ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

懐かしい歌に誘われて

2012年11月09日 | 随筆・短歌
 「歌は世につれ世は歌につれ」という諺があります。誰もがきっと人生の中で、その時代に流行ったり習ったりした、忘れられない歌を持っていることと思います。私の場合は「ソルベージソング」がその一つです。高校時代に選択科目で音楽を選びました。書道や体育も選択科目でしたが、運動が苦手な私は楽な音楽にして、クラブ活動も合唱部でした。
 ある時ソルベージソングを教えて頂きました。「冬は逝きて、春過ぎて春過ぎて、夏も逝きて年経(ふ)れど、年経(ふ)れど、君が帰りをただ我は、ただ我は、誓いしままに待ちわぶる、待ちわぶる・・・」と黒髪に霜の降るまで待ち続けるという歌詞です。グリーグのペールギュント組曲の、ソルベーグの悲しい物語を、切々と歌い上げるのです。
 多感な青春時代でしたから、その一途な気持ちが切なくて、胸に迫ってきて、忘れられない歌となって、今もなお残っています。よく自家用車で夫婦して遠出した時に、CDから流れるその組曲に、昔を偲びました。
 次に啄木の「初恋」の短歌に曲がつけられた歌です。「砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日」というあの有名な短歌です。
 遠い昔のことですが、現役時代に宴会があって、順番にどうしても歌を歌わなければならなくなることがありました。私は流行歌を殆ど知りませんでしたので、この「初恋」を良く歌いました。それから万葉集の山上憶良の「瓜食(は)めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲ばゆいづくより来りしものぞ眼交(まなかひ)にもとなかかりて安眠(やすい)し寝(な)さぬ」「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」と、反歌も続いて一曲になっています。これも又、高校時代に学んだ大好きな歌です。
 私は声が悪く、高い音が出にくく、ハモるほうが好きでしたから、合唱のパートは、専らアルトでした。高音が上手く出ないのに、無理をして歌うのですから、下手に決まっています。宴席では順番の娯楽ですから、仕方がありません。重ねるうちに、人前で歌うことを、さして恥だと思わなくなってきたことが不思議でした。
 やがて合唱組曲「流浪の民」も習いました。これはコンクールの曲でした。勿論私はアルトですし、独唱の部分は上手い人が受け持ち、その他大勢の仲間でした。拉致被害者の横田めぐみさんが、小学校時代に歌っていたそうで、驚きをもって聞きました。流浪の民というのは、ジプシーのことで、その心をくみ取って歌うように、と音楽の教師に大変しごかれた思いがあります。それだけに一層想い出深く愛着を感じます。
 職を退いて、ごく僅かな期間でしたが、まだ介護が必要無かった頃に、市の女性コーラスのグループに入れて頂いて、「オン・ブラ・マイフ」等歌っていました。歌うことを楽しむという気持ちで、何とか迷惑を掛けないように付いて行っていました。下手でも歌うことは楽しいことです。その後暇になってから、夫婦でカラオケルームへ出掛けました。
 この頃は、いろいろな流行り歌も歌えるようになっていて、二人きりなものですから、二時間ほど、交互にマイクを握って勝手に歌うのです。島崎藤村の「惜別の歌」になると、私が三番まで歌うと夫が曲を繰り返して、六番迄歌うのです。変な老人夫婦だと自分でもそう思います。 
 今日は、義母の命日です。私は何はともあれ、夫を産んで呉れて、私達がこうして家族で暮らしていることに感謝しています。義母の好きだったお団子を仏前に供えて、お参りも済ませました。
 子供たちが幼かった頃に、義母は良く子供たちに歌を歌って呉れていました。「一年生になったら、一年生になったら、友だち百人出来るかな」というあの歌が一番想い出深く残っています。
 思えば、たかが歌されど歌、一つの歌が当時を彷彿と思い出させて呉れるから不思議です。自分の誕生日を目前にして、また一つ年を重ねるというのに、恥ずかしいくらい幼稚な自分をさらけ出しています。

捨て去りし筈の思ひが突如湧くソルベーグの歌街に流れて(実名で某紙に掲載)
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