電脳筆写『 心超臨界 』

人生の逆境は、人の個性から最善を
引き出すために欠かせないものである
( アレクシス・カレル )

日本史 鎌倉編 《 「30歳前後、その時の能力こそ“初心”」――渡部昇一 》

2024-06-23 | 04-歴史・文化・社会
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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だから、この年ごろの花を「初心」と言うべきなのに、当人は奥儀(おうぎ)を窮めたような気になってしまう。そして、能について――自分の仕事について――偉そうに我流を出したり、名人を気どったりもするのである。しかし人も誉め、名人に勝るような出来ばえのことがあっても、一時の珍しき花なりと思い悟り、ますます型をきっちりとし、自分よりもすぐれ、その道を会得した人に事細かに質問したり教えを乞うたりして、勉強の量は、さらに一層増すようでなければならない。


『日本史から見た日本人 鎌倉編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/02)、p223 )
3章 室町幕府――日本的美意識の成立
――政治的天才・義満(よしみつ)と政治的孤立者・義政(よしまさ)
  の遺(のこ)したもの
(3) 『風姿花伝(ふうしかでん)』――世界に冠たる教育論の誕生

◆「30歳前後、その時の能力こそ“初心”」

24、5から32、3ごろまでは、一生涯の芸が確立するころであるから、修業のほうにも一転機がおとずれる。このころになると思春期も終わり、肉体的条件も精神的条件も安定してくる。まさに全盛期に向かう芸能が生ずるところであるというのだが、もちろん芸能においてのみならず、学問や仕事においてもそうであろう。

したがって、このころになると、上手にできたと言って、観客も目を瞠(みは)るのである。大学の研究室や会社でも目につく業績が上がる年ごろだ。

すると人も感服するし、自分も上手と思い込むわけだが、これは、かえすがえすも当人の害になることである。というのは、これも「まことの花にはあらず」だからである。年の盛りであるのと、見る人の一時的な感動がもたらす「珍しい花」である。だから本当の目利きにはそのことがわかる。

だから、この年ごろの花を「初心」と言うべきなのに、当人は奥儀(おうぎ)を窮めたような気になってしまう。そして、能について――自分の仕事について――偉そうに我流を出したり、名人を気どったりもするのである。しかし人も誉め、名人に勝るような出来ばえのことがあっても、一時の珍しき花なりと思い悟り、ますます型をきっちりとし、自分よりもすぐれ、その道を会得した人に事細かに質問したり教えを乞うたりして、勉強の量は、さらに一層増すようでなければならない。

つまり「時分〔一時〕の花」を「まことの花」と思い込むことが、「真実の花」に近づけない心なのである。誰も彼も、この一時の花を誤解して、すぐにこの花が消えてしまうことを知らないのである。だからこのころのことを初心と言うのだ、と重ねて指摘する。

会社ならば係長ぐらいのところであり、大学なら専任講師ぐらいである。このころに「切れる」などと言われても、それは一時の花ということになろう。

そこで根本的な内省が必要である。自分の芸がどのくらいの程度であるかを、慢心抜きにして評価できるようであるならば、その程度の花は一生涯維持できる。ところが慢心して、自分を器量以上に誤認するならば、これまでの程度の花も失うことになる。だからよくよく心得るべきである、と世阿弥は念を押す。

その後、34、5歳から42、3歳にかけての年ごろは全盛期である。「盛(さか)りの窮(きわ)め」であると断言する。これまで述べてきたように、それぞれの年齢にふさわしいことを窮めてきておれば、34、5になるころは、かならずや天下に許され、名望も得るであろう。

もしこの時分までに天下に認められることもなく、名望も思うほどのことがなければ、いかなる上手といえども、いまだ「まことの花」は窮めていない役者と知るべきである。もしこのときまでに窮めていなければ、40歳より能は下るものであるから、いずれわかることであるというのだ。
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