地球上の生きとし生けるものは、時と共に老いてゆきます。勿論人間も例外ではありません。人生の上り坂をたどっている時は、希望を持って怖れずグイグイ生きて行きます。
しかしある年齢になると、果たしてこのままでよいのか、立ち止まって考え、より良い生き方を求めて、悩むようにもなります。
まして老い先短くなると、残された日々をどのように生きるか、焦りにも似た気持ちで考えます。運命は、考えたってどうにも避けられないところもありますが、しかし人生には自分の意志で決めることができる部分も多々あります。
例えば一日をどのように使うか、どんな趣味を持つか、生き甲斐を何に求めるか、など様々あると考えられます。
私のような平凡な主婦にも、家庭を維持する為の仕事があり、おいしい料理を作って家族と共に楽しむとか、殊に家の水回りや庭回りを、毎日綺麗に掃除して、花を育て、気持ちの良い環境で生活がしたいですから、家事にもせっせと励みます。
勿論これは、主婦だけの仕事ではありませんから、家族も手伝い、自ずと持ち場が決まって上手く循環し、維持されています。
家事以外は、皆さんもご存知のように、このブログを書き、短歌等を作るのに四苦八苦し、毎週少なくとも二日は、フィットネスジムに通い、二週に一回は図書館へ行って、好奇心に振りまわされて本を読んだり借りたり、時にはCDやDVDを借りて来ます。
夫が毎週レンタルビデオ店から、気に入ったDVDを借りて来ますから、週の半分の夜は、映画やドキュメントを見て団らんを楽しみ、残りの夜は創作活動をしています。そして折々旅行や観劇・音楽会、家族や友人との会食などを楽しんでいます。
これらの中で私の一生の友となるものは、今は創作活動と言えるでしょうか。ブログや短歌ばかりでなく、料理や俳句なども含めて。その為の勉強としても、読書等が周辺に存在します。
しかしこれ等は恐らく誰もがしていることであり、問題は折角この世に生かして頂いているのですから、最後まで人間らしく、出来たら人様の役にも立ち、美しく老いたいと思うのです。死ぬ迄誰かの役に立っていたいという思いがあります。喩えそれが「和顔施」のようなものであっても。
美しく老いるということでは、先頃ケネディー駐日大使が、成形手術をしない、ごく自然のお顔をしておられるのに、注目が集まりました。超セレブな家庭にあって、特別に若く見せようとせず、その自然な気品には、俳優さん達の美容整形に依る美顔になれていた私達を驚かせました。
私達の日本の皇后陛下も、自然な気品を漂わせ、とても美しい自然な老いを感じさせておられます。そのお姿をテレビで拝見する度に、日本女性の鏡とも言える、お姿に感動を覚えます。
気品というものは美容整形では決して表せません。身についた高い教養や日頃からの礼節、優しさ、慈悲の心などなどは、永い年月を積み重ねて、ようやく表に現れるものだと思います。
私の友人達も、理知的でしっかりして居られ、心の優しい人達は、同じように自然な姿をしておられます。私も見習うように努めています。しかし、漏れ聞くところによると、最近はスポーツジム等の回りでは、主婦の美顔術が秘やかに流行っているそうです。すでに若者も、自分の顔にメスを入れ、一重まぶたを二重にしたり、美しくあろうと努力しているようです。
女性も男性も若くあろうと、運動したりして体を鍛えるのは良いことだと思いますが、アンチエイジングとばかりに、効き目の曖昧なサプリメントに頼ったり、美顔術や美容整形に頼るのは如何なものでしようか。
最近長い間美容整形に親しんで来た人の中に、「どう老いたら良いか解らない」と鬱に陥る人が居ると、ある新聞に出ていました。確かに、実年齢は80歳くらいの人で、せいぜい30代としか見えない女優さんも居られます。この人達ばかりではありませんが、第一線を退いたとき、どう老いたらよいか、解らなくなるのも頷けなくはありません。実年齢の自分の顔を映し出す鏡があったら、きっと別人としか思えないことでしょう。家族が「もはや死ぬ迄整形し続けるしか、救う道はないのでは」と言いました。それでは何処かへ本当の自分を置き忘れて来たようで、寂しくも思えます。
本当の美しさとは、顔ではないということは、誰もが解っていると思うのですが、矢張り「色の白い人は七難隠す」と言われるように、外形的な美を最も重要視しがちになるのでしょうか。
人間の美しさとは、老いるに従って、長年にわたり磨き抜かれた心の美しさの現れた顔、多くの皺に刻み込まれた苦労の滲む顔、そんな顔にあるのではないでしょうか。
本来の顔には、人それぞれに親から受け継いで来たDNAの歴史があります。それを「気に入らない」からと言って人工的に変えてしとまうことは、その時点で戸籍を無くした人間になるようで、寂しい思いがします。
その人の考え方、心の優しさ、行いの美しさが、最も価値あるものとして、私はもっと目を向けられて欲しいと思っています。そして私自身も、少しでもそうありたいと願って励みたいと思っているところです。こんな言葉があります。
