電脳筆写『 心超臨界 』

人生は歎き悲しむよりも
笑いとばすほうが人には合っている
( セネカ )

韓国人にとって、最も難しい日本語の言い回しが「受け身形」です――呉善花

2024-02-02 | 04-歴史・文化・社会
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日本の男性が使うもので、こういう言葉があります。「女房に逃げられた……」。これに対して、韓国では「女房が逃げた」という言い方しかしません。しかもそれに加えて、うちの女房はとんでもない人間だということを人に主張します。一方受け身の言い方を聞いた側は、奥さんが悪いといよりも「奥さん一人守ることができず、なんとだらしない男だ」と、感じるのではないでしょうか。


◎「だから日本はおもしろい」――四月度致知読者の集い
 呉善花・拓殖大学国際学部教授
「致知」2009年7月号、p150 )

◆日本と韓国の違い

私が初めて日本に訪れて25年目になります。

日本と朝鮮半島はお隣にあり、自然や風土、人の肌の色、町並みなど、大変よく似ています。しかし、その似ている部分のせいでほんの少しの、しかし根本的な違いが見えにくくなっており、ここから生じる問題が山ほどあります。

それは考え方や価値観の違いであったり、ものの感じ方の違いであったり、ほんのわずかな違いかもしれません。しかしこの違いこそが、お互いの理解を遠くしていると私は考えます。

この問題を理解せずして、日韓の外交問題の解決も、民間交流の推進も絶対にうまくいかないということを、私は来日して5年くらいでようやく気がつき、今日までその研究に努めてまいりました。

まず言葉について言えば、日本語と韓国語はどちらも漢字文化圏で、単語も並び方も本当によく似ています。ですから、日本を訪れた韓国人は、1年目は、他の国から来た人たちに比べてかなり早く言葉を覚えることができます。

ところが、2年目、3年目に入った時に、心が入った言い方、情緒的な言葉遣いを学ぼうとしたと時にさっぱり分からなくなってしまうのです。

◆「受け身形」が生む心の変化

韓国人にとって、最も難しい日本語の言い回しが「受け身形」(受動態(じゅどうたい))です。

私がまずこの受け身形を意識的に使ってみました。そして使えば使うほど、気持ちが変化してくることが分かりました。

たとえば、私が後で飲みたいと思ってテーブルの自分の前に水を置いたとします。ところがいざ飲もうとした時にこれがなくなっていたら……。

韓国人は百パーセント「誰かが水を飲んだ」という言い方しかしません。能動態(のうどうたい)です。

そうするとそれを聞いた第三者はどんな印象でしょうか。飲んだ人に意識がいくと思います。「犯人は誰だ?」と。

しかし日本人はどうでしょう。

普通は「水を飲まれた」という言い方をすると思います。能動態の場合と意味は同じでも、向こうに意識がいくのではなく、自分に意識がいくはずです。そして自分の中で「私の責任なんだ」という気持ちになっていきます。

自国語にない言い方ですので最初は苦労しましたが、この受け身形は、責任を相手ではなく、自分のほうに持ってくればうまく言えると気づきました。極端に言えば「私が悪かった」と自分を反省して言えばよいのだと気づいたのです。

能動態では責任は常に相手にあり、「相手が悪い、あなたが悪い」と責める心につながります。そこに韓国人は快感を得るものです。以前は私もそうでした。しかし「私が悪かった」と考えると、最初は悔しいのですが、だんだん気持ちが穏やかになってくるのを感じました。

ほかにも、日本の男性が使うもので、こういう言葉もあります。

「女房に逃げられた……」。

これに対して、韓国では「女房が逃げた」という言い方しかしません。しかもそれに加えて、うちの女房はとんでもない人間だということを人に主張します。

一方受け身の言い方を聞いた側は、奥さんが悪いといよりも「奥さん一人守ることができず、なんとだらしない男だ」と、感じるのではないでしょうか。

このように日本人はいたるところで反省をしています。その際、責任も徹底的に自分に持っていこうとします。これが本来の日本人の一つの姿であり、韓国人と大きく異なる点のようです。

◆日本人の「未完の美意識」

さて日本人のもう一つの特徴についてお話しさせていただきます。それは日本人の感覚、感性、ものの感じ方です。

これは韓国人に限らず、多くの外国人にとってかなり分かりづらいものです。なぜなら、それは生き方そのものと関係が深いからです。

キリスト文化圏、イスラム文化圏も同様ですが、儒教文化圏の中国、韓国では、「どんな生き方が正しいか、理想的か」というところに重点を置きます。良いか悪いかを考え、倫理的道徳的に生きようとします。正解を求める生き方です。

ところが日本では「正しい生き方」について、ある程度の枠組みはありますが、それだけでは日本人の生き方は説明できません。いろいろと探っていきましたところ、日本人は「どんな生き方が美しいか」という美意識で生きている人たちなのだということが分かってきました。

生きるときだけではなく、死ぬ時ですら日本人は美しさを求めます。

美しく死んでも、汚く死んでも同じだと当初は私も思っていました。また、その美意識の根底にある「侘(わ)び」「寂(さ)び」「もののあわれ」「粋(いき)」といったものが、まったく理解できませんでした。

しかし、この美意識のあり方を徹底的に探っていかない限り、日本人の生き方の理解に近づいていくことはできません。

私自身、まだその途上でありますが、一つのヒントをくれたのは食器です。アジア人の多くに共通する美意識は、派手な色彩、ピカピカ輝いて、満月のように均一に整った成形美を好みます。

象徴的なものとして、備前焼など、色はドス黒くて、形もいびつです。私は、その不完全さに「美」を感じることはできませんでした。しかし、日本人を理解するためにと、一つずつ買い集めていきました。

私の食器棚がピカピカからドス黒いもので埋まってくるにつれて、不思議な気持ちが湧(わ)いてきました。もっと集めたいという気持ちが止まらなくなっていったのです。「これだ!」と思いました。

真ん丸で欠けたところのないステンレス食器ならば、一式集まったときに、それ以上は頭が働かなくなります。完成されてしまうためです。

ところが日本の焼き物は、色は素朴で、形もバラバラ、左右に曲がって……と飽きることがなく、次はどんな曲がり方したものを集めようかと楽しくてしょうがなくなりました。止まらないのです。

この「止まることのない文化」こそが日本を表す美意識の表れではないかと思いました。

日光東照宮や出雲(いずも)大社では、左右の一方の柱が短いそうです。それは「永遠に造り続ける」という印なのだそうです。

そしてこれは、自然に対する「受け身」の表れでもあるのではないでしょうか。完璧(かんぺき)を求めるのではなく、あるものを受け止め、そこに感謝、感動する感性。

そして、日本人は、自然だけでなく外国からの様々な価値観や思想を受け止め「融合、調和の文化」を育(はぐく)んできました。

受容、融合、調和――。これらの日本的な美意識や感性こそが、日本と韓国の「わずかな違い」であり、大きな距離を生み出しているものにほかなりません。

そしてこの日本的なものの中に、日本だけではなく、世界の未来があるように思えてならないのです。実際に日本に学ぼうという声や動きが世界のあちこちで起こっています。

これからもそんな日本のことを深く広く探って、そして世界の未来につながる価値観を探求していきたいと思います。

――要約抜粋 文責・編集部――
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