学生時代には毎年夏に京都の貴船というところでバイトをしてました。ここは川床の料亭が立ち並び、「京の奥座敷」と言われ市内よりはるかに涼しく、夏場は人気があります。その川床で涼みながら、会席料理やすき焼きを楽しむのがおつだと。
私がバイトをしていた80年代半ばでも、お盆となると午前10時の開店からお客さんがひっきりなし。すき焼きの鍋はあるだけ出しては客が帰ると大急ぎで洗って油を塗って、すぐ次の客の用意をしながら片づけが終われば夜の10時半。下宿に帰っても既に銭湯が閉まってるという悲惨な状況が続いたりしました。
が、ある時大将が「忙しいと思うやろ? そやけど万博の時はこんなもんやなかったんやで。」と。そしておかみさんの話がさらに凄かったです。
どういう感じかというと、河原町まで客の迎えに行くマイクロバスが、早めに出たのに渋滞で全然動かず。それで、迎えの時間になってもバスが来ないもんだから客から「どうなってる?」と電話が来て、「もう着きます。いま着きます。」と言っておいたものの、まだ店からバスが見えるくらいしか進んでなかったとか。ちなみに貴船から河原町三条までは15Kmくらい。携帯電話がなかったのが幸か不幸かはわかりませんが、そば屋の出前の「もう出ました」というレベルを超えてます。
その時点で大坂万博から15年くらい経ってたわけですが、もうそれを超えることはないのだろうと思って聞いてました。過去の栄光と言えばまさにそうなわけで、なんともむなしかったです。バブルの頃に盛り返したかどうかはどうかは知りません。
なので、あちらの方面が「万博」と聞けば夢を見てしまう気持ちはわからないでもありません。が、実際に大坂万博の景気で儲けた人はもう70代~80代以上でしょうし、今の現役世代は私が聞いたような「万博の頃は凄かった。」という昔話を聞いただけでしょう。そういう話は大体盛りに盛って伝わるので余計たちが悪いかも。誰も見た事ない景色というか、もはや幻でもないようなものを追い求めて。
しかし、そういう景気のいい時代の話を聞きながら、当時の私はというと風呂無しの下宿に住んでたわけで、銭湯閉まってから部屋に帰った日は翌日そのままバイトに行ったわけで、なかなかハードな生活だったわけで。(変な文章) 飲食店だったから、もっと清潔にしててもよかったでしょうにと今更ながら思います。まあそういう時代でした。
とりあえず、大阪万博までは夢を見る人も多いのでしょうね。私は70年の万博は行きましたが、今回はときめかないなあ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます