私達夫婦に中々恵まれなかった子供が、結婚4年目にしてやっと授かりました。当時田舎に住んでいた夫の両親も孫を待ち望んでいましたから、願望の孫の誕生を喜び、早速お手伝いさんを頼んで呉れました。
小柄な方でしたが働き者で、年齢は60歳を少し過ぎた人のようでした。驚いたことに、好奇心が人一倍強い人で、私はすっかり感心してしまいました。私も歳を取ってから、この人のようになりたいものだと思ったものです。
毎朝、新聞は隅々まで読み、私との話は身を乗り出して聞いたり話したり、時には時間を忘れて話し込むこともしばしばでした。物知りを誇るわけでもなく、兎に角好奇心の塊のような人で、仕事もテキパキとそつなくこなして、申し分の無い人でした。
常に「キチンとしないと気が済まない」というようで、ぼんやりしていることがなく、何かしら立ち働くか、さもなければ本などを読んで居る状態でした。
心が優しく良く気の付く人で、このような方がどういう事情でお一人で暮らしているのか、そしてこのような仕事をしておられるのか、気になりましたが、フライバシーに立ち入るようで、とうとう聞かないで過ごしてしまいました。
「この赤ちゃんはとても利発な赤ちゃんですから、将来立派な人になるでしょう。私は大勢の赤ちゃんのお世話をしましたので分かるのです。」と褒めて下さって、私達もことのほか嬉しくて、この言葉が忘れられない想い出になりました。
産まれて未だ一ヶ月位の赤ちゃんの将来が分かるわけもないと思っていましたが、大勢のお世話をしていると、個性などから、ぼんやりと察しられることもあるのかと思ったりしたのです。まあ親馬鹿の始まりでした。
並大抵ではない好奇心の強さにすっかり感嘆した私は、好奇心は知識を自分のものにするばかりで無く、行動も伴いますから、自分の才能を伸ばすには、絶好な手段だと思っていました。ですから「私にはこれほどの好奇心があるだろうか」と反省もさせられたのです。
県都に転勤した夫が、義父の勧めで建てた家が完成して、そこへ引っ越すことになりました。夫の両親にも、田舎の家を義父の弟夫婦に譲って出て来て貰い、完成したばかりの現在の家へ、運良く同日引越が出来て、二家族は同居したのです。
何だか不思議に万事が上手く調って、私の産休が明ける前に、我が子を他人に預かって貰う事も無く、義父母に子供を託すことが出来るようになったのです。何と幸運に恵まれていたのかと、実に不思議な思いをしました。以来今日まで、続いて来たのです。
偶然の重なりで現在が在ることを考えると、み仏に導かれた一本の道をたどったに過ぎないとも思えます。「自分で切り開いて来た人生だ」と思われる人も居られるでしょうが、真実は検証しがたく、どう考えるかは、その人の自由でもありますから、私は神仏に頂いた「幸せな一本道であった」と来し方の苦楽も共に、感謝して過ごすことにしています。
私はこの家では、一番読書時間が少ない人間です。しかし、好奇心が人一倍強いところは、あのお手伝いさんにすっかり感化されたのでしょうか。
何処かで何かあった、と聞くと、直ぐに本棚から世界地図や日本地図、ロード・マップを取り出して来て、その場所を探して家族にも解説します。新聞やネットのニュースにも良く目を通すようにしていす。家族が本好きの為、「本の広告が良い」と言う理由で、全国紙は日経新聞を、他に身近なニュースの為に、地方紙を購読しています。ネットのニュースも私は日に三回は必ず目を通します。
家族は新聞派で、新聞のニュースの方が正しいと言います。確かにネットには、公正とは言いがたいニュースも存在し、盲信して読んで居るわけではありませんが、メールを開くついでに、珍しいニュースがある度に、その都度声に出して読み挙げたりします。
夫は「そのニュースの出所は、どの社か?」とよく聞いて来て、記事の発信元を確認して、信憑性を確かめます。そこまで読み込んで報告しない私は、そそっかしいと笑われることになります。芸能記事には関心がないので、殆ど読みませんし、事実とても疎く、朝ドラも見ないので、有名な新人俳優や歌手の名前も顔もろくに知りません。そこは、可成りの時代遅れです。
