朝ドラ「ブギウギ」で東京ブギウギについて「復興ソングだ」というセリフがありました。確かにこの曲は昭和22年の発表で、Wikipediaによると「「リンゴの唄」「青い山脈」などと並び、終戦から復興に向かう日本を象徴する流行歌として知られる楽曲である。」とされています。
ただ、私は復興ソングと聞いて思い出すのはなんといってもゲルニカの「復興の唄」。ゲルニカとは、戸川純、上野耕路、太田螢一の3人によるユニットで、「復興の唄」はその1stアルバム「改造への躍動」のB面1曲目でした。
これは1982年発売のアルバムですが、私は当時学生寮にいて隣の部屋のパンクロックファンで武道系の奴に教えて貰いました。そいつはそれまで邦楽は全然聞かなかったのに、なぜかこれにはまってその後中森明菜のファンになったという謎。
それはともかく当時200名ほどいた学生寮では起床当番というのがあって、その日の当番になった者は起床時間の7時から5分間自分の好きな曲を館内放送でかけられる役得がありました。
ただ、大学生が7時にスッキリ起きられるわけはなく、7時5分に点呼があるので仕方なく部屋から出てくるわけで朝はみんな超不機嫌。廊下に並んで番号かける軍隊形式の朝の儀式が終わると、全員またベッドに戻るというのが日課(?)でした。
その当番の奴も喜んで起きるわけではなく、放送で使う曲も一応は気を使って爽やかに起きられるように早見優の曲にしたり、勢いのあるところで浜田省吾とかハウンドドッグを流したり、景気づけにロッキーのテーマを選ぶという感じでした。
そんな時、隣の部屋の奴は嬉々としてこのゲルニカの「復興の唄」を流したものだから、みんな起きてきて「???」と。朝からわけのわからん曲を聞かされ、口々に「なんちゅう曲や…」とぼやくぼやく。
寮は1年生中心なのですが、管理というか見張り役というかで2年生も数人おり、その日のうちには「今後朝礼ではゲルニカの曲はかけないように」というお達しが出たほどのインパクトでした。ある意味これは凄いですね。
今はこれもサブスクにありますので、体験してみたい方は是非どうぞ。私は気に入ってレコードも買った位ですが、帰省した時に家で聞いてたら昼寝してた母が起きてきて「頼むからやめてくれ。」と。
このアルバムは当時は意識しなかったですが、プロデュースは細野晴臣だったんですね。歌詞カードもこんな感じですが、「復興の唄」については「さあ、ヂャズのデムポに乗らふではないか!」と書かれています。やはり復興といえばヂャズですよね。
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