電脳筆写『 心超臨界 』

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( トニー・ロビンズ )

日本史 古代編 《 頼山陽の再来・渡部昇一の今日性――谷沢永一 》

2024-06-19 | 04-歴史・文化・社会
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渡部昇一の『日本史から見た日本人・古代編』は、実は世界史から見た日本史から見た日本人、なのである。世界史の細部をめぐっての、広く深い思考力があってこそ、日本の特色が、その正味のところが、このようにハッキリと掴めたのである。昭和61年以後、日本人の感受性と思考力がめざましい勢いで変わりつつある。これからの日本を担う世代は、イデオロギーに迷わされず、アジテーションに乗らず、自分の眼と耳に重きをおき、リクツ倒れを嫌い、ニュートラルで冷静な情報を期待し、すべてを最初から国際的な次元で考える。なにごとをも内容本位で判断する。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p340 )
解説――民族の知恵を照らしだす/谷沢永一

4 頼山陽の再来・渡部昇一の今日性(こんにちせい)

そして、『日本外史』の出版から、数えて足かけ137年目、頼山陽の再来として渡部昇一が、第二の『日本外史』をめざす『日本史から見た日本人』の、第1巻(本書)を書き下ろしで刊行した。時に昭和48年(1973)であるがその心棒となっている歴史の見方は、実は昭和60年代以降、すなわち1986年にはじまる日本の新時代に、その時期に至っていちばんキキメがあるように、説き進められていたのである。今や、著者が予期していた時代が到来した。まさにこのとき、新しい姿で再刊されるとともに、完成へと執筆が進んでいるのを、時こそ至れりと、心躍りを以て期待する。

昭和48年は、第一次石油ショックを以て、日本の高度経済成長が、ひとまず終わった年である。突拍子もない石油の値上がりは、それまでの常識を超えていたから、自由主義経済圏の企業家たちは、すべて立ちすくんだり、尻もちをついたりした。しかし、わが国の経営者だけは、ほとんど誰もへこたれなかった。この災難の逆手をとって、別に相談したわけでもないのに、おたがい見習い励ましながら、省エネへといっせいにアクセルを踏んだのである。

しかも、両面作戦での省エネ。資源の大幅な節約と同時に、人力を徹底的に省けるだけ省く。ロボットを大量に導入し、それを現場に据えつけっぱなしにせず、あらゆる細かい部分に眼をくばり、こつこつと地道に改良してゆく。とうとう新種のロボットを考えだして特許をとる。ついにはロボットを製造するロボットまで作りだす。石油ショックによって、日本経済の足腰がいっそう強くなった。

昭和50年、サミット、すなわち先進国首脳会議が始まり、わが国は堂々と参加する。57年、日本の一人当たりGNPが1万ドルを超す。61年、貿易黒字が826億ドルと、史上最高を記録する。翌62年、1人当たりGNP2万ドル、史上空前の達成となる。

ダニエル・バースタイン(『YEN!〈円がドルを支配する日〉』草思社)は言う。

「1986年(昭和61年)に何かがはじけて、強く巻かれたバネのような日本人の国民的なムードに変化が起こり、その結果として日本人が自らに抱く新しいイメージが表層に浮かび上がってきたのである」と。

わが国は、今や、世界のあらゆる国家および民族に対して、重大な責任を持つ立場にある。もはや日本一国の利害だけを考えているにすぎなかった過去の習慣からキッパリと抜けださなければならぬ。そのための第一歩として、日本人の誰も彼もが、日本という国家の性格を、冷静に測定する必要がある。言い換えれば、日本を諸外国に比べて、まちがいのない観察をしなければならない。

思えばはるかに昔から、日本のすぐれた史書は、その時代での国際感覚を軸としていた。『日本外史』の本領は、シナとの比較対照にある。その勘どころの押さえ方にある。『十八史略』(明治書院『新訳漢文大系』20・21)を諳(そら)んじているわが国びとに、暗黙の対比を示したからこそ、全巻を支えている史観が、斬新で説得力があったのだ。

事情はまったく同じである。渡部昇一の『日本史から見た日本人・古代編』は、実は世界史から見た日本史から見た日本人、なのである。世界史の細部をめぐっての、広く深い思考力があってこそ、日本の特色が、その正味のところが、このようにハッキリと掴めたのである。

昭和61年以後、日本人の感受性と思考力がめざましい勢いで変わりつつある。これからの日本を担う世代は、イデオロギーに迷わされず、アジテーションに乗らず、自分の眼と耳に重きをおき、リクツ倒れを嫌い、ニュートラルで冷静な情報を期待し、すべてを最初から国際的な次元で考える。なにごとをも内容本位で判断する。

渡部昇一の、その平衡感覚と良識と、いつも身をのりだして語る平易な話法と、ヒマワリにたとえたい明るさと、かならずワサビをきかせるおだやかな美徳は、現代にもっとも適(あ)っている。

自分の親を譏(そし)る者を、どこの誰が信用するか。自分の国を非難する者を、いかなる外国人が尊敬するか。わが国と、わが国民とを、深く信頼する誠実から、渡部昇一の独創的な見解が、常にコンコンと湧きでるのである。

とりわけ、「和歌の前に平等」の指摘は、批評史上の一大事件であった。その着眼をふくらませた『日本語のこころ』(講談社現代新書)は、日本文化の根元(ねもと)を解明した最高の成果である。

  平成元年4月7日 放哉忌(ほうさいき)
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