ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

犠打の精神と節電の対策

2011年07月08日 | 随筆・短歌
 このところ朝のウォーキングから帰ると、決まってテレビで大リーグを見ている日が多くなりました。居間に一つしか無いテレビですから、夫が夢中で見ていると、私もつい一緒に見ることになり、やがてすっかり大リーグのファンになってしまいました。仕事があるのに中々席を離れられません。余りテレビを見ない生活なのですが、この時間だけは特別です。
 野球はチームプレーですから、チームが勝つために、監督はバント(犠打)のサインを出したり、また気の利いた選手は自らの判断でバントをします。先に塁に出ている走者が塁を一つ進めれば、ヒット一本で一点入る可能性が出て来ます。その代わり自分がヒットを打つチャンスを捨てるのですから、その選手にとっては、折角巡って来た打席を、チームの為に犠牲にするわけです。
 フランスの野球選手は、決して犠打を打たない、と聞いたことがあります。チームの為に自分の打撃のチャンスを棄てることが理解出来ないと言うそうです。
 日本人は昔から、藩の為、主君の為に命を棄てることは武士道だと信じていましたから、犠打には余り抵抗感はなさそうです。しかしフランスばかりでなく、大リーグでも犠打を嫌う選手を見かけます。打率を上げることに、自分の選手生命をかけているのですから、それも分からなくは無いのですが、チームが勝つためには、やむを得ない事でもあります。チームの勝利の為には、犠打も作戦の内で、サインがあれば粛々と、しかも正確に犠打を打てる選手は、日本では貴重な選手です。
 川相という巨人の元選手は、犠打が得意で、きっちりと決めるので、犠打王と呼ばれました。とても上手い犠打で、安心して見て居られました。打者の犠打により、走者が塁を進め、次のヒットに期待する見事なチームプレーに、自己犠牲の日本人魂を見る気がしました。晩年の川相は犠打専門の代打選手になつたりしましたから、自分の打率は低かったと思います。
 さてこれは野球の話ですが、日常の社会生活の中で、私にも犠打が打てるだろうか、と考えています。あの大震災の時にも、自分が津波に流されることを承知で、住民に早く避難するように呼びかけ続けた女性がいて、後で遺体が見つかり多くの人の涙を誘いました。
 こういう自己犠牲の精神を貴ぶ気持があっても、なかなか実行することは、難しいと思うのです。でも一つの命と沢山の命を天秤にかけたら、答えは決まっています。それが実行出来るかどうか、と言うこことは、日頃の信念とか、心構えに掛かっていると言えるのでしょうか。
 今回の地震・津波は、1000年に一度 と言われています。犠打を打つ人の立場から考えて見ると、あれが悪い、これが悪い、と文句を並べている人々が、いささかみすぼらしく見えて来るように思えます。そう感じるのは、きっと私一人ではないでしょう。
 日本全体の復興発展の為に、犠打を打つ地域の住民(例えば既存の原発を安全に留意しながら動かすことに同意する)や、政治家(国民の利益を第一に考え、選挙区だけの都合にむやみに迎合しない政治家。安易な迎合は、自分の次の選挙を優先しているからでしょう)が居ても良いはずだと思ったりします。
 自分に出来そうでない事を人に要求するのは、いけない事ですが、節電と言われて、真面目に節電している老齢の方が、熱中症で倒れでいます。そんな中にあって、全く節電に協力していないのでは、と思われる業界があります。それはテレビ業界です。この未曾有のピンチに協力出来ない筈は無いと思います。何時も正義の象徴であるかのように、報道しているテレビが、どうしたことでしょうか。せめて24時間の三分の一でも、全放送局の放送を一斉にカットしたら、きっと大いなる節電になるでしょう。テレビが無くても新聞やインターネットがあれば、必要な情報は手に入ります。もし午後1時から6時迄、全局で放送を中止したら、節電に成るばかりで無く、国民は仕事に熱中したり新しい娯楽を探し、子供達の読書量が増えたり、学生は勉学に励んだりして、漫然と付けっぱなしでテレビを見ることがなくなり、まさに一石何鳥かになることでしょう。
 どうかこの国難に当たって、テレビ業界も鮮やかな犠打を決めてください。テレビ業界は聖域では無い筈です。国民と苦楽を共に分け合ってこそ、国民の為のテレビです。
 緊急の場合の報道を除いて、日頃から多くの国民が不要ではないか、と考えている番組は一掃していただきたいし、是非とも節電にご協力を御願い致します。
 先日の或る新聞に、2003年にアメリカからカナダにかけて起きた、大停電の記事が載っていました。この夏、日本がそんな事になったら、何万人の命が犠牲になるでしょう。1000年に一度の大津波を怖れる余り、既存で無傷の原発を稼働させないで、このような事になったら、後悔してもしきれないでしょう。60年余り、平和を享受してきた国が、未曾有の国難に直面しているのです。この危機をどう乗り切るか、まさに試されていると思っています。
 各業界、各人が出来る限りの犠打を放ちながら、冷静に智慧を出し合っていくしかないでしょう。節電の為にエアコンを使わず、亡くなられる弱者が出ないことも祈ります。


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