寒さに向かうと、何となく甘いお菓子が食べたくなります。お菓子や美味しいものが好きな私は、全国各地から良くおいしいものを取り寄せます。とりわけその食べ物に関する想い出があれば、その想い出を語り合いながら食べる味わいは又格別です。
時として、何かのお礼やお返しに、お送りすることもあります。贈り物は心を込めて送りたいので、勢い自分も気に入った土地の名物や銘菓となります。
思えば忘れられない銘菓があります。あの大地震と津波が来るずっと前の、平成11年のことです。夫の運転する車で、東北地方を1週間ほどかけて周遊したことがあります。宮城県は古川で一泊し、翌日岩手県に入り平泉で中尊寺にお参りしました。当時まだ有った啄木の記念館に寄って感慨を新たにし、盛岡市ではわんこそばを夕食に食べに出掛けました。二泊目を盛岡で過ごし、珍しい石割桜を眺めたりしました。
それから東北地方を横断するように車を走らせ、龍仙洞へ行き、岩泉から宮古に出ました。宮古の海岸を見た後、食事処でとても美味しい海の幸を頂き、宮古のホテルに一泊しました。翌日は、後に大津波でひどい被害のあった大槌町に行き、少し縁のあったお寺と墓地に立ち寄りました。そこからトンネルをくぐって釜石に出たのです。
ここで地方史を少し知りたくて、市立図書館に立ち寄りました。司書の女性が、あれこれと親切に探して下さってとても助かりました。やがて一件落着となり、親しくなった司書の方に「何処かに美味しい夕食を頂けるところがありませんか」とか「お土産は何がいいでしょう」とお聞きしたのです。「東北のお土産なら、何と言つても一番は「かもめの玉子」でしょう」と言われたのです。何処でそれが手に入るかお聞きして、其処まで行って買つて帰ったのが最初の出会いでした。
以来16年間一年に一度くらいは、取り寄せたりして味わつています。全国の銘菓コンクール第一位にも輝いたそうで、それはそれは美味しい銘菓です。玉子と言うだけあつて、本当の卵と同じくらいの大きさで、とても味の良い贅沢な黄身餡をカステラ生地とホワイトチョコレートで包んであるお菓子です。最近は、デパートで全国の銘菓が買えるようになりましたから、手に入る機会も増えて、或いはご存知の方も居られるかも知れません。
つい最近も、妹から特大の美味しい林檎を沢山送って貰いましたので、お返しに「時期から考えるとかもめの玉子が良いのでは」という家族の意見で、届けて貰うように手続きをして、ついでに我が家の分も取り寄せました。
妹は、以前送ったこともあるので知っていたのですが、お礼のメールに、「ある時スーパーにカモメの玉子が東北の名物として売っていたので、懐かしくて買って来たけれど、以前送って貰ったものに比べて小さく、時代の流れか、と寂しく思いました。けれどもこの度送って貰ったのは、大きくてとてもおいしかった。」と綴られていました。どうやら「かもめの玉子ミニ」と間違えたようです。口に頬張ったときの食感が、私にも矢張り大きいほうが、遙かに美味しいのです。
その後あの大災害がありました。この銘菓を作っているのは、大船渡のさいとう製菓という会社ですが、私は心配してすぐにパソコンで被災したかと調べてみました。どうやら地域としては被災したようだと思っていましたら、製菓の方から、「今回被災しましたが、必ず立ち直りますからお待ちください」とはがきが届きました。その熱意と誠意に感動して、一層ファンになりました。
釜石の災害もひどかつたので、あの親切な司書の方はお元気だろうか、とあれから時折気にしています。連絡する方法もなく、ただかもめの玉子を取り寄せるたびに、想い出して感謝しています。
このようにして、この銘菓を食べるとあの人が思い出される、とか、この食品にはあの旅行の想い出がある、等ということが、年を重ねるごとに多くなりました。折々お礼を送るついでに自家用に注文して、今は昔の想い出を懐かしくなぞっています。
紅葉が綺麗な頃ですが、もみじ饅頭と言えば、厳島を想い出します。ご近所からお裾分けと言ってぷりぷりの牡蠣を頂くと、広島の牡蠣舟を思い出し、チンヂャオロースーが食卓に出ると、青森のレストランから、リラの花を眺めながら頂いた中華料理を思い出すと言った具合です。
皆さんもいつか想い出されることがありましたら、カモメの玉子を召し上がって見て下さい。きっと失望はなさらないと思います。
郵政民営化で、株が売り出されました。「今後は、株主の皆さんのご期待に応えられるように、努力します。」と社長の挨拶がありました。私はがっかりしました。株を買ってくれたのは、確かに株主ですが、みな国民です。何故国民の皆さんのご期待に添うよう努力します、と言えないのでしょうか。民営化されても、サービスの対象は国民の筈です。
