の年間出生数は、1947(昭和22)~49(同24)年には260万人を上回っていたが、1971(同46)~74(同49)年には200万人ほどとなり2016(平成28)年にはついに100万人を切って昨年は92万人を下回った。折り紙を2つに折り、それをまた2つに折って表面積がみるみる現象していくような空恐ろしさを感じさせる数字である。

人口統計では15歳~64歳人口は「生産年齢人口」と呼ばれる。これは1996年に減少に転じている。人手不足は実はもう20年以上前から始まっていたのである。

同統計には「合計特殊出生率」という概念がある。要するに、1人の女性が生涯を通じて生む子供の数のことである。これが2.0以上でなければ一国の人口数は安定しないが、昨年の値は1.42であった。50歳までに一度も結婚したことのない人の比率は「生涯未婚率」といわれる。この比率が急増して昨年は男性23%、女性は14%ほどになったという。

他方、平均寿命の方は今なお高まりつつある。昨年は男性81.3歳、女性87.3歳、いずれも日本の人口史上で最高齢、世界でもトップクラスである。

〈 令和新時代に「呪縛」解け 〉

「人生100年時代」もあながち嘘ばかりではなさそうだ。人口構成において高齢者の比率が急速に高まっている。週日の昼中、街を歩いてみればわかることである。振り返れば自分も紛れもない高齢者である。

少子化とは、人間という生命体の再生産の機能が日本の家族から失われつつあることを意味する。少子化が高齢化と同時に進めば、高齢者の老いを支える共同体の基盤はほどなく危うい。

生命体を再生産する機能をもつのは家族である。この機能を代替するものは家族の外にはない。少子化とは、家族維持への指向性がこの社会から消失しつつあることを示唆する。少子化の主因が未婚と離婚率の増加にあるからだ。

日本における家族の解体は、音もなく、そして気がつけば社会の崩壊を招きかねないマグニチュードで進んでいる。樋口教授たちの期待していた理想社会の現実はかかるものだったのか。

西教授は、家族が「社会の基礎的単位であること」「国および社会の保護を受けること」、この2つを柱とする家族条項を憲法に導入すべしと提唱している。個人の尊厳の呪縛からいかにして自らを解き放つか、令和新時代日本の深淵なる課題である。
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