ばあさまの独り言

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旅先での大切な忘れ物

2011年05月20日 | 随筆・短歌
 今年の春も例年通り夫婦の旅行をして、つい先日帰宅しました。夫が足の指の付け根の裏を痛くして歩きにくくなり、私もこの一年でぐっと老いて疲れてしまい、予定を少し繰り上げてやっと帰宅しました。
 今年が旅行の最後になっても良いように、旅行の目的は、我が家の本山(京都の真言宗智山派総本山智積院)に義父母の納骨がしてありますので、今日まで守って頂いたお礼を述べることが第一でした。加えて私の両親と先祖の納骨をしてある東本願寺と、親鸞のお墓のある大谷祖廟に弟の納骨がしてありますので、そこにも寄ることでした。
 もう何回訪れたか忘れてしまいましたが、先ず大好きな奈良に行き、屋根の葺き替えが終わった唐招提寺を見たくて、それに薬師寺で見残していた玄奘三蔵院と平山郁夫の壁画を見る為に西の京へ行きました。
 去年は遷都1300年の記念の奈良でしたが、混雑を敬遠して行きませんでしたから、今年は平城宮跡にも行きました。復元された実物大の遣唐使船や、平城宮史跡資料館で、遣唐使シアターや、平城京再現のバーチャルリアリティシアターを、興味深く観覧しました。朱雀門や大極殿並びに平城宮跡資料館も見学して、ボランティアの方の説明を受けて来ました。平城宮の復元工事は電車で通る度に、遠くからは良く眺めていたのですが、近くで見ると規模の大きさに驚いてしまいます。1300年以前の都ですから、何とも言えない感動でした。
 「せんとくん」という鹿の角をつけたイベントキャラクターがありましたが、アシスタントレディーに「せんとくん、て何ですか」と夫が聞き、「エーッ、せんとくんを知らないのですか」と仰天されたりしましたが、案内の後には私達を並べて写真を撮って下さいました。
 京都は奈良よりももっと多い回数を訪れていますので、もう市内も嵯峨野も栂尾や、鞍馬方面、宇治なども行っていて、観るべき寺院も少なくなり、今回は曼殊院門跡や詩仙堂、金福寺など、見残してあった左京区を巡りました。
 さて、本来の目的だった智積院では、尋ねる度にお寺の修復整備が進み、静かな中でお参りが出来ました。「もうこれが最後になるかも知れません。お守り下さいまして、有り難うございました。やがてそちらでお逢いしましょう」としっかりお礼を述べました。長谷川等伯・久蔵の国宝の障壁画も、美しい庭園もゆっくり目に納めて、満ち足りた気分になりました。
 大谷祖廟でも、親鸞のお墓にもお参りして、美しくなった門扉に驚いたり、何時ものように私の実家のお墓の石に似た親鸞の墓石を脇から懐かしく眺めて、お礼を述べて来ました。 実家の本山の東本願寺は、今年は親鸞の750回の遠忌式があり、御影堂に入りきらずに、ズラリと何百席もの椅子が並べられていました。5時30分からの開門にも驚きましたが、早朝7時過ぎに行った私達も、読経に参加させていただき、心に残る素晴らしい法話をお聞きして来ました。
 それが京都の最後でありましたので、駅へ行ったのですが、そこでハタと大切なことを忘れて来たことに気付いたのです。即ち一番肝心なお礼を言い忘れてしまったのです。あわてて後ろ向きになり、東本願寺の方向に向いて、手を合わせましたら、目の前の夫が「何をしているのだ」と云いました。理由を告げましたら、自分が拝まれていると勘違いていた夫に「私を拝んでどうする気だ」と笑われてしまったのです。
 その為の旅行だったのに、と思うと忘れてしまったことがとても心残りで、帰ってからも残念がりましたら、「また行く機会を残してくれたということだ」と息子に慰められました。
 最後だ最後だといって、昨年秋から計画してきましたので、何とか体の動く内に夫婦揃ってお参りが出来て良かったのですが・・・。
 幾たびかの四国遍路の旅、鳥取砂丘や中国地方の旅、九州と平戸島の隠れキリシタン殉教の旅、北海道の12日間の旅、今思えば数々の旅を共に歩いて来ましたが、どれも楽しく忘れ得ない旅でした。お礼を言い忘れた旅が、再度実現する日は来るのでしょうか。

  風紋を描きし砂丘風ごとに形をかへて我にせまり来

  死を前に必ず伝へたき言葉「ありがたう」の五文字が全て(何れも某誌に掲載)
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