売り上げ金は、東北の復興に使われると聞きました。是非有効に使われて欲しいものだと願っています。未だ仮設住宅でこの冬を迎える人達がおられます。一人でも多くの人達が、温かく希望に満ちた冬が過ごされますように。
時として、何かのお礼やお返しに、お送りすることもあります。贈り物は心を込めて送りたいので、勢い自分も気に入った土地の名物や銘菓となります。
思えば忘れられない銘菓があります。あの大地震と津波が来るずっと前の、平成11年のことです。夫の運転する車で、東北地方を1週間ほどかけて周遊したことがあります。宮城県は古川で一泊し、翌日岩手県に入り平泉で中尊寺にお参りしました。当時まだ有った啄木の記念館に寄って感慨を新たにし、盛岡市ではわんこそばを夕食に食べに出掛けました。二泊目を盛岡で過ごし、珍しい石割桜を眺めたりしました。
それから東北地方を横断するように車を走らせ、龍仙洞へ行き、岩泉から宮古に出ました。宮古の海岸を見た後、食事処でとても美味しい海の幸を頂き、宮古のホテルに一泊しました。翌日は、後に大津波でひどい被害のあった大槌町に行き、少し縁のあったお寺と墓地に立ち寄りました。そこからトンネルをくぐって釜石に出たのです。
ここで地方史を少し知りたくて、市立図書館に立ち寄りました。司書の女性が、あれこれと親切に探して下さってとても助かりました。やがて一件落着となり、親しくなった司書の方に「何処かに美味しい夕食を頂けるところがありませんか」とか「お土産は何がいいでしょう」とお聞きしたのです。「東北のお土産なら、何と言つても一番は「かもめの玉子」でしょう」と言われたのです。何処でそれが手に入るかお聞きして、其処まで行って買つて帰ったのが最初の出会いでした。
以来16年間一年に一度くらいは、取り寄せたりして味わつています。全国の銘菓コンクール第一位にも輝いたそうで、それはそれは美味しい銘菓です。玉子と言うだけあつて、本当の卵と同じくらいの大きさで、とても味の良い贅沢な黄身餡をカステラ生地とホワイトチョコレートで包んであるお菓子です。最近は、デパートで全国の銘菓が買えるようになりましたから、手に入る機会も増えて、或いはご存知の方も居られるかも知れません。
つい最近も、妹から特大の美味しい林檎を沢山送って貰いましたので、お返しに「時期から考えるとかもめの玉子が良いのでは」という家族の意見で、届けて貰うように手続きをして、ついでに我が家の分も取り寄せました。
妹は、以前送ったこともあるので知っていたのですが、お礼のメールに、「ある時スーパーにカモメの玉子が東北の名物として売っていたので、懐かしくて買って来たけれど、以前送って貰ったものに比べて小さく、時代の流れか、と寂しく思いました。けれどもこの度送って貰ったのは、大きくてとてもおいしかった。」と綴られていました。どうやら「かもめの玉子ミニ」と間違えたようです。口に頬張ったときの食感が、私にも矢張り大きいほうが、遙かに美味しいのです。
その後あの大災害がありました。この銘菓を作っているのは、大船渡のさいとう製菓という会社ですが、私は心配してすぐにパソコンで被災したかと調べてみました。どうやら地域としては被災したようだと思っていましたら、製菓の方から、「今回被災しましたが、必ず立ち直りますからお待ちください」とはがきが届きました。その熱意と誠意に感動して、一層ファンになりました。
釜石の災害もひどかつたので、あの親切な司書の方はお元気だろうか、とあれから時折気にしています。連絡する方法もなく、ただかもめの玉子を取り寄せるたびに、想い出して感謝しています。
このようにして、この銘菓を食べるとあの人が思い出される、とか、この食品にはあの旅行の想い出がある、等ということが、年を重ねるごとに多くなりました。折々お礼を送るついでに自家用に注文して、今は昔の想い出を懐かしくなぞっています。
紅葉が綺麗な頃ですが、もみじ饅頭と言えば、厳島を想い出します。ご近所からお裾分けと言ってぷりぷりの牡蠣を頂くと、広島の牡蠣舟を思い出し、チンヂャオロースーが食卓に出ると、青森のレストランから、リラの花を眺めながら頂いた中華料理を思い出すと言った具合です。
皆さんもいつか想い出されることがありましたら、カモメの玉子を召し上がって見て下さい。きっと失望はなさらないと思います。
郵政民営化で、株が売り出されました。「今後は、株主の皆さんのご期待に応えられるように、努力します。」と社長の挨拶がありました。私はがっかりしました。株を買ってくれたのは、確かに株主ですが、みな国民です。何故国民の皆さんのご期待に添うよう努力します、と言えないのでしょうか。民営化されても、サービスの対象は国民の筈です。
売り上げ金は、東北の復興に使われると聞きました。是非有効に使われて欲しいものだと願っています。未だ仮設住宅でこの冬を迎える人達がおられます。一人でも多くの人達が、温かく希望に満ちた冬が過ごされますように。