ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

水玉のコーモリとさくらんぼ

2011年07月01日 | 随筆・短歌
 梅雨の最中です。梅雨といっても最近の梅雨はスコールのように、一時間に40~60㎜位は降ったりして、以前とは様子が変わり驚くばかりです。このような集中豪雨による災害が多くなりました。
 この何ともすさまじい土砂降りに初めて会ったのは、九州宮崎の堀切峠から先に向かっていた時だったと以前書いた記憶があります。良いお天気でしたのに、急に空が真っ暗になって、突然雨になりました。しかし、雨とはいっても頭の上から降ってくるというよりは、下から吹き上がって来るとしか思えない様な雨で、路面を飛び跳ねる水滴に、旅行支度で長パンツ姿の私達は、コーモリをさしていたにも関わらず、見る見るずぶ濡れになってしまいました。あの時の強烈な記憶が今だに残っていて、その時ほど酷い雨には、今もって遭っていない気がします。
 その日の雨ははサッと上がり見る見る青空が出て、何事も無かったような美しい風景が開けました。これが南の国にあるというスコールという雨なのか・・・、と初めて思ったのです。
 しかし、最近はこの様な雨が身近でも時折降るようになり、珍しい現象では無くなりました。地球温暖化のせいで、日本の何処でもスコールの様な雨に見舞われるようになってしまいました。地震で被災された地方が、今度は大雨の被害に遭うなんて、本当にお気の毒としか言えません。地盤が緩んでいますから、地滑りも起こり安く、道路が寸断されて取り残されたり、家に土砂が押し寄せたりします。
 雨も又良し、などと呑気にいって居られない時期ではありますが、ご近所の、手足が少し不自由になっていく病気の女性から、見事な水玉のコーモリ傘の絵手紙と、少し間を置いて青い器に山盛りのつやつや光った赤いサクランボの絵手紙が届きました。
 コーモリの時は、ああ梅雨が近づいたんだなあと思い、サクランボの時は、思わず美味しそう!と声を出てしまいました。「サクランボの美味しい季節になりました。サクランボ狩りにでかけられたらどんなに楽しいでしょう。」と添え書きしてありました。こうして温かい一筆を添えた絵手紙を頂けるなんて、とても嬉しいことです。しばらく机の上に飾って眺めて楽しんでいます。
 昨日午後に少し暇な時間がありましたので、急に思いついてババロアを作り、小分けして、小さな入れ物に流して夕方お届けしました。我が家では食後のデザートを食べることが習慣になっていますが、時折私の下手な手作りのお菓子を出します。今回もやや不手際があり、上手く出来た訳ではないのですが、口に入るものは、何でも美味しいと思う私なので、下手でも余り気にせず、ほんの一口召し上がって頂ければ、と持って行きました。その方はとても喜んで下さって、お届けした私も嬉しく思いました。
 こんなお付き合いが嬉しくて、又何時の日か、温かい絵手紙が届くのを心待ちにしています。少し不自由な手で描くこともリハビリになるようで、絵も上手ければ文字も中々お上手です。手が不自由でない私が書くより数段達筆です。勿論絵心の無い私に絵は描けませんので、何時も感心して眺めているばかりです。
 人は思いがけない時に、思いがけない病に見舞われたりします。病気を持って生まれてくる人も、その人が悪い訳ではあません。多くの人達が病に向き合い、闘い、希望を失わずに生きています。重い心身障害を持つ子供を持って苦しまれるご両親も多く居られることだと思います。以前も書いた気がしますが、神谷美恵子さんも、知人の医師にそういう人がおられて、初めは何故私達に・・・と悲しく思われたのですが、「貴女だから育てられる筈だ」と神が与えてくださった子供だと気付いて以来、その子の為に夫婦で一生懸命助け合って育てられたとありました。「この子があって私達が居る」と思われる迄になったとあり、涙を零しながら読んだことを覚えていてます。生まれて来た子供には罪はありません。まして生んだ親にも罪は無く、矢張り貴女なら育てられる筈だと、神に与えられたと考えることが、子供にも自分達にも幸せを呼ぶことだと思うのです。
 生まれたこと自体が奇蹟です。しかし生まれた日から、死に向かって一日一日近づいて行っています。良く生きる為の努力をし、今生きていることに感謝出来なかったら、幸せな人生だったと総括することは出来ないでしょう。
 どんな奇蹟によって夫婦となり、子供に恵まれ、今を生きているのか、それは誰も分からないことです。これから先も何一つわかりません。でも今日が良い日であり、明日に希望が持てれば、そしてそれが未来に繋がることを信じられれば、それが幸福な人生と言うものでしょう。
 喩え一生一人であっても、それが不幸だと言うことにはなりません。私の知人にも、独身ですが、何時も輝いて暮らして居られる人が沢山います。絵手紙の女性も、どのような人生を歩んで来られた人か知りませんが、矢張り輝いて生きて居られる一人です。
 今日は、これを読んで居られる皆さんにも、この輝いている頂き物のサクランボの幸せを、おすそ分けしたいと思います。よろしかったら、どうぞお受け取り下さい。

 洗髪の匂ひ残して擦れ違ふ茶髪に浴衣の娘らは明るし

 何故ここに居るのかと問ふ我がゐて立春に白き水仙活ける(全て実名で某誌・紙に掲載)



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