パソコンでメールを書く事やブログを書くことも好きですが、調べることも大好きで、何かあると直ぐに検索して調べます。だんだん深みにはまって、パソコンに向かっている時間が長くなります。「いい加減にして切り上げなさい」と注意されて、夜、映画を観たり短歌を推敲したりの後のパソコンは、休む前の30分位は、パソコンから離れるようにしています。
今年の夏頃でしたか、伊能忠敬が作った日本地図について、その正確さを調べたいという高校生が話題になって、私も過去には大変興味を抱いたことでしたから、現代の調査結果について、是非知りたいと思いました。
伊能忠敬が日本地図の測量を始めたのは、今から約200年余り前の1800年頃でした。その時代にしては、それはそれは正確だったと書いてありました。その苦労と偉業を偲んで、私は彼を心から尊敬しています。
他に旺盛な好奇心の持ち主を代表して、アインシュタイン博士の生涯について考えてみると、優れた人なりの苦悩に触れたりして、だからこそ一層人間として、尊敬に値する人物なのだと思っています。
アインシュタインはドイツの物理学者で、特殊相対性理論・一般相対性理論を説いた学者としてあまりにも有名です。現代の科学もアインシュタインの理論が元になっているとあります。
『天才とは努力する凡才のことである。』
『挫折を経験した事がない者は、何も新しい事に挑戦したことが無い ということだ。』
『大切なのは、疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない。』と言っています。
ユダヤ人だったアインシュタインには世間の風当たりは強く、苦労も多々あったようです。
質量とエネルギーの等価性を現す世界一美しい公式と呼ばれる【 E = mc2 】(エネルギー=質量×光速度の2乗)の公式が原子爆弾の開発に役立ってしまったことを悔やみ、この世を去る直前まで核兵器の廃絶を訴えていたそうです。
私達もアインシュタインと同じように、地球上に生まれた人類の仲間として、又核兵器の被爆国としての苦悩を忘れず、私達の子孫に続く沢山の人達に、核兵器廃絶を訴え続けたいものだと思っています。そして、常に疑問と神聖な好奇心を持ち続ける努力をしたいものです。
小柄な方でしたが働き者で、年齢は60歳を少し過ぎた人のようでした。驚いたことに、好奇心が人一倍強い人で、私はすっかり感心してしまいました。私も歳を取ってから、この人のようになりたいものだと思ったものです。
毎朝、新聞は隅々まで読み、私との話は身を乗り出して聞いたり話したり、時には時間を忘れて話し込むこともしばしばでした。物知りを誇るわけでもなく、兎に角好奇心の塊のような人で、仕事もテキパキとそつなくこなして、申し分の無い人でした。
常に「キチンとしないと気が済まない」というようで、ぼんやりしていることがなく、何かしら立ち働くか、さもなければ本などを読んで居る状態でした。
心が優しく良く気の付く人で、このような方がどういう事情でお一人で暮らしているのか、そしてこのような仕事をしておられるのか、気になりましたが、フライバシーに立ち入るようで、とうとう聞かないで過ごしてしまいました。
「この赤ちゃんはとても利発な赤ちゃんですから、将来立派な人になるでしょう。私は大勢の赤ちゃんのお世話をしましたので分かるのです。」と褒めて下さって、私達もことのほか嬉しくて、この言葉が忘れられない想い出になりました。
産まれて未だ一ヶ月位の赤ちゃんの将来が分かるわけもないと思っていましたが、大勢のお世話をしていると、個性などから、ぼんやりと察しられることもあるのかと思ったりしたのです。まあ親馬鹿の始まりでした。
並大抵ではない好奇心の強さにすっかり感嘆した私は、好奇心は知識を自分のものにするばかりで無く、行動も伴いますから、自分の才能を伸ばすには、絶好な手段だと思っていました。ですから「私にはこれほどの好奇心があるだろうか」と反省もさせられたのです。
県都に転勤した夫が、義父の勧めで建てた家が完成して、そこへ引っ越すことになりました。夫の両親にも、田舎の家を義父の弟夫婦に譲って出て来て貰い、完成したばかりの現在の家へ、運良く同日引越が出来て、二家族は同居したのです。
