日本におけるキリスト教布教の悲劇については、誰しも知っておられることと思います。フランシスコ・ザビエルによる布教から、キリスト教は次第に日本に広がりました。更に信長の庇護により、順調に信者を増やしました。ところが秀吉が一旦は受け入れたものの、神道や仏教が迫害されることを避けるために、バテレン追放令を出して宣教を禁止しました。
この禁制のために、キリスト教信者達は烈しい迫害を受けることになったのです。この潜伏キリシタン関連の遺産が、ユネスコの第42回世界遺産に登録すると決定した(2018年6月30日)と7月1日の新聞に報道されています。大変喜ばしいことであり、むしろ遅すぎたと思う位です。
江戸時代のキリスト教禁制と、独自信仰の歴史を伝えている「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)を「2世紀以上にわたる禁教下で信仰を継続した」とその独特の宗教伝統を、他に類を見ない証拠として高く評価したのです。
私達夫婦は、その隠れキリシタンの里である根獅子(ねしこ)ヶ浜へ、平成20年の春に訪れています。
先ず平戸のホテルから、「紐差カトリック教会」という平戸島の真ん中あたりにある静かで美しい教会に、バスに乗って立ち寄りました。多くのキリスト教信者が現在も祈りを捧げている白亜の美しい教会です。私達は仏教徒ですが、教会の石段を登り中に入れて頂いて、誰も居ない最後尾の席で、在りし日のキリシタン弾圧に思いを馳せながら、祈りを捧げて来ました。
ロマネスク様式のこの教会は、1929年の落成で当時は東洋一といわれたそうです。そこからタクシーで10分ほどで、海の色が殉教者の血で真っ赤に染まったという根獅子ヶ浜へ行きました。どうしても棄教出来ずに惨殺された、多くの信者がいたにも関わらず、今はただ何事も無かったかのように、小波の打ち寄せる静かな半円の浜でした。その静けさに一層当時の弾圧の哀しみが想像されて、止めどなく涙が溢れるのを禁じ得ませんでした。
そこから近くに「平戸キリシタン資料館」があります。ここでの展示物は、隠れキリシタンの祭具、マリア観音、キリストの木像、禁教令高札、メダリオン等で、とても貴重なものを拝見出来ました。よくまあ遠く迄訪ねて来たものだという思いと、歴史の重さに、「大切にしなければならない事実」だと思うのでした。
納戸とは明かり窓もなく、家族も滅多に出入りしない物置部屋です。そこにご神体を厨子にいれて大切に守り、宣教師の居ない中で、口伝で祈りの言葉を伝えましたから、年月を越えてキリスト教の祈りのことばとはかけ離れたものになっているそうです。無理からぬことだと、その信仰の厚さに感嘆しました。
信者達によって秘密裏に行われたといわれたその祈りは、事実いくらも離れていない生月島と根獅子とで、それぞれ異なった組織形態と礼拝行事と代表口伝のオラショ(祈禱文)があると聞きました。それほど固く秘密を守って弾圧から逃れて伝えられて来たのです。隠れキリシタンのご神体は、長い時間を越えて現在に迄引き継がれているのです。
加えてマリア観音という初めて見る観音菩薩像を幾つか拝見しました。正面から見ると幼子を抱いた観音菩薩像なのですが、後頭部には、十字架の十の印しが刻まれていて、観音様を拝むことが、マリア様を拝むことになっているのです。ショックでした。このようにして、信仰は密かに伝えられて、固い信仰になっていったのでしょう。
現在もなお昔からの隠れキリシタンの各家の納戸には、納戸神が密かに祀られているそうです。
私達が拝むことができた潜伏キリシタンの遺産は、この根獅子浜と、帰りに立ち寄った「うしわきの森」でした。ここには、根獅子浜での殉教者の遺体が沢山埋められているそうで、現在も祈りの為に集まる信者達は、履き物を脱いで裸足で歩くと説明してありました。
その少し土盛りしたような聖地では、雨上がりだったからかもしれませんが、足の下からほの温かいものを感じて、私達もおそるおそる歩かなければなりませんでした。あの温かさは何から来るものか、神に命を捧げた人達の心の純粋さと温かさが、400年を越えて伝わって来たようにも思えました。今でも「うしわきの森」を想い出す度に、その感触が生々しくよみがえって来ます。みだりに近寄れないようで、少し離れて祈りました。
