ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

尊厳ある死を迎えたい

2011年04月15日 | 随筆・短歌
 夫が今年の秋に喜寿を迎えます。この年まで何とか二人揃って無事に過ごして来られたのも、沢山の皆さんに支えられてであることをしみじみと感じています。夫は幼い頃病弱で「この子は成人する迄は生きられないだろう」と云われて育ったそうです。私もその話は良く義母に聞きました。文部省に勤めていた義父が、樺太(現サハリン)に赴任して、住んだ官舎に元結核の人が住んで居たのを知らなかったとかで、小児結核に罹り、小学校の二年から四年までは、殆ど学校を休んでいたといいます。「40歳迄は生きられないかも知れない」と義母は時折心配しましたが、その頃私達は「何も怖くない時代」を生きていましたし、子育てと仕事に夢中で、さして気にも留めませんでした。心配性の義母は、更に私の息子が「ランドセルを背負う迄生きていたい」とか「中学生姿を見られたら」とか云っていましたが、とうとう娘も息子も大学生になるまで元気でいてくれました。お陰で私達は育児を手伝って貰い、大いに助かりました。
 思えば今から38年前に、私の父の喜寿の祝いがありました。発起人は長兄です。八人の子供を育てた両親でしたから、子供達がそれぞれ夫婦して集まり、孫も一同に会したのですから、大層な人数になりました。会場は両親が毎年初夏と秋に、一週間位ずつ保養の為にお世話になっていたある高原のホテルでした。
 家族毎に一室取って、大きな部屋で会食しました。子供と孫に囲まれて、「祝喜寿」と書かれた紙を長兄の長男が持って両親の脇に立ち、一同満面の笑みで撮った記念写真が、今では良き想い出となって残っています。
 9月1日の生まれだった父ですが、少し早くして夏休みを利用しました。私達は、その温泉より更に奥の高原で、四人家族で一泊のキャンプをしてから、その帰りに合流しました。昔から人生の節目として、還暦や古稀を祝いましたが、古稀は文字通り古来希な歳になったことを祝ったわけです。
 吉田兼好が「命長ければ辱(はじ)多し。長くとも、四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」と云いつつも、実際は享年68とありますから、当時としては長生きの方であったと思われます。お釈迦様も80歳まで生きておられました。現在は喜寿ばかりでなく、80歳の傘寿、88歳の米寿、99歳の白寿などを祝います。
 現代医学が進歩して、長生きするようになりました。矢張り長生きは幸せというべきなのでしょうか。兼好法師のように、辱の多い人生をいたずらに重ねるだけが能ともいえませんが、そこは天命ですから、出来るだけ足腰を鍛え頭を使って、死の直前まで元気で過ごしたいものだと願っています。
 白状しますと、私達夫婦は最近日本尊厳死協会のリビングウィルに加入しました。初めは70歳になったら加入しよう、と云っていたのですが、ついつい延び延びになり、先日友人から「とうに加入した」と聞いて、この機会を逃さずに、とばかりに申し込んだのです。
 私の叔母は93歳で亡くなりましたが、脳梗塞で倒れてからの二年間は、ベッドに寝たきりで経管栄養となり、話すことも出来ず目は開くのですが、意識もあるのかどうか解らないまま生きていました。その様子を見て、これでは叔母もその家族も両方とも気の毒だと思いました。私はそんな状態で生き延びて、家族に迷惑をかけたくないのです。
 作家の遠藤周作も、最後は、沢山の管を外してあげたら、とても安らかな顔だったと夫人が書いています。人間の尊厳を守るのも医療ですが、最近は訴訟が多くなったせいか、本人が生前に自分の意志を自分で書いて署名捺印してあっても、「本人の書いたものか確認が出来ない」となかなか納得して貰えず、人工呼吸にしてしまったと、私の友達が云っていました。何と乾ききった世の中になってしまったのでしょう。死んで行く人の心さえ信じて貰えない世の中になってしまったのかと、とても哀しい思いで聞きました。この様な場合に備えて、元気な内にしっかりと公式な書面にしておきたいと考えていましたので、今はホッとしています。
 長く生きてきますと、若い頃には考えが及ばなかったことにも気付いたりして、歳を取ることも悪いばかりではないと思うところもあります。何より感謝することが多くなりました。今のままで充分幸せだと思えるようにもなりました。それはとても満ち足りた気分にしてくれるのです。もしこれを読んで居られる方にお若い人がいましたら、是非私の言葉を信じて、老いることを悲しまないでください。
 そうは云っても、老いることに対する不安が無いとはいえず、無常な世の中ですから、生きている限り何が起きるのか分かりません。「放射能汚染で東日本に住めなくなるかも知れない」と書いてある本をつい最近読みました。そういうときが来たら、そうするだけで、ゆらゆらとのんびりと暮らして行こうかと思っています。この度の震災被害者の映像を見ていると、年老いた方の中に運命を容認しているかのように、悠然とされている方を見かけます。私もそのようでありたいと尊敬の念をもって眺めています。

 山繭の糸なるやうな雨が降り老いゆく不安の癒されてゆく

 ゆうらりと陽が登りきて菜の花を照らせば体一杯の春(全て某紙に掲載)

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