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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

カラスの復讐から思うこと

2011年06月10日 | 随筆・短歌
 つい先日のことです。近くのAさんがカラスと猫が餌を争っているのを見かけました。Aさんは思わず小石を拾ってカラス目がけて投げつけました。カラスは直ぐに逃げたそうです。それから数時間後のことです。Aさんがバスに乗る為に三分程の距離を歩いていましたら、途中の電柱のてっぺんに止まっていたカラスが急降下してきて、帽子すれすれに襲いかかって来たそうです。Aさんは咄嗟に頭を縮めて難を逃れました。ところが直ぐに又急降下してきて襲って来たそうです。もしそのまま歩いていたら、帽子を足に引っかけられる位だったそうです。バス停に着くまでの150mほどの間で三回襲われました。これは明らかに復讐だとAさんは思いました。バスを待つ何人かの人も「危ない!」と叫んで驚いていたそうです。
 そう言えばカラスはとても賢く執念深く、虐められると一ヶ月間も覚えていて襲われた人もいると、聞いたことがあります。その話を聞いた時、思わず「カラスって嫌な鳥だ」と私は思いました。ですがふと、カラスと猫とどちらが良い動物とは言えないのではないかと思ったのです。カラスは黒くてその上声が悪いので嫌われがちですが、彼等も生きて行く為に、食料を自分で探さなければならず、きっと必死だったことでしょう。猫は冬は暖かく、夏は涼しい家の中で大切に飼われていて、三食昼寝付きでぬくぬくと生きています。カラスは何故人間は自分を排除しようとするのか、こんな理不尽なことをする人間は許せないと思ったのではなかと思い初めました。
 そう考えて見ますと、一方的にカラスを嫌うのは、偏見だったと気付いたのです。真っ黒な羽根と、あの鳴き声を可愛いという人は少ないかと思われますが、カラスに温かい目を向けた詩人がいたことに気付きました。
 私は野口雨情の「七つの子」という歌が好きです(カラス何故鳴くの・・・というあの歌です)特に「可愛 可愛 とカラスは鳴くの」という部分と「丸い目をしたいい子だよ」という詩が母性愛を象徴しているようで、温かくてとても好きです。雨情はカラスも子供を愛し、大切に育てている優しい生き物なのだと思ったに違いありません。
 黒いから嫌いというのは、ある種、黒人への偏見や少数民族への偏見に近いようで、恥ずかしくもなりました。私の好きな俳優のモーガン・フリーマンや、大リーグでも多くの黒人選手がとても素晴らしい活躍をしています。アフリカの飢えている少年達の、あの黒くて丸くてきらきらしている目を見ると、痩せていても子供達はこのように美しい目をしている、と感動さえ覚えます。子供達はこうでなくては、とも思ったりする位です。
 ああだから、こうだからと外見で分け隔てするのは、良くないことだと恥ずかしくなりました。人間も動物も一生懸命生きているという点では同じです。特に五月頃のカラスは子育て時期に当たり、攻撃的に成りやすいと何かで読んだ覚えがあります。子育ては本能ですから、子育ての為に是非必要な餌を奪い合っていた所を、石で追われては叶いません。山田無文という禅僧が述べておられるのですが、「親と子ではない、親の子であり、子の親である。先生と生徒ではない、先生の生徒で、生徒の先生だ。社長と社員ではなはない、社長の社員、社員の社長でなければならない。これが、日本流である。」とあり、なる程と思いました。対立する形にならべると、そこに不満が生じて来るわけです。最近、何かというとあれが足りないこれが不足だと、要求することが多くなって来たようです。それがかえって不幸感を募らせているように思います。政府は与えるべき人で、国民は与えられる権利のある人と分けて考えるからそうなるのではないでしょうか。与える立場の人も与えられる立場の人も皆税金を納めて、それを当てているだけです。お互いに与えたり与えられたりする人間同志であると思えば、そう不平不満に満ちた状態にはならないように思うのです。
 相手を思い合って考えれば、自ずとよい方向に解決して行くことでしょう。カラスと猫の餌の取り合いから、改めて気付かされたことでした。

 曲解と諭されつつも疼きゐる心を緑の雨に慰む(実名で某誌に掲載)