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人に歴史アリ 芳野藤丸編

2011年02月13日 | TV番組レビュー

 そういう番組名ではありませんでしたが、昨日のBS12「GUITAR STORIES ~情熱のスーパーギタリスト列伝~」のゲストは芳野藤丸さんでした。番宣を見た感じでは、ギター講座のような感じかと思ったら、藤丸さんのこれまでの音楽人生を語るという番組でした。


 私は藤丸さんというとSHOGUNではなくAB'Sなのですが、いずれにしてもどういう経歴であったかというとあんまり知らなかったのでその辺興味深く見ました。結構面白かったので、見なかった人へのおすそ分けとしてまとめてみましょう。


<ギターを始めたきっかけ>


 なんと大学に入ってから弾き始めたそうで、本人はポールマッカトニーが好きだったのでベースをやりたかったけど、軽音サークルの新入生で作ったバンドでジャンケンに負けてギターになったそうです。ジャンケンが強ければ今の藤丸さんはないということでしょうか。その頃はとにかくロックが好きで、当時流行ってたソウルとかは興味なかったと。



<プロになったきっかけ>


 学生時代にはビアガーデンとかいろんなところで演奏してたら、つのだ☆ひろさんがいきなり「セッションで一緒にやらせて」と言ってきたと。で、「新しいバンドを作るから一緒にやらないか」とスカウトされたのだとか。これについては、前につのださんがラジオで「芳野藤丸をプロにスカウトしたのは私です。さらに藤丸と名付けたのも私。」と言ってたのを聞いた事があります。


 いきなり誘われて迷ったけど給料出ると聞いて学校辞めてバンドに参加。そのバンドは「キャプテンひろとスペースバンド」で、藤丸さんはフライドエッグみたいなロックをやれると思ったら結構ポップス寄りの音楽でガックリ来たそうです。衣装も派手派手なのを着せられてギターもフライングVを持たされて、それこそ嫌々やってたので1年くらいでバンドはやめることに。楽しんでたかと思ったら意外ですね。ただし、つのださんにはリズムの取り方で特訓を受けて、それが今も役立ってるから感謝してるとおっしゃってました。(どんな曲もツービートのエンヤトットで取るとずれない走らないのだそうです)


 その後ジョー山中氏とセッションバンドをやってるときにフェイセスの前座で武道館に出て、それを見に来ていた西城秀樹氏に請われてバックバンドをやることになりました。何しろ超アイドルだったので破格の待遇で、いきなりハイワットのアンプを買ってもらったり、最盛期でマーシャルの二段積みを6台並べてたそうで凄いですね。


<スタジオミュージシャン時代>


 最初の頃は譜面がまったくダメで、みんなが音出しても自分だけ弾けなかったりしたそうです。そのうち慣れてきたらいろんな曲をやったけど、人気アイドルはそもそも歌入れの時しかこないし自分達が演奏してるときは仮歌の人がメロディをラララで歌うようなレコーディングなので、その曲がヒットしてから街で聞いて「あれ? これって俺が弾いた曲?」とかいう感じだったとか。当時のプレイで特に有名な曲の例で太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」があります。これがいきなり流れてきてご本人も「今弾けって言われても弾けないけど…」と苦笑。この曲は全部譜面にギターパートが書いてあったのを弾いたんじゃなかったかな?と。あとは有名なソロでは石川さゆりさんの「天城越え」も。演歌系も相当やってるらしいですね。最近では、缶コーヒーかなんかのCMでディープパープルの「ブラックナイト」を弾いてるのも藤丸さんだそうです。とにかく音作りも完コピしてくれと言われたそうで。


<SHOGUNの話>


 スタジオで同じ面子でやってる事が多く「バンド作ろうよ」となって始めたのがONE LINE BAND。その後SHOGUNになるわけですが、カントリーだけは大嫌いだったので「男達のメロディー」もやるのがイヤでイヤでしょうがなかったとか。なので、あのヴォーカルはかなりなげやりに歌ってるのは自分でわかるそうです。が、いきなり80万枚くらい売れたので大好きになったのですと(笑)


<ギタープレイについて>


 ソロもそうだけど、とにかくコードワークとかカッティングが好き。自分でいろんなコードの押さえ方を試して、さらに音を一つ足してみたりでいろいろ研究したそうです。が、「その辺を極めてるのが松下誠」で、AB'Sのときに一緒にやってて「それコードネームは?」と聞いてみても「わかんない」とか言う感じだったとか。たしかにAB'Sのバンドスコアを見ても無理やりadd○とかいう名前にしてあるコードが多いですよね。


 


 と、そういう話を約50分に渡って、というBSならではの番組でした。「木綿のハンカチーフ」が藤丸さんだったというのは意外ですね。いちご白書がそうだという話は聞いた事があったのですが。とにかく昨日の話を噛み締めながら今はAB'Sを聞いてます。


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6 コメント

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Unknown (DEE-2)
2011-02-14 01:33:49
ツイストの「銃爪」もそうだとか。。。甲斐よしひろが暴露してました。
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そういえば (ハイパパ)
2011-02-15 00:23:20
ツイストは、最初あんまり下手だったんでファーストアルバムも2曲くらいしか自分たちでやってないって鮫島さんが書いてましたね。スタジオミュージシャンが来て「君たちは見てなさい」と言われたらしくて。ま、アマチュアからコンテスト経由ですぐプロになった人はそういうのが多いのかも。
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Unknown (DEE-2)
2011-02-15 01:52:24
有名なとこでは、プリプリやら悪魔の皆さんやらですな。
プリズムファンがこぞって買い求めたとか。。
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プリプリプリティ~ (ハイパパ)
2011-02-16 23:05:01
プリプリは本当の初期の頃はいろんな人がやってたみたいですね。中山加奈ちゃんがインタビューで「レコーディングのトラで弾いた松下誠さんのソロが難しくて…」と言ってました。あそこは笹路さんがアレンジャーだったので「いかにもNAZCA」ってのもありましたし。悪魔の皆さんは知りませんでした。デビューした手はそうだったのかもしれませんね。
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Unknown (DEE-2)
2011-02-17 01:51:13
悪魔の皆さんは、プリズムと事務所が一緒だったそうで。
プリプリ初期は青純が叩いてたりで、土下座する勢いで一度だけでもレコーディングで叩かせてと懇願して、後期の一枚は本人叩いてるとか。。

最近は修正するので、トラいれる予算も出ないのでわ。。
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おや (ハイパパ)
2011-02-19 08:50:58
青純さんならNAZCAじゃなくてササジーズですね。ま、プリプリの人たちは元々結構お上手なので、バンドのカラーを出す上でも後期は本人達がやってたんでしょうけどね。
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