ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

国民の総力を信じたい

2011年04月22日 | 随筆・短歌
 今更なのですが、今回の地震と津波の経験から、地球は生きていて私達と同じように呼吸していることを強く感じました。遥か何億年も昔に大陸は一つだったのに、長い年月をかけて、ユーラシア大陸や南北アメリカやアフリカといった陸地に別れて行きました。一年に数㎜でもずれて行くと、遥か長い年月の間には、陸が海の上を浮いて動いて行ったような錯覚さえ起きるくらいです。それが地震という現象で一気に動いたのが今回でした。
 東北の沖では海底がかなり隆起したそうですが、一方満ち潮になる度に海水が溢れる程に地盤が沈下した沿岸地域もあって、今だに津波の水が引かないような、お気の毒なところがあります。有明海のように海さえ干拓する技術を持っている日本ですから、全国の土木工事の関係者が集まれば、短期間に揚水機で水を汲み上げて、潮水を引かせる土地改良事業は出来る筈だと思います。
 その為の費用は、矢張り国民全体が出し合って、まかなうことが大切でしょう。以前はテレビを付ければ、政府や東電が後手だったとあげつらうばかりの原子力の専門家が多く、原発事故も最悪の状態を予想して、いたずらに恐怖をあおるような放送が多く見られました。やっと最近は「今日はこの様な進展がありました」ということが放送されるようになって、私はホットしています。
 評論するばかりでは何も解決出来ません。既に起きてしまった地震や事故について、如何に悔やんでも、時間は逆回し出来ません。これが最善の策だという方策があるのであれば、それを東電や政府に教えてやるべきであり、こんな時に自分の手を汚さずに、批判ばかりを繰り返している政治家や専門家は、自らの責任を放棄しているとしか思えません。
 阪神淡路大震災の時のことを例に出して、やり方がまずいという人がいますが、地震の規模も強度も全然違いますし、津波も伴いました。それに、原発事故という未曾有の大事故が加わっていてます。もはや阪神淡路大震災を引き合いに出すこと自体がナンセンスと云っても過言ではないでしょう。
 今求められているのは、無責任な立場に身を置いた評論家的な意見ではなく、日本の将来の為の建設的な意見であり、その行動なのです。老人の私には、義援金を出したり喩え消費税が10%になり、所得税が多少引き上げられても、税金を納めて復興を応援することしか出来ないのですから、現在の生活をもっと切りつめ支出を押さえてでも、少しでもお役に立ちたいという気持はあります。
 以前から消費税を上げるという意見が出て、国民はこの国の大借金を何とかするためにそれも仕方ないと半数以上の人が言っていたはずですが、この大災害の復興の時期に、復興の為の消費税アップを反対だという政治家がいるのはなぜなのでしょう。もし消費税でないとしたら、変わってどの様な方法で復興の財源が確保出来るというのか、是非とも明らかにしていただきたいのです。そこをはっきりと明示していただかないと、責任ある政党とはいえず、今日の大借金王国にしてしまった責任を、今日の事態になってもまだ反省していないように思われて、暗澹たる気持になってしまいます。何十年も重ねて来た大借金が無ければ、復興の為の財源に今ほど苦労をしなくて済んだでしょうに。 
 一方被災者の中には、国や自治体が何かをしてくれるのを待つばかりではなく、被災地にあって、被災者が自ら立ち上がり、避難所が自分達の手で快適に運営されるように、幾つかのグループに分けて、掃除とか、食事の手伝いとか、伝達の仕事とかに活躍しておられるというニュースがありました。更に地域によっては、行政の工事開始を待たずに、地域の人達が総出で道路を修理したり、がれきの撤去をしたりしたとも聞いています。これこそ頼もしい精神の復活です。
 イギリスの哲学者ジョージ・ルイスという人は、「悲しみのための唯一の治療は、何かをすることだ」といっています。心のケアを、と云われますが、何か一心に熱中出来ることがあれば、それがもっともよい癒しになると私も思います。大人も子供達もそのようなものを見出していけるようにと願ったりしています。慰めのことばを掛けてあげる事、寄り添ってあげることも大切でしょうが、有形無形の何かを共に作ったり、スポーツや音楽をする機会を持つことも、効果的なのではないか、と考えています。
 そういう観点からも、被災者の方達が同じ被災者の為に、自ら行動したことは、お互いに運命共同体の絆を感じさせて勇気も湧き、茫然自失していた状態から、自ずと困難に負けずに立ち上がる力を与えてくれたのではないかと思うのです。とても参考になる出来事であり、熱い思いが湧いて来るのを覚えました。
 「神を雲の彼方に求めるなかれ。神は汝の手の中にあり」とフイヒテが云っています。今私達の手の中にある自分にできることを考えて、努力していきたいものです。批判ばかりしている専門家や評論家には、大いに義援金でも沢山だして頂いたり、建設的な智慧を出して頂きましょう。そして被災地域が復興し、原発事故が一日でも早く解決出来ますように。
 これは人災だという人もいますが、1000年に一回の天災があった為に起きたことでもあるのです。責任の所在の詮索などは後回しにして、これから先をどうしたら良いか、総力で解決するしかないではありませんか。まちがっても震災に乗じて政争や、利権や、お金儲けに走るような卑劣な考えは、持たないでください。中古車が値上がりしていると聞きました。被災者に対してまで便乗値上げをするのかと情けない思いです。
 困難に出会うと、ついその困難の原因を誰かのせいにして、ぼやきたくなるのも分かりますが、こんな非常時には、政党も敵も味方も一体となって団結し、国民が総力を挙げて取り組まなければならない時の筈です。こういう時に日本国民とはどういう行動をとる民族なのか、世界が注目しています。
 広島で原子爆弾が落とされた時、灰燼に帰した土地に、もう何十年も花も咲かないだろうと云われたのに、翌年には草も生え樹も芽を出したと聞きます。私達はそういう世界に例の無い悲劇から立ち上がってきた民族なのです。福島から避難して来た人に、「被爆していないという、証明書を貰ってこい」なんていう役所に日本は何時からなってしまったのでしょう。たとえ被爆していても、抱きかかえて苦労を慰めてあげるのが人間というものではないでしょうか。このような例を見ると、地方分権などまだ100は年早いと云いたくなってきます。
 宇宙レベルで見ると、寝ていた地球がちょっとくしゃみをした程度なのかも知れません。しかしこんな時こそ、人間は小さな小さな存在であり、ましてや弱い生き物であることを思い、助け合って生きて行かなければならないのだと改めて教えられました。現に、一日一ドルで暮らしている国からも義援金が送られてきたそうで、涙が出る位に有り難いことです。せめて日本人は心を一つにして、総力を出しあって力強く立ち上がりましょう。それが助けて下さった人々へのせめてもの感謝の姿でもあると思うからです。

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