ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

ミレーの「晩鐘」のように

2011年03月21日 | 随筆・短歌
 大震災から10日が経ちました。このブログを読んで下さっている方は、多分全国におられることと思われますが、如何お過ごしでしょうか。被災された方々には、心からのお見舞を申し上げます。地震による被害の様子が次第に明らかになるにつれ、また原発の被害のその後の様子を聞くにつれ、直接間接の被害者は数知れず、計画停電に耐える人々も含めると、日本人の半数近くの人々が、何らかの被害に遭っていると云っても過言ではないように思います。
 災害時は気を張っていた人も、そろそろドッと疲れが出て来る頃です。こういう時は、「今日一日をしのごう」という短いスパンで考えて、何とか乗り切って頂きたいと祈っています。
 丁度ミレーの「晩鐘」の絵のように、一日が終わって教会の鐘を聞きながら、「今日一日が無事に過ごせたことを感謝します」と祈りを捧げている農夫のように、せめてささやかな一日を感謝で過ごせたら・・・、と思っています。
 「それは当事者でない人には理解出来ないことだ」というお叱りの声も聞こえるようではありますが、起きてしまった災害は、悔やんでも仕方のないことですから、ひたすら前を向いて歩くしかありません。 遠くを見ると疲れて歩けなくなってしまう恐れがあります。直ぐ目の前を見て、兎に角そこまでは安全に進む、といった気持が大切かと思います。
 私が若かった頃に、槍ヶ岳から北穂高を通り前穂高岳まで、縦走した時のことを以前一度書きましたが、北穂高岳へ向かって大キレットを下る頃から、とてつもない不安に襲われて来ました。いよいよ北穂高に登り始めた時、上を見上げると頂上も見えない絶壁に途方に暮れ、下を見れば目もくらむ断崖です。足場をしっかり確保して、立っているのがやっとという思いでした。進むことも退くことも難しいく、ひたすら直ぐ近くにある登山の方向を示す赤い丸印を見て、そこまでの一歩を安全に進むことしか、考えられなかったのです。でも何時間か必死にそれだけ目指して、少しずつ進んでいましたら、ひょいと北穂頂上小屋のある台地に出たのです。助かった!と思った瞬間体から力が抜けて、ヘタヘタと座り込んでしまいました。
 以来困難な事態に遭遇した場合は、これから先を遥かに見通してあまり不安にならないように、過ぎ去った過去をもなるべく考えないで、一途に目の前の一歩だけを安全に踏み出すことに集中することを覚えました。実際はなかなか難しいことではありましたが、人生を生きていく貴重な教訓を得たことは事実です。
 災害以来、夕方陽が沈む頃になると、カーテンを締めるわけですが、何となく今日も一日無事であったことに感謝して、日の入りを眺めることが多くなりました。今は節電の為に、薄暗くなるまで電灯は付けないようにしていますが、平穏に過ごせた一日の充実感があり、特定の対象ではなく、ありとあらゆるものに対して感謝の気持が湧いて来ます。
 一昨日はお彼岸に入りましたので、我が家でも墓地へお花や線香などと、タワシ類やバケツを持って、お掃除とお参りに行って来ました。墓園は海側の松林に高く広い道路が出来て、整備された土地の分だけ拡張工事中でしたが、管理が行き届いていて嬉しく思いました。もう2/3程のお墓にお花が供えてあり、大勢の家族連れが訪れていました。喪服の人々もいて、休日なので、納骨や法事があったのでしょうか。「家族一同を守って頂いて有り難う御座います」とお礼の言葉を添えてお参りして来ました。大災害の後でしたので、次は我が身かと思いつつ、「何時幽明堺を越えてそちらにお世話になるかも知れませんが、その節はよろしく御願いいたします」と御願いしてきました。
 家を失い家族を失い、職業や、土地を失って、途方に暮れておられる方々を思うと、本当にお気の毒ですし、我が身に置き換えて考えますととても辛く、一刻も早い復旧復興を願うばかりです。
 地震列島日本は、過去に幾度も地震の被害に遭い、その都度立派に立ち上がって来ました。希望を見失うことなく、昨日より今日、今日より明日、一歩一歩前へ進んで行きましょう。そして今日一日が無事に終わった時に、感謝と希望がありますように。
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