その旅の行き先のもう一つが、長崎の大浦天主堂(国宝、今回の対象でもある。日本26殉教者堂、と命名された教会で、1865年仏人宣教師プチジャンの指導よって完成した日本最古の天主堂)とその教会のマリア像でした。
潜伏キリシタンが居ることを知って、長崎に来た宣教師プチジャンでしたが、見つからないまま時か過ぎました。1865年、大浦天主堂の献堂式から一ヶ月後、歴史的な瞬間が訪れます。浦上の潜伏キリシタンの婦人達が天主堂にやってきたのです。彼女たちはプチジャン神父に「ワタシノムネ、アナタトオナジ」と告白したのです。厳しい禁教令と宣教師がいないという状況が250年間も続いたにもかかわらず、信仰が受け継がれているということが、このとき初めて明らかになったのです。プチジャン神父は非常に驚き、また喜んで彼女達をマリア像の前まで導きました。この「信徒発見のマリア像」は現在も大浦天主堂に安置されています。
そのマリア像は、中央のイエスキリスト像に比べると地味ではありましたが、それだけに親しみ深く感じられました。日本人は何故このようにマリア様に親しみを感じるのか、不思議でもあります。私達もマリア像の絵はがきを求めて来て、現在も夫の部屋に飾ってあります。
翌日は平戸オランダ商館跡、平戸観光資料館、松浦資料博物館、聖フランシスコ・ザビエル教会、平戸殉教者慰霊の碑などを巡り、熱心な資料館の学芸員の説明に耳を傾けて感動しました。この地の日本の仏教寺院も教会に負けず美しく、どちらも同時に眺められる道もありました。
翌日は遠藤周作文学館へ行きました。長崎からは中々遠く、途中でバスを乗り継いで行ったのです。しかし、到着した文学館は、「外海(そとめ)」と言う夕日の美しい潜伏キリシタンの静かな集落の丘の上にありました。
遠藤周作はその著書「沈黙」であまりにも有名です。「女の一生(キクの場合)」と言う本もあり、キリシタン殉教の地を巡る人には、必読の書です。沈黙は以前「NHK」の講座で必須課題で読み、とても感動しました。長崎旅行に先だって、「女の一生(キクの場合)」も読んでから出かけました。
遠藤周作文学館の「沈黙の碑」には「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです」と刻んであり、感動で暫く動けませんでした。
海は今迄私が見たこともない美しいコバルト・ブルーでした。館内には、静かに音を立てないように観覧している人達もいて、良い想い出になりました。このような旅を重ねて来た者として、今回のユネスコ世界遺産指定は嬉しいものがありました。
天草も、五島列島も、一度は旅の予定地でありましたが、とうとう行けずじまいでした。インターネットという味方がありますから、概要は居ながらにして写真で見ることは出来ます。でも百聞は一見に如かずです。矢張り出かけてこの目で確かに見て、心で感じ取って来たいものです。
最後の九州旅行は、沢山の旅の唯一のツアーで四泊五日でしたし、長崎も大浦天守堂やグラバー邸には再度立ち寄りました。大勢の観光客は、大浦天主堂の素晴らしさに感嘆していましたが、ステンドグラスからの美しい光や建築の素晴らしさ、キリスト像に心を奪われていたようです。奇蹟を呼んだマリア像前は殆ど素通りでした。潜伏キリシタンの女性達が、会いにいったのは、キリストではなく、マリア様であったことに、観光客の皆さんも心にとめて欲しいと、残念な気持ちもありました。
また整備された為か、以前は外側の道に沿って、神父さんの神学校の様子が分かる建物もあり、そこを通って見学出来たのですが、取り払われていて残念でした。
何と言っても16番館が無くなって、信者が痛む足を引きずって踏んだ黒ずんだ「踏み絵」を見ることが出来なくなったのが、返す返すも残念でした。
