電脳筆写『 心超臨界 』

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◆パール判事の日本無罪論 《 執念深い報復の追跡 》

2024-06-02 | 05-真相・背景・経緯
§4 東京裁判――日本に犯罪国家の烙印を押すために演じられた政治ショー
◆パール判事の日本無罪論 《 執念深い報復の追跡 》


博士によれば、ともかく、この裁判は、「法律的外貌(がいぼう)はまとってはいるが、本質的には、ある目的を達成するための政治的裁判」にすぎない。たんに「執念深い報復の追跡を長びかせるために」法律の名を借り、文明とか人道とかいう美名に隠れて、権力を行使するなどということは、国際正義の上からいって許しがたいことである。


『パール判事の日本無罪論』
( 田中正明、小学館 (2001/10/5)、p182 )

パール博士は極東国際軍事裁判における判決文の中で、いったい何を訴えんとしているのか。端的にこのことを知るために、私は博士がこの判決文の最後に記述した「第7部 勧告」の1章について述べてみたい。

この勧告文は、格調高い非常な名文章で、博士の平和と人道に対する崇高なる理想が光耀(こうよう)を放っている。

たしかにこの勧告文は、勝利におごり、権力の無制限なる行使によって、あえて真実をねじ曲げ、法の名に隠れて、卑劣・野蛮な復讐心を満足せんとする、連合国の指導者たちに向かってなされた頂門(ちょうもん)の一針であると同時に、法の真理とは何か、将来の人類の生きる道は何であるか、われわれが希求する平和とはいかなるものであるかを説いた警世の書ともいえよう。

マッカーサー司令部および連合国政府は、この判決文が、日本人の目に触れることを極度に恐れた。なぜなら、それは、“真理の声”であるからだ。真理は決して滅び去るものではない。東京裁判は、ついにパール判事1人に名をなさしめた、といわれている。東京裁判にただ1人のパールがいたことを、世界の歴史はこれを記録にとどめるであろう。断罪に服した7人の被告たちも、博士1人の存在によって、初めて晏如として眼を閉じることができたのではなかろうか。

「以上述べてきた理由に基づいて、本官は、各被告はすべて起訴状中の各起訴事実全部につき、無罪と決定されなければならず、またこれらの起訴事実の全部から免除されるべきであると強く主張するものである」

これが勧告文の冒頭のことばである。

この判決を正当化するための唯一の法的根拠は、ナポレオン・ボナパルトの事例と1907年のハーグ条約第4の43条によるものであるとされている。そこでナポレオン拘禁の事例は、この時代においてさえ、この措置をとった者は、彼らの属する国家の立法府から得たある権限を具備することが必要とされた。ジョージ3世治世第56年度法律第22、23号は、この権限を付与するために制定されたものであった。さらにナポレオンは、当時フランスの統治権を簒奪(さんだつ)しており、フランスそのものは連合国の敵とされてはいなかった。それはヒトラー一派が、ドイツの立憲政治を完全に窒息させ、すべての権力を簒奪していたのと同様の状態であった、と説明したのち、博士はつぎのように述べている。

「本件の被告の場合は、ナポレオンやヒトラーのいずれの場合とも、いかなる点でも、同一視することはできない。日本の憲法は完全に機能を発揮していた。元首、陸海軍および文官は、すべての国家と同様、常態を逸しないで、相互関係を維持していた。国家の憲法は、社会の意思との関係においては、従来と同様の形のまま存続した。輿論(よろん)は活発であった。社会はその意思を効果的にするための手段を少しも奪われていなかった。これらの被告は、憲法に従い、また憲法によって規定された機構を運営するためにだけ、権力ある地位についたのであった。……今次行なわれた戦争は、まさに日本という国の戦いであった。これらの人々は、なんら権力を簒奪したものではなく、たしかに彼らは連合国と戦っていた日本軍の一部として、国際的に承認された日本国の機構を運営していたにすぎなかったのである」

それでは1907年のハーグ条約第4の43条の規定は、果たしてこの裁判を正当化するものであろうか。この条約というのは「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序および生活を回復確保するため施し得べき一切の手段をつくすべし」と規定している。明らかにこの規定は、交戦中に領土が敵軍に占領された場合を指すものである。そしてこの条約文中のどこにも、戦争は犯罪行為であり、かつ個人犯罪であって、これを処罰する法律を、勝手に戦勝国がつくることができるなどとは書いていない。また、敗戦国の政府を構成した人間を捕らえ、これを裁判し、断罪することができるなどとは書いておらず、またこのような解釈をかりそめにもすることは許されていない。

博士は、このように述べたのちに、第二次大戦後に、連合国によってつくられた国際連合憲章に言及している。すなわち、「もっとも新しい国連憲章でさえも、個人に対する戦争刑罰は考えていないではないか」とつぎのように述べている。

「国際連合憲章は、連合国各人民によって、明白に、『戦争の惨禍より次代を救う』ために発布されたものであって、『国際連合の目的』は『国際的平和および安全を維持すること、およびこれがため、下の措置をとること、すなわち平和に対する脅威の防止および除去のため、ならびに侵略または他の平和破壊行為の鎮圧のための集団的措置をとること……』であると明確に声明したものであるが、このように、今次大戦の後でさえ、国際連合憲章が、違反国の個々の国民に対して処罰するような措置はとっていないことを知るべきである」

博士によれば、ともかく、この裁判は、「法律的外貌(がいぼう)はまとってはいるが、本質的には、ある目的を達成するための政治的裁判」にすぎない。たんに「執念深い報復の追跡を長びかせるために」法律の名を借り、文明とか人道とかいう美名に隠れて、権力を行使するなどということは、国際正義の上からいって許しがたいことである。

「戦勝国は、戦敗国に対して、憐憫(れんびん)から復讐まで、どんなものでも施し得る立場にある。しかし戦勝国が戦敗国に与えることのできない一つのものは、“正義”である。少なくとも、もし裁判所が法に反し、政治に根ざすものであるならば、その形や体裁はどうつくろっても、正当な裁判とはいえない」。われわれのいう“正義”とは「実は強者のための利益にほかならない」というような正義であってはならないのである。

博士の語調はきわめて厳しい。

結局、この裁判は、「法」に基づくものでもなく、“正義”に根ざすものでもなく、要するに政治的・政策的なものであったという、きわめて割り切った、かつ峻厳(しゅんげん)な判定を下しているのである。
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