ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

お盆を終えて

2016年08月18日 | 随筆
 お盆が終わって、再び平常の生活が戻り、賑やかだったご近所も以前の静かさとなりました。この時期になると、急に朝晩の気温が下がって、虫の音も聞こてきます。生きる喜びと哀しみを訴えているように思えてなりません。夏休み中で、登下校の生徒達の姿も未だ見えず、何時もは我が家の前に集まる小中学生達の元気な挨拶にも逢えず、日々静かな朝を迎えています。
 何故か今年は、山奥に行かないと聞けない、法師ゼミの鳴き声が聞こえて驚きました。昭和20年8月15日は、田舎の我が家の庭の木々に、蝉が大声で鳴いていて、抜けるような青空の日でした。正午の玉音放送を聞いて、坪庭に出たあの日の哀しみを思い出すのですが、今は蝉も涼しくなった夕方にならないと鳴かず、日中は無音でジリジリと照りつける暑さばかりです。
 蝉が羽化する為に出て来た穴が、庭に沢山ありますが、暑い日中には一匹たりと鳴かず、日が暮れる頃になると鳴きだし、日が落ちた後も未だ鳴いています。身の回りの自然の様相もひたひたと亜熱帯に近づいているようで、庭の飛び石に、毎年一匹チョロチョロ姿を見せる蜥蜴も、今年は見えなくなり何となく寂しいです。
 先日家の近くの高校のフェンスの際に沿った道路を、何時ものようにウォーキングしていましたら、4センチ前後の小型のミミズが、フェンスの草群から3~40センチ位アスファルト道路に這い出し、数百匹と覚しき数が干からびていました。私達は、フェンス脇を70メートル位歩くのですが、一夜の出来事でしたから、これはどういう現象なのか、理解に苦しみました。まるで集団自殺のように思え、見るに堪えない思いで急いで通り過ぎました。皆一斉に北へ北へと進んだのか、単に車道を横切ろうとしたのかは不明です。車のわだちあたり迄届く前に、前進をあきらめたのか、皆北へ頭を向けていました。
 フェンスの中は現在は廃校になっていますから、草に覆われた前庭は、ミミズにとっては快適な住まいであったのかもしれませんが、余りの暑さに居たたまらず、あちこちから這い出して、コンクリート道路を少し進んだ処で、脱水状態になって進めなくなったのか、とも思いましたが、仏さまと同じく皆北向きというところが、何ともいじらしいく思われました。
 お盆のお飾りも下ろす頃ですが、キュウリの馬と茄子の牛は、義父母と同居した51年前のお盆に、義母が教えて造って見せて呉れました。キュウリの馬に乗って、御霊に一刻も早くおいで頂くのと、お帰りは牛でゆっくりとお帰り頂くという願いだそうです。こんな処にも日本人らしい細やかな心遣いがあります。
 私は義母と一緒に永く続けて来た習慣として、今年も漉し餡を造って、白玉の団子に甘い餡を載せて、供えました。餡が大好きな家族の為に多めに作って、一回はおはぎを作れる分を冷凍保存にしました。
 回り灯籠はお盆にはなくてはならない飾り物です。クルクル回って、様々な彩りの影を映し出し、お座敷の仏壇前が賑やかになります。地方独特のお盆の御菓子や果物籠・お花等、それぞれ習慣があり、これもみなスーパーに売られていて便利です。
 お盆は仏教の盂蘭盆経から来ています。私がNHKの生涯学習講座を学び始めたのは、1991年でした。既に退職して何年も義父母の介護をしての生活でしたが、やがて義母、義父の順に無事に送りました。その後始めた通信教育でしたが、在宅の学習でしたから、とても自由に楽に学習出来て助かりました。書道や、日本史・数学・般若心経など、2~3講座を並行して学んだこともありました。
 やがて96年に仏典入門にたどり着きました。中々難しく、リポートを書くために、何度も何度も、テキストを読み返しました。 仏教の深さに感動して、これはやがて又再学習をしようと思いました。実際に二度目の学習を始めたのは、2005年になっていました。内容も少し変わっていましたが、6ヶ月ずつ4講座は同じでした。テキストの全てを大切に取ってあり、今でも折りにふれて取り出して読んでいます。
 テキストによりますと、お盆の行事を作った「盂蘭盆経」では、自分を育ててくれた親の恩に報いたいと思った息子(木連尊者)が、死後餓鬼の世界に生まれて苦しむ母(食べ物を口に入れて食べようとすると、たちまち火になってしまう)の姿を見て、仏に「救済の方法」をお聞きします。それは飯、100程の沢山の味のあるもの、五種類の果物、水を汲んで置く盆器、香油、灯明、等々を整えて盂蘭盆の供養に加え、十万の徳の優れた僧たちに供養する事が大切だと知り、実行します。
 そこで仏は十万の僧に、「施主家(せしゅけ)のために幸せを願う言葉(呪願)を述べ、七世に渡る父母のために禅定(ぜんじょう=精神統一)に入り、心を安定させ、そのあとで供養の食事を受けなさい」と諭され、これによって目連の嘆きは立ちどころになくなり、母も餓鬼の苦しみを除くことが出来たということです。
 ごく簡単な説明ですが、そこから今のお盆のご供養があり、それによって幸せの御利益を得るのだとされています。未来世の仏弟子で親孝行したい者は、七月十五日に同じようにせよ、と言われました。お寺のご住職がお盆に棚経(たなぎょう)をあげる・供養を受ける・お布施を頂く、の起源とされています。
 私はご先祖様のご供養が、お盆の何より大切な行事だと思っていましたが、実は親孝行したい人の全てに教えて居られるのだと改めて知りました。父母に対する報恩行は誰でもすべきことであると言うわけです。
 私は一番身近な自分を生んで呉れた両親のことを考えますが、七代さかのぼってとあり、確かに両親にも又親があり兄弟があります。延々と遡って、兄弟や配偶者や子供を入れて考えると、再現なく拡がって行きます。七代は永遠に近い広がりを暗示して居るようです。
 いずれにせよ親を大切にし、祖先を大切にすることは、生まれ落ちた時は、何も出来なかった自分が、曲がりなりにも何とか生きて行けるようになった訳ですから、ひとえに「そういう人達のおかげさま」と言えます。感謝以外の何ものでもありません。
 同時にこれから未来を考えると、我が子を愛しみ大切に育てることが、両親や祖先のご恩に報いることになります。きっとそれが御仏の慈悲におすがりする私達のすべきことだと思えるのです。
 鎌倉の円覚寺の管長の横田南嶺老師は、毎月第2と第4日曜日に、一般の人を対象に、法話をなさっておいでですが、毎回法話の冒頭に、父母が出会って私が生まれた、何もできなかった私を育ててくれたその父母の恩に触れられて、「このご縁に掌を合わせて感謝しましょう」と仰います。(老師の法話はネットの動画配信していて、どなたでもお聞きになれます。)
 何かと言うと不満が出てきそうな現代ですが、様々な出会いやその方達から頂くご縁に感謝するということが、幸せな暮らしに最も必要なことではないか、と思えて来ます。
 そろそろ虫が鳴き始めました。八木重吉に「虫」という詩があります。
 
 虫が鳴いている
 いま ないておかなければ
 もう駄目だというふうに鳴いている
 しぜんと
 涙をさそわれる

 いま しておかなければという事を考えると、私の身辺にも多々ありそうです。

 「秋立ちぬ、いざ生きめやも」と言う堀辰雄の美しい言葉もあります。酷暑を抜け出したら、元気を出してまた頑張りたいものだと思います。
 
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