若い女性は美しい。しかし老いた女性はもっと深く美しい。
ウォルター・ホイットマン(1819~1892)
しかしある年齢になると、果たしてこのままでよいのか、立ち止まって考え、より良い生き方を求めて、悩むようにもなります。
まして老い先短くなると、残された日々をどのように生きるか、焦りにも似た気持ちで考えます。運命は、考えたってどうにも避けられないところもありますが、しかし人生には自分の意志で決めることができる部分も多々あります。
例えば一日をどのように使うか、どんな趣味を持つか、生き甲斐を何に求めるか、など様々あると考えられます。
私のような平凡な主婦にも、家庭を維持する為の仕事があり、おいしい料理を作って家族と共に楽しむとか、殊に家の水回りや庭回りを、毎日綺麗に掃除して、花を育て、気持ちの良い環境で生活がしたいですから、家事にもせっせと励みます。
勿論これは、主婦だけの仕事ではありませんから、家族も手伝い、自ずと持ち場が決まって上手く循環し、維持されています。
家事以外は、皆さんもご存知のように、このブログを書き、短歌等を作るのに四苦八苦し、毎週少なくとも二日は、フィットネスジムに通い、二週に一回は図書館へ行って、好奇心に振りまわされて本を読んだり借りたり、時にはCDやDVDを借りて来ます。
夫が毎週レンタルビデオ店から、気に入ったDVDを借りて来ますから、週の半分の夜は、映画やドキュメントを見て団らんを楽しみ、残りの夜は創作活動をしています。そして折々旅行や観劇・音楽会、家族や友人との会食などを楽しんでいます。
これらの中で私の一生の友となるものは、今は創作活動と言えるでしょうか。ブログや短歌ばかりでなく、料理や俳句なども含めて。その為の勉強としても、読書等が周辺に存在します。
しかしこれ等は恐らく誰もがしていることであり、問題は折角この世に生かして頂いているのですから、最後まで人間らしく、出来たら人様の役にも立ち、美しく老いたいと思うのです。死ぬ迄誰かの役に立っていたいという思いがあります。喩えそれが「和顔施」のようなものであっても。
美しく老いるということでは、先頃ケネディー駐日大使が、成形手術をしない、ごく自然のお顔をしておられるのに、注目が集まりました。超セレブな家庭にあって、特別に若く見せようとせず、その自然な気品には、俳優さん達の美容整形に依る美顔になれていた私達を驚かせました。
私達の日本の皇后陛下も、自然な気品を漂わせ、とても美しい自然な老いを感じさせておられます。そのお姿をテレビで拝見する度に、日本女性の鏡とも言える、お姿に感動を覚えます。
気品というものは美容整形では決して表せません。身についた高い教養や日頃からの礼節、優しさ、慈悲の心などなどは、永い年月を積み重ねて、ようやく表に現れるものだと思います。
私の友人達も、理知的でしっかりして居られ、心の優しい人達は、同じように自然な姿をしておられます。私も見習うように努めています。しかし、漏れ聞くところによると、最近はスポーツジム等の回りでは、主婦の美顔術が秘やかに流行っているそうです。すでに若者も、自分の顔にメスを入れ、一重まぶたを二重にしたり、美しくあろうと努力しているようです。
女性も男性も若くあろうと、運動したりして体を鍛えるのは良いことだと思いますが、アンチエイジングとばかりに、効き目の曖昧なサプリメントに頼ったり、美顔術や美容整形に頼るのは如何なものでしようか。
最近長い間美容整形に親しんで来た人の中に、「どう老いたら良いか解らない」と鬱に陥る人が居ると、ある新聞に出ていました。確かに、実年齢は80歳くらいの人で、せいぜい30代としか見えない女優さんも居られます。この人達ばかりではありませんが、第一線を退いたとき、どう老いたらよいか、解らなくなるのも頷けなくはありません。実年齢の自分の顔を映し出す鏡があったら、きっと別人としか思えないことでしょう。家族が「もはや死ぬ迄整形し続けるしか、救う道はないのでは」と言いました。それでは何処かへ本当の自分を置き忘れて来たようで、寂しくも思えます。
本当の美しさとは、顔ではないということは、誰もが解っていると思うのですが、矢張り「色の白い人は七難隠す」と言われるように、外形的な美を最も重要視しがちになるのでしょうか。
人間の美しさとは、老いるに従って、長年にわたり磨き抜かれた心の美しさの現れた顔、多くの皺に刻み込まれた苦労の滲む顔、そんな顔にあるのではないでしょうか。
本来の顔には、人それぞれに親から受け継いで来たDNAの歴史があります。それを「気に入らない」からと言って人工的に変えてしとまうことは、その時点で戸籍を無くした人間になるようで、寂しい思いがします。
その人の考え方、心の優しさ、行いの美しさが、最も価値あるものとして、私はもっと目を向けられて欲しいと思っています。そして私自身も、少しでもそうありたいと願って励みたいと思っているところです。こんな言葉があります。
若い女性は美しい。しかし老いた女性はもっと深く美しい。
ウォルター・ホイットマン(1819~1892)