何だか不思議に万事が上手く調って、私の産休が明ける前に、我が子を他人に預かって貰う事も無く、義父母に子供を託すことが出来るようになったのです。何と幸運に恵まれていたのかと、実に不思議な思いをしました。以来今日まで、続いて来たのです。
偶然の重なりで現在が在ることを考えると、み仏に導かれた一本の道をたどったに過ぎないとも思えます。「自分で切り開いて来た人生だ」と思われる人も居られるでしょうが、真実は検証しがたく、どう考えるかは、その人の自由でもありますから、私は神仏に頂いた「幸せな一本道であった」と来し方の苦楽も共に、感謝して過ごすことにしています。
私はこの家では、一番読書時間が少ない人間です。しかし、好奇心が人一倍強いところは、あのお手伝いさんにすっかり感化されたのでしょうか。
何処かで何かあった、と聞くと、直ぐに本棚から世界地図や日本地図、ロード・マップを取り出して来て、その場所を探して家族にも解説します。新聞やネットのニュースにも良く目を通すようにしていす。家族が本好きの為、「本の広告が良い」と言う理由で、全国紙は日経新聞を、他に身近なニュースの為に、地方紙を購読しています。ネットのニュースも私は日に三回は必ず目を通します。
家族は新聞派で、新聞のニュースの方が正しいと言います。確かにネットには、公正とは言いがたいニュースも存在し、盲信して読んで居るわけではありませんが、メールを開くついでに、珍しいニュースがある度に、その都度声に出して読み挙げたりします。
夫は「そのニュースの出所は、どの社か?」とよく聞いて来て、記事の発信元を確認して、信憑性を確かめます。そこまで読み込んで報告しない私は、そそっかしいと笑われることになります。芸能記事には関心がないので、殆ど読みませんし、事実とても疎く、朝ドラも見ないので、有名な新人俳優や歌手の名前も顔もろくに知りません。そこは、可成りの時代遅れです。
パソコンでメールを書く事やブログを書くことも好きですが、調べることも大好きで、何かあると直ぐに検索して調べます。だんだん深みにはまって、パソコンに向かっている時間が長くなります。「いい加減にして切り上げなさい」と注意されて、夜、映画を観たり短歌を推敲したりの後のパソコンは、休む前の30分位は、パソコンから離れるようにしています。
今年の夏頃でしたか、伊能忠敬が作った日本地図について、その正確さを調べたいという高校生が話題になって、私も過去には大変興味を抱いたことでしたから、現代の調査結果について、是非知りたいと思いました。
伊能忠敬が日本地図の測量を始めたのは、今から約200年余り前の1800年頃でした。その時代にしては、それはそれは正確だったと書いてありました。その苦労と偉業を偲んで、私は彼を心から尊敬しています。
他に旺盛な好奇心の持ち主を代表して、アインシュタイン博士の生涯について考えてみると、優れた人なりの苦悩に触れたりして、だからこそ一層人間として、尊敬に値する人物なのだと思っています。
アインシュタインはドイツの物理学者で、特殊相対性理論・一般相対性理論を説いた学者としてあまりにも有名です。現代の科学もアインシュタインの理論が元になっているとあります。
『天才とは努力する凡才のことである。』
『挫折を経験した事がない者は、何も新しい事に挑戦したことが無い ということだ。』
『大切なのは、疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない。』と言っています。
ユダヤ人だったアインシュタインには世間の風当たりは強く、苦労も多々あったようです。
質量とエネルギーの等価性を現す世界一美しい公式と呼ばれる【 E = mc2 】(エネルギー=質量×光速度の2乗)の公式が原子爆弾の開発に役立ってしまったことを悔やみ、この世を去る直前まで核兵器の廃絶を訴えていたそうです。
私達もアインシュタインと同じように、地球上に生まれた人類の仲間として、又核兵器の被爆国としての苦悩を忘れず、私達の子孫に続く沢山の人達に、核兵器廃絶を訴え続けたいものだと思っています。そして、常に疑問と神聖な好奇心を持ち続ける努力をしたいものです。