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こじれていた勘違いが解決>林哲司さんのこと

2013年04月21日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 BSフジの「HIT SONG MAKERS~栄光のJ-POP伝説~」という番組を見ました。今回は作曲家・林哲司氏の特集で本人のインタビューがメイン。数々のヒット曲がありますが、番組サイトで代表曲に挙げられているのは「悲しみがとまらない」杏里、「セプテンバー」竹内まりや、「悲しい色やね」上田正樹、「ふたりの夏物語」「君のハートはマリンブルー」杉山清貴とオメガトライブ、「BOYのテーマ」「卒業」菊池桃子、「真夜中のドア」松原みき、「北ウィング」中森明菜、「愛情物語」原田知世、などなど。

 前にプロレスラーのミル・マスカラスのテーマ曲として知られるジグソーの「スカイ・ハイ」を作曲したのは実はこの人だと聞いたことがありました。が、この曲は1975年の作品であり、林氏は当時まだ作曲家としては活動してなかったでしょうと思ってたわけです。

 ですが今回の番組を見て様々解決しました。この人はシンガーソングライターとしてデビューしたのは1973年くらいで、「オレンジ」という名前のユニットというかバンドとしても1973年に作品を発表しているのだとか。しかしソロの作品は売れず、その後作曲した曲だけが見本市のようなところに出品され、それが「スカイハイ」のヒットで知られるジグソーの目に止まりシングル曲になったそうです。ということで、「スカイハイ」がこの人の作曲だというのは勘違いで、この頃にはまだ作曲家デビューしてなかったというのも勘違いでした。ただしジグソーが林氏の曲を歌ったのは本当だったという。何がどうかというとタニヤタッカーの「ハロー・ミスター・サンシャイン」がムッシュかまやつ氏の作曲だったということもあるので、これもそういうのかと思ってたわけです。

 ちなみにメジャーシーンというか最初に大きな仕事を貰ったのは南沙織さんの「ひとねむり」という曲の編曲だそうです。この曲は1975年11月の発売でした。この時に筒美京平さんに「日本人ってのは下駄ばきでアイスクリーム食べるような感じだから」と言われた言葉が妙に頭に残り、そのセンスを活かしてアレンジしたしばたはつみさんの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」がヒットしたのだとか。

 今回歌のゲストでは上田正樹氏と杉山清貴氏がいずれも弾き語りを披露してましたが、80年代のヒット曲多いですよね。林氏ご本人は軽く還暦過ぎてるのにすごく若く見えるのが凄いです。年取らない人もいるもんですね。