ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

人間の哀しみを誘う歌2題

2018年10月07日 | 随筆
 穏やかな秋の午後、久し振りにアップルパイを焼きました。退職後、暇に任せてよくパイ等のお菓子を作った事を思い出しました。ケーキ作りが趣味でもありましたが、去年の暮れの脚の手術以来、少し遠のいていました。
 最近は家族に「太るからご馳走責めは困る」と言われる事が多く、せいぜいフルーツのゼリーを作って、食後に供する位だったのです。何となくわくわくして、楽しみながらパイを焼き上げました。昔は小麦粉に無塩バターを切り込む事から始めたのですが、今は冷凍パイシートが売っていますから、誰にも失敗無く、とても簡単に作れます。
 「菓子類」というレシピ集も作ってあって、気に入ったケーキ類を気分に任せて作るのも楽しみの内でした。ご近所の人に上げたり、生チョコなどは友人などに送ったりもしました。生チョコの箱も手に入りにくい時代もありましたが、今は百円ショップで買えますから便利になりました。
 今日はウォーキングの途中で、ホームセンターに立ち寄り、義父が好きだった「真っ赤な薔薇の花の鉢植え」を一つ買って来て、先ほど夫に手伝って貰って地植えしました。
 つい先日庭師さんが3人で、一日掛かって剪定を終えて、庭の樹々がカラリときれいになりました。義父は薔薇が好きで、東側の門の脇にピンクと黄色の四季咲きの薔薇を植えてあるのですが、今迄は他に棕櫚の木が二本、真ん中の羅漢樹を残して更に銀杏が一本あって、薔薇も植える空間が少なかったのです。
 近年台風の脅威が大きくなって来て、棕櫚は風で倒れる危険性もありましたし、夫が庭師さんに頼んで棕櫚二本と銀杏を先日の剪定のついでに切ってもらいました。
 薔薇二本では少し寂しくなり、棕櫚のあった処に義父が好きだった真っ赤な薔薇を地植えしたのです。何故もっと早くに此処に真っ赤な薔薇も植えなかったのか、と後悔しながら、やっと植えたと云う安堵感で、何となく癒やされた心地になりました。
 これで門の左側には赤・ピンク・黄色の四季咲きの薔薇が揃い、満ち足りた気分になりました。前庭の白蓮も義父が好きで、想い出深い樹です。
 心が癒やされるというと、最近カセットレコーダーを買い換えて、随分古いさだまさしのテープやCDを取り出して来て聴いています。
 もうテープの時代ではないのですが、若くて声の良い時代のさだのテープを聴くことは、その時代の時間を取り戻したようで、懐かしく、その頃の喜びや哀しみに浸りたくなって来ました。年老いて残り少なくなった私達の人生を思う時、かつて大好きだった歌を聴くことは、悪くないものだという気持ちが湧いて、当時の私達の人生を偲びながらしんみりと聴き入りました。
 時間は通り過ぎて行くものですが、想い出は時と共に何時までも残って、その時代に過ごした日々の生活を、濃密に思い出させてくれました。
 皆さんもご存じだと思うのですが、過去に幾度も泣きながら聴いた「さだまさし」の歌詞を少し書かせて下さい。

   空蝉(うつせみ)

名も知らぬ駅の待合室で 僕の前には年老いた夫婦
足元に力無く寝そべった 仔犬だけを現世(うつせみ)の道連れに
小さな肩寄せ合って 古新聞から おむすび
灰の中の埋火おこすように
頼りない互いのぬくもり抱いて
 ああ 昔ずっと昔 熱い恋があって
 守り通した ふたり

 いくつもの物語を過ごして
 生きて来た 今日迄歩いて来た
 二人はやがて来るはずの汽車を
 息を凝らしじっと待ち続けている
 都会へ行った息子がもう 迎えに来るはずだから
 けれど急行が駆け抜けたあと
 すまなそうに駅員が こう告げる

  あゝもう汽車は来ません とりあえず今日は来ません
  今日の予定は終りました
   ~くり返し~ 

 この曲を聴くたびに、息子は今日は迎えに来なかったのだけれど、明日はきっと来る、とは思えず辛いのです。この先老夫婦の人生はどうなっていくのかと、たまらない思いに駆られてしまいます。私達がこの曲に親しみ、涙を零したのは、もう20年以上昔になります。
 現在の穏やかな日々に感謝しながら、当時を偲んでいます。
 

   償い

 月末になるとゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
 必ず横町の角にある郵便局へとび込んでいくのだった
 仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だ と
 飲んだ勢いで嘲笑ってもゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

 僕だけが知っているのだ彼はここへ来る前にたった一度だけ
 たった一度たけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
 配達帰りの雨の夜横断歩道の人影に
 ブレーキが間に合わなかった彼はその日とても疲れてた

 人殺しあんたを許さないと彼をののしった
 被害者の奥さんの涙の足元で
 彼はひたすら大声で泣き乍ら
 ただ頭を床にこすりつけるだけだった

 それから彼は人が変わった何もかも
 忘れて働いて働いて
 償いきれるはずもないがせめてもと
 毎月あの人に仕送りをしている

 
 今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣き乍ら走りこんで来た
 しゃくりあげ乍ら彼は一通の手紙を抱きしめていた
 それは事件から数えてようやく七年目に初めて
 あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

 「ありがとうあなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました
 だからどうぞ送金はやめて下さいあなたの文字を見る度に
 主人を思い出して辛いのですあなたの気持ちはわかるけど 
 それよりどうかもうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
 
 手紙の中身はどうでもよかったそれよりも
 償いきれるはずもないあの人から
 返事が来たのがありがたくて ありがたくて
 ありがたくて ありがたくて ありがたくて
 
 神さまって思わず僕は叫んでいた
 彼は許されたと思っていいのですか
 来月も郵便局へ通うはずの
 やさしい人を許してくれてありがとう

 人間って哀しいねだってみんなやさしい
 それが傷つけあってかばいあって
 何だかもらい泣きの涙がとまらなくて
 とまらなくて とまらなくて とまらなくて


 私はさだまさしのファンですから、そう感じるのかも知れませんが、さだは現代の詩人として、優れた才能を有していると思っています。
 以前も触れましたが、「償い」については、ある裁判官が被告人に、 「この「さだまさしの償いを知っていますか。是非聞いて欲しい」と諭して、有名になりました。
 私達の誰もが、交通事故の加害者になろうと思って事故を起こしたりする人はいません。しかし、最近高齢者の事故は、見過ごすことが出来ないほど多発しています。くれぐれも加害者にならないように、検査を受けたりして、家族ともども話し合い、対応して欲しいと思います。運転免許が無いと暮らして行けない僻地もあますから、一概には言えませんが。
 科学の発達によって、接触事故を起こさないような車を開発しているようですし、高齢者の車には、そのような車を義務づける、とか速度規制が自動的に為されるような仕組みも、あっても良いのでは、と思ったりしています。被害者になる悲惨さは計り知れませんが、加害者もまた、重い責任に悩む事になります。
 年老いてからの、家族の将来をも巻きこんでの事故のニュースを聞く度に、私は言い様の無い哀しみを覚えます。
 カセットレコーダを新調した機会に、ふとさだまさしの古い歌で、当時大変感動して、泣きながら聞いたテープを再び聴く機会を得ました。時代は変わっても、人間の哀しさは本質的には何ら変わる事はないのだ、と再認識させられました。
 長崎県外海(そとめ)の遠藤周作文学館の入り口に「人間はこんなに哀しいのに、主よ海はあまりにも碧いのです」と刻まれた石ぶみの様子が、突如脳裏に浮かんできました。
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