この潜伏キリシタン関連の遺産が、世界遺産に登録されることになって、大変嬉しく思います。殉教の悲劇に散って行った信者達の信仰の強さが、ようやく世界的に認められたような気持ちで、私はこのニュースを嬉しく聞いたのです。
この禁制のために、キリスト教信者達は烈しい迫害を受けることになったのです。この潜伏キリシタン関連の遺産が、ユネスコの第42回世界遺産に登録すると決定した(2018年6月30日)と7月1日の新聞に報道されています。大変喜ばしいことであり、むしろ遅すぎたと思う位です。
江戸時代のキリスト教禁制と、独自信仰の歴史を伝えている「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)を「2世紀以上にわたる禁教下で信仰を継続した」とその独特の宗教伝統を、他に類を見ない証拠として高く評価したのです。
私達夫婦は、その隠れキリシタンの里である根獅子(ねしこ)ヶ浜へ、平成20年の春に訪れています。
先ず平戸のホテルから、「紐差カトリック教会」という平戸島の真ん中あたりにある静かで美しい教会に、バスに乗って立ち寄りました。多くのキリスト教信者が現在も祈りを捧げている白亜の美しい教会です。私達は仏教徒ですが、教会の石段を登り中に入れて頂いて、誰も居ない最後尾の席で、在りし日のキリシタン弾圧に思いを馳せながら、祈りを捧げて来ました。
ロマネスク様式のこの教会は、1929年の落成で当時は東洋一といわれたそうです。そこからタクシーで10分ほどで、海の色が殉教者の血で真っ赤に染まったという根獅子ヶ浜へ行きました。どうしても棄教出来ずに惨殺された、多くの信者がいたにも関わらず、今はただ何事も無かったかのように、小波の打ち寄せる静かな半円の浜でした。その静けさに一層当時の弾圧の哀しみが想像されて、止めどなく涙が溢れるのを禁じ得ませんでした。
そこから近くに「平戸キリシタン資料館」があります。ここでの展示物は、隠れキリシタンの祭具、マリア観音、キリストの木像、禁教令高札、メダリオン等で、とても貴重なものを拝見出来ました。よくまあ遠く迄訪ねて来たものだという思いと、歴史の重さに、「大切にしなければならない事実」だと思うのでした。
納戸とは明かり窓もなく、家族も滅多に出入りしない物置部屋です。そこにご神体を厨子にいれて大切に守り、宣教師の居ない中で、口伝で祈りの言葉を伝えましたから、年月を越えてキリスト教の祈りのことばとはかけ離れたものになっているそうです。無理からぬことだと、その信仰の厚さに感嘆しました。
信者達によって秘密裏に行われたといわれたその祈りは、事実いくらも離れていない生月島と根獅子とで、それぞれ異なった組織形態と礼拝行事と代表口伝のオラショ(祈禱文)があると聞きました。それほど固く秘密を守って弾圧から逃れて伝えられて来たのです。隠れキリシタンのご神体は、長い時間を越えて現在に迄引き継がれているのです。
加えてマリア観音という初めて見る観音菩薩像を幾つか拝見しました。正面から見ると幼子を抱いた観音菩薩像なのですが、後頭部には、十字架の十の印しが刻まれていて、観音様を拝むことが、マリア様を拝むことになっているのです。ショックでした。このようにして、信仰は密かに伝えられて、固い信仰になっていったのでしょう。
現在もなお昔からの隠れキリシタンの各家の納戸には、納戸神が密かに祀られているそうです。
私達が拝むことができた潜伏キリシタンの遺産は、この根獅子浜と、帰りに立ち寄った「うしわきの森」でした。ここには、根獅子浜での殉教者の遺体が沢山埋められているそうで、現在も祈りの為に集まる信者達は、履き物を脱いで裸足で歩くと説明してありました。
その少し土盛りしたような聖地では、雨上がりだったからかもしれませんが、足の下からほの温かいものを感じて、私達もおそるおそる歩かなければなりませんでした。あの温かさは何から来るものか、神に命を捧げた人達の心の純粋さと温かさが、400年を越えて伝わって来たようにも思えました。今でも「うしわきの森」を想い出す度に、その感触が生々しくよみがえって来ます。みだりに近寄れないようで、少し離れて祈りました。
