ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

脱走 ー それを支えた人々

2013年08月10日 | 随筆・短歌
 立秋が過ぎました。つい先日、私達は揃って懐かしいドラマを見ました。「今朝の秋」という1987年の山田太一脚本の作品です。 年老いた父親として笠智衆が好演しています。末期がんの一人息子(杉浦直樹)が都会の病院に入院しているのですが、もう自分は長くないのでは、と思い悩んでいます。
 笠は妻(杉村春子)のふとした不倫で離婚し、一人でもう長く蓼科の家で一人暮らしをしています。杉村は気心の知れた従業員(樹木希林)と、今は二人である市で小料理屋をしています。また、息子の杉浦には、ブテックで忙しく働き、離婚を考えている妻(倍賞美津子)と大学生の娘がいます。
 笠は息子の入院を知って、早速見舞いに駆けつけました。死が近いのではないか、と聞く息子に「そんなことあるものか」と否定するのが精一杯の父親です。しかし、父の他に急に次々と十数年も顔を見なかった母親や、忙しがっている妻、実習に出掛けようとしていた娘が見舞いに来るようになり、杉浦は自分の人生が残り少ないことを知ることになりました。
 笠は見舞いに来たときに、友人(加藤嘉)を訪ねます。かれの妻もまた入院していて、妻に付き添っています。「親として何もしてやれない」と嘆く笠に「息子さんのしたいようにさせてやりゃあええ。酒を飲みてえと言ったら飲ませっちまえばええ」と言われ、その言葉が心に残ります。笠と加藤二人の名優が交わす、とつとつとした言葉の一つ一つが心にしみます。さすがの演技です。
 「蓼科に帰りたいなあ」と病室の窓から空を仰いで、絶望的になりながら、昔家族揃って楽しく住んでいた故郷蓼科を恋う息子に、その願望を実現してやろうと、夜になってから息子と二人で病院からの脱走を計るのです。
 蓼科には気心の知れた運転手が家を守ってくれています。タクシーで夜中に脱出し、朝には蓼科に着きました。敷かれた布団に寝て庭の木立を眺め、「やはり蓼科はいいなあ。空気が違うなあ」と立秋の朝を喜ぶのです。蓼科はこれから紅葉が見事です。
 やがてバラバラだった家族が、一堂に集まり、離婚を止めたという妻と、暫くは母親として世話をさせて欲しいという杉村と、娘と従業員と、蓼科の短い秋を共に暮らします。少し元気になった杉浦を車にのせて、ビーナスライン?を巡ったりして楽しみます。
 蓼科の座敷で、みんなで歌う「恋いの季節」(忘れられないの、あの人が好きよ・・・)が大自然と和して、音痴の笠と上手い倍賞と、みなそれぞれに声を上げて明るく歌うのですが、それが又一層哀感を誘います。
 現実に、このように働き盛りの人がガンに罹ることも多くあり、夫婦が離婚の危機を迎えていることも、珍しくありません。しかし、何年もバラバラだった親子、夫婦が一人の病人を中心に、一時にしても家族として温かく過ごし、又別々の道に別れていく。
 息子が亡くなって49日の法要も済み、やがて蓼科には笠と杉村二人になります。最後になった杉村が「時々は来ようかしら」と言い「ああ」と答えて送りに出る笠との元夫婦の別れに、少しの希望を感じました。すでに蓼科は寒く、雪がちらついていました。
 病院からの脱出行には異論も問題もあるでしょうが、私の夫が肺癌かも知れないと言われた時には、(このことは以前書きました)万一の時の病院からの脱出法についても話し合いましたので、一層他人事ではなかったのです。

 もう一つの脱走には、別の哀しみと温かさがありました。「老いぬれば」というドラマです。名古屋に住んでいたドラマの主役笠智衆の妻が病気で入院します。ところが急に息子が富山へ転勤になり、妻一人を病院に残して、笠は息子夫婦の家族と富山へ引っ越して行きます。寡黙で妻への愛情表現の下手な笠智衆は、病院に一人残して来た妻と会いたくてたまらなくなり、娘の嫁に貸してあったお金を少し欲しいと言うのですが、引っ越しにお金が掛かったのでだめだ、と言われます。とうとういたたまれずに、一人で小銭だけをポケットに、駅から入場券を買ったまま汽車に乗ってしまいます。
 やがて車掌の切符のチェックにひっかかって、小さな山間の駅で下車します。日がすっかり暮れているのに、知らない土地で放り出されてしまい、途方に暮れるのですが、うろうろしている内に、一軒の小さな旅館を見つけて入って行きます。そのまま二階に通されて泊めて貰うことになります。夜中に下が少しざわついていたので見に降りると、その旅館の老主(宇野重吉)の妻が亡くなったのでした。一人しょんぽりと妻の遺体の傍にいる宇野に、笠はお悔やみを言い、お参りをさせて貰います。お金を持たない笠は、宇野に自分がお金を持っていないことを打ち明けて、きっと後でお返しするからと、借金を申し出ます。
 宇野は「それはお気の毒だ。丁度今から駅に行くと、急行の夜行列車があるから」といって、名古屋までの旅費に余るお金を持たせるのです。「お金はどうでも良い。餞別だと思って下さい。速くいってあげなさい」といって送り出します。
 宇野重吉も年を取ってひとりぽっちになった老人なのですが、何処の誰とも知らない老人の身の上に同情し、亡くなった妻との思いを重ねて、「速くいってあげなさい」という重厚な宇野の演技と、寡黙でありながら、とつとつと真実を語る笠の演技の絡み合いは、実に見事で、ついほろりとします。
 人はこんなにも優しくなれるものか、とか、他人を信じる力強さといったものに、感動しながら、自然の演技で見ている人をグイグイと引き込んでいく、二人の力量の凄さに圧倒されました。
 やがて笠は名古屋の妻の病院へ着きます。富山からおじいさんが居なくなったと知って、もしかしたら名古屋かも知れないと駆けつけた息子達にあきれられたり、叱られたりしながら、笠は妻の病室に行き「会いたかった。どうしても会いたかった。この機会を逃したらもう会えんかも知れん」といいい、涙をこぼすのです。年老いた老人が残り少ない夫婦の時間を惜しみ、自分の口で表現出来る最大の「会いたかった」という愛の言葉を口にしながら涙をほろりと見せる演技は、見事でした。笠智衆という人は、それまで泣くシーンがあっても涙を見せたことがなく、必ず背中で泣いて見せたと聞きました。たった一回涙を見せたシーンだったのではと思います。帰ろうと言う息子達に「帰りたくない」と我を張り、しばらく痩せた四角い背中を見せて、じっと動かない笠の映像が流れます。
 共に生活している人よりも、他人の方が相手の心を良くくみ取り、無償の援助をしてあげるということはなかなか出来るものではありません。そうした優しさや、人を信じる心に思いを寄せながら、見終わった後、感慨に浸ったのです。

 先の蓼科は美しい高原で白樺湖があり、私達が丁度車で白樺湖畔のホテルに着いた時に、とても親しくしていた友人の訃報が入り、人間の運命のようなものを感じたのです。そんなこともこの二本の映画を見て思い出されました。

気配とふ音無きものの優しさの老い深む程身巡りに満つ(実名で某誌に掲載)


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