ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

私の「芸術の秋」

2009年10月12日 | 随筆・短歌
 秋は何をしても似合うようで、読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋、芸術鑑賞の秋、と山野の紅葉を目前にして、何かと心が躍ります。
 私も先頃パイプオルガンのコンサートと、能楽鑑賞に行きました。七月以来ちょっと体調を崩していて、九月に入りましたら、一時床に着くようにもなってしまい、病院や医院に通うのと、辛うじて週二回の軽めのフイットネスに休み休み通っています。その他は余り外出は出来ず、旅行の計画はキヤンセルして、その代わりチケットが手に入った場合は、出来る限り元気を出して、芸術の鑑賞に出かけています。
 余り沢山見たり聞いたりしている訳ではないのですが、能楽は日本の宝ともいえる素晴らしい伝統芸能だとしみじみと感じました。今回の演目は「井筒」でしたが、「序の舞」が素晴らしく美しく、うっとりして見とれてしまいました。
 能面は「能面のような表情」と言われるように、固まった表情ではありますが、それが僅かに横を向いたり、うつむき加減だったりすると、まるで一変して、舞い手と一体になって、感情を表します。それが実に微妙な表情の変化を見せて、緑豊かで清らかな水に溢れた美しい日本の国らしい、豊かな感情が表現されます。そこが何とも素晴らしく、日本人として、誇らしくもあります。
 比べて言うと叱られるかも知れませんが、イスラエル周辺の荒れ野や、アフガンの荒れた山地、エジプトの赤土の河岸の砂地、ゴビやモンゴルの白茶けた砂漠、そんな乾いたある種無味乾燥な土地から連想される、心の渇きのようなものに比べて、この国は何とみずみずしい美しさなのだろうと思います。
 川端康成がノーベル賞の記念講演で「美しい日本の私」と題して、述べていますが、改めてそのことなども想い出されます。、
 宇宙から地球を見ると、青く輝きながら浮かんでいて、とても美しいといいますが、その中でも特に美しい、日本という四季のはっきりした国に生まれたことをしみじみと感謝しています。
 長い時間に堪えて人から人へと伝えられ、守られてきた無形文化財のすばらしさに、私はもっと多く触れて、生きている間に良い想い出にしたいものだと思っています。
 今までは、クラシック音楽会に行こうと何度夫を誘っても「行かない」と言われると、一人で大金を払って聴きに行くのは悪いようで行かなかったのですが、最近は一人で展覧会にも行き、音楽会にも行くようになって、この歳になって、やっと夫から自立したような気になっています。
 来週は、或る郷土博物館の展覧会と、昔の同僚が写真の個展を開くので、見学させて頂く積もりです。11月はチャッカリとブーニンのチケットを手に入れています。
 一人歩きを始めましたら、どんどん出かけてしまって、夫もこんな予定ではなかったと驚いていることでしょう。不在の間の食事の支度はチャントしておくので、そこは安心だと思いますが。
 私も出来るだけ誘う努力はしていますし、大リーグの放送も付き合います。戦争映画も出来るだけ一緒に見るようにしていますが、時には先に寝てしまいます。居間には一台しかテレビはありませんので、私と夫は、何時も同じ番組を見ることになります。チャンネル権は夫が持っています。その分私は自分の好き嫌いを越えて見聞が広がるのですが、夫は自分の殻から抜け出せないことになります。しかし最近は夫も、お互いに好きなことをして過ごすのが一番幸せだと割り切っているようですから、私はこの短い秋を有意義に過ごそうと、あれこれ計画を巡らせています。

  青き光放ちて地球は浮くといふ胎児の如きいとしさ覚ゆ (実名で某誌に掲載)
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