その旅の行き先のもう一つが、長崎の大浦天主堂(国宝、今回の対象でもある。日本26殉教者堂、と命名された教会で、1865年仏人宣教師プチジャンの指導よって完成した日本最古の天主堂)とその教会のマリア像でした。
潜伏キリシタンが居ることを知って、長崎に来た宣教師プチジャンでしたが、見つからないまま時か過ぎました。1865年、大浦天主堂の献堂式から一ヶ月後、歴史的な瞬間が訪れます。浦上の潜伏キリシタンの婦人達が天主堂にやってきたのです。彼女たちはプチジャン神父に「ワタシノムネ、アナタトオナジ」と告白したのです。厳しい禁教令と宣教師がいないという状況が250年間も続いたにもかかわらず、信仰が受け継がれているということが、このとき初めて明らかになったのです。プチジャン神父は非常に驚き、また喜んで彼女達をマリア像の前まで導きました。この「信徒発見のマリア像」は現在も大浦天主堂に安置されています。
そのマリア像は、中央のイエスキリスト像に比べると地味ではありましたが、それだけに親しみ深く感じられました。日本人は何故このようにマリア様に親しみを感じるのか、不思議でもあります。私達もマリア像の絵はがきを求めて来て、現在も夫の部屋に飾ってあります。
翌日は平戸オランダ商館跡、平戸観光資料館、松浦資料博物館、聖フランシスコ・ザビエル教会、平戸殉教者慰霊の碑などを巡り、熱心な資料館の学芸員の説明に耳を傾けて感動しました。この地の日本の仏教寺院も教会に負けず美しく、どちらも同時に眺められる道もありました。
翌日は遠藤周作文学館へ行きました。長崎からは中々遠く、途中でバスを乗り継いで行ったのです。しかし、到着した文学館は、「外海(そとめ)」と言う夕日の美しい潜伏キリシタンの静かな集落の丘の上にありました。
遠藤周作はその著書「沈黙」であまりにも有名です。「女の一生(キクの場合)」と言う本もあり、キリシタン殉教の地を巡る人には、必読の書です。沈黙は以前「NHK」の講座で必須課題で読み、とても感動しました。長崎旅行に先だって、「女の一生(キクの場合)」も読んでから出かけました。
遠藤周作文学館の「沈黙の碑」には「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです」と刻んであり、感動で暫く動けませんでした。
海は今迄私が見たこともない美しいコバルト・ブルーでした。館内には、静かに音を立てないように観覧している人達もいて、良い想い出になりました。このような旅を重ねて来た者として、今回のユネスコ世界遺産指定は嬉しいものがありました。
天草も、五島列島も、一度は旅の予定地でありましたが、とうとう行けずじまいでした。インターネットという味方がありますから、概要は居ながらにして写真で見ることは出来ます。でも百聞は一見に如かずです。矢張り出かけてこの目で確かに見て、心で感じ取って来たいものです。
最後の九州旅行は、沢山の旅の唯一のツアーで四泊五日でしたし、長崎も大浦天守堂やグラバー邸には再度立ち寄りました。大勢の観光客は、大浦天主堂の素晴らしさに感嘆していましたが、ステンドグラスからの美しい光や建築の素晴らしさ、キリスト像に心を奪われていたようです。奇蹟を呼んだマリア像前は殆ど素通りでした。潜伏キリシタンの女性達が、会いにいったのは、キリストではなく、マリア様であったことに、観光客の皆さんも心にとめて欲しいと、残念な気持ちもありました。
また整備された為か、以前は外側の道に沿って、神父さんの神学校の様子が分かる建物もあり、そこを通って見学出来たのですが、取り払われていて残念でした。
何と言っても16番館が無くなって、信者が痛む足を引きずって踏んだ黒ずんだ「踏み絵」を見ることが出来なくなったのが、返す返すも残念でした。
この潜伏キリシタン関連の遺産が、世界遺産に登録されることになって、大変嬉しく思います。殉教の悲劇に散って行った信者達の信仰の強さが、ようやく世界的に認められたような気持ちで、私はこのニュースを嬉しく聞いたのです。