ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

寂しき唇

2013年03月13日 | 随筆・短歌
 東北の3.11大災害から2年が経ちました。新聞もテレビもこぞって特集を組んで、未だ癒えぬ人々の心や、遅々として進まない復興の様子を伝えています。
 世界中から、日本政府主催の追悼式に参加されたり、各国で励ましのメッセージを届けようと、子ども達まで折り紙を折ってくれたり、凧を揚げてくれていました。その優しさに胸が熱くなります。
 あれほどの大災害ですから、日々決して忘れてはいけないのですが、最近はともすると不幸な出来事として承知はしていても、少しずつ自分の日常生活から遠くなりつつあり「絆」という言葉も色褪せて見えるように思うのは私だけでしょうか。
 放射能の汚染瓦礫を、身近で燃やしては近くの田んぼの米に風評被害が出るとか、汚染されていない瓦礫さえ焼却を拒否して受け付けないとは、何とエゴイステックな国民が増えたのでしよう。
 全く無縁だった人も、又かつてお世話になったことが忘れられないという人も、ボランティアとして支援の手を差し伸べる一方で、全く対岸の火事の様に無関心であったり、中には復興への協力を妨げる様な言動をする人さえ現れるのはどうしたことでしょう。私の思い過ごしであって欲しいと祈るばかりです。
 東北の人々はおとなしく、忍耐強いので、じっと我慢しておられるようです。復興に携わる人や資材が不足しているようですが、特に現場では働く人が足りないと聞きます。積極的に全国に呼び掛けて、遠く沖縄からでも来て頂く必要があるのではないでしょうか。
 折しも政府は各自治体に土木工事予算を交付しますから、今災害地で働いて下さっている人の中には、自分の家の近くで働けるなら、といって抜けていく人が出るのではないかと心配です。一極集中で、東北の工事を先ず急ピッチで、最優先で行う事は、出来ないものでしょうか。
  一方「こんな所に高速道路は不要だ」と地元の人が言っている所なのに、国会議員の力で、高速道路が出来るという報道を見ました。また海岸線に沿って高い堤防ができたりするようですが、力の強い津波には、堅固な堤防も倒れる実験を先日見て、この莫大な費用を、そういった土木工事に使うよりも、素早く安全に逃げて助かる方策と費用に使う方が、有意義なのではないかと考えてしまいます。
 2年たってまだ仮説住宅に住んで居なければならないとは、余りにもお気の毒なことです。個々に様々な事情があって住宅の復興が遅れているのは解りますが、役所の手続きが煩雑であるためということもあるそうで、非常時に何と非合理的なお役所仕事なのでしょう。
 対応の遅れを言い訳したり、早急にと言いつつ進まないこの現実はどうしたら良いのでしょうか。
 3月11日の「ブログ 禅」に、「3.11を迎えて思う」という副題で、禅文化研究所の所長西村恵信氏が「実存的課題」として、三つあげられていました。 
『一つは、「自然に対する畏敬の念」を持ち続けること。「反自然的」な道を模索してはいけない。』と。災害も自然現象なのだから、高いコンクリートの堤防を張り巡らせるなどは、反自然的なものといえましょう。
『第二には「人間の弱さの自覚」人間は一人では生きて行けないことを自覚し、助け合わなければならないこと』本当に情けないくらい自己本位な人が増えています。政治家にも同じ自覚を持って欲しいものです。遠くない将来、又大きな地震が予想されているのですから。
 『第三には科学神話に酔いしれた現代人の「傲慢についての反省」そして原発は絶対廃止すべきである。自然から与えられるエネルギーを利用すること』ということでした。
 私は特にこの第三に強く引きつけられました。原発で出される有害廃棄物の無害化の方法が解決されていないのに、毎日排出される廃棄物を積み上げているだけなのに、なぜ原発をもっと作りたがるのでしょう。電気は国民の節電で、何とか足りているではありませんか。折り良くメタンハイドレートの開発がなされましたが、これを超特急で実用化すべきでしょう。必要度の低い公共工事を止めて、この自然エネルギーの開発に可能な限りの投資をすべきでしょう。世界が注目している事業ですから、知力と財力を集中して、全人類の安全の為に成功させて欲しいものです。
 一方原発事故以来、原発の保証金や支援金を要求する人が増えて、よこせ、よこせという言葉を言う唇が寂しいです。
 ある資料に依ると、チェルノブイリで被災した人の中に、危険区域だから避難するようにいわれて、避難した人と、居座って動かなかった人と、寿命を比べたら、居座った人の方が長生きだったそうです。原因は転居によるストレスだということです。今は、ストレスががんの原因では、と言われる位ですし、特に老人の転居は命を縮め、認知症になるリスクが大きいと言われています。
 避難区域でないのに自主避難して、生活が苦しいから援助、若しくは補償して、と言う人がいます。そのように家族がバラバラに暮らす事によるストレスを考えると、子どもにも家族全体にも良いわけがありません。早く帰って共に暮らして、ストレスの少ない健康な暮らしに戻って欲しいと願うばかりです。
 専門家がその責任において、「安全」と認定している地域について、過度に不信や不安に陥って、結果的に我が身の不幸を呼び込まないように、しっかり考え行動して欲しいと願っています。


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