九州一周の旅行に行って来ました。梅雨入りの九州でしたが、雨の対策は充分でしたから、さして気にならず、快適な旅でした。九州は三回目になりますが、過去に行った所も新しい角度から見ることができましたし、何よりも歴史に大変詳しいガイドさんのお陰で、今迄と又ひと味違った感動を覚えました。
歴史好きの夫は、訪れる先々の歴史には、概ね知識があって、一段と身近に思い出されるようで、意義深かったようです。私は天孫降臨の古事記に幼い頃から興味を持ち、父が買ってくれた「神さまのお話」という古事記の子供用の本を、未だ小学校へ上がる前から繰り返し読んでおり、記紀に親しむにつれて、高千穂へは是非行ってみたかったのです。しかし、遠く内陸に入りますから、うまく旅程が組めず、その機会がありませんでした。今回やっと念願が果たせ、感動しました。
九州は各地に様々な歴史があり、神世の時代から、時の政治に深く関わって来たのだと、改めて九州の歴史の古さや重みを感じました。
今回は、桜島からフェリーに乗って鹿児島市に入りました。鹿児島県の人々は、桜島を眺めると「ああふる里へ帰ってきた」と思うようです。今回は行きませんでしたが、最初の旅で、西郷隆盛のお墓へ行った時は、高台の彼の大きなお墓を中心に、臣下がぐるりと取り巻いていて、皆桜島を一直線に見つめて並び立つ姿に圧倒されました。今回はバスの中から西郷像を眺め、西南戦争の弾痕あとが残る石垣を眺めましたが、当時の人々の見せた「最後の武士」の意地が熱く伝わって来ました。
知覧特攻記念館では、展示室に新しく映像機器が入っており、資料も増えていました。特攻隊の兵士の遺書は、何度見ても涙が流れます。継母に育てられて、義理の姉弟と平等に愛されて育てられたのに、一度も母と呼んだことがないことを詫びて、出撃前夜の遺書に「今こそ呼ばせて下さい。おかあさん・おかあさん・おかあさんと。」という遺書を読んで、最後の最後に義母の愛に感謝して散っていった特攻兵に、止めどなく涙がこぼれました。
以前は、江戸時代の面影を今に残している、こじんまりとした庭園の美しい武家屋敷を一軒一軒訪ねましたが、今回その時間はなく、代わりに枕崎まで行って、知覧を飛び立った特攻機が、富士に似た壮麗な開聞岳に、「さらば祖国よ」と翼を振って別れを告げたという、当時の兵士の気持ちに思いを重ねて、かねてからの願いの一つであった此の地まで来られて良かったとしみじみと感じました。
父母が元気な頃に矢張り、九州を一周する旅に出て、指宿温泉に泊まり、砂風呂に入ってとても楽しかったので「折りがあったら是非行っておいで」と母が言っていたのを思い出して、私も砂風呂を経験しました。何だか、とうに亡くなっている母と並んで砂風呂に入り、親孝行をしているような錯覚を覚えました。父母の道のりと私達の道のりの重なりを思い、長い時を経て、同じ経験をしている自分達に不思議な縁を感じたのでした。
熊本城は夫の大好きな城で、「本丸御殿が出来たら又来たいね」と言っていたのですが、図らずも念願が叶えられて、立派な御殿を見て来ました。昭君の間の美しさは、息を呑む思いで見つめました。加藤清正はいかなる意図でこの様な来賓用の部屋を作ったのか、後世の歴史家間にも様々な意見があるようです。ミステリアスな物語のある方が、見学する私達を楽しませてくれます。
長崎市は三回目で、26聖人、平和記念公園、如古堂、浦上天主堂や大浦天主堂へ行った初回と、二回目は、遠い道のりを外海の遠藤記念館へ行ったり、大浦天主堂でマリア像を訪ねて来た三人の婦人がいて、隠れキリシタンの存在を神父が知ったと言う、有名なマリア像を心ゆくまで拝みました。マリア像の絵はがきを買ってきたのですが、今やすっかり色褪せたので、今回新しいのを求めたかったのですが、見つかりませんでした。
この度初めてツアーの旅を経験しました。思えば自分の人生は自分の意志で自由に生きて来たと思いながら、背景にある深い歴史に思いを致しますと、見えない手に導かれて、縁(えにし)という絆によって、今を生きているのだと考えない訳にはいきませんでした。 今回の旅行で学んだことが、これからの私達の生き方に様々な影響を及ぼし、如何に生きていくか、を考えさせられることに繋がりました。
長い間、ブログを書かずに過ごしていましたので、熱心に読んで下さっている多くの読者さんに、ご心配をおかけしたかも知れないと申し訳無く思っています。
歴史好きの夫は、訪れる先々の歴史には、概ね知識があって、一段と身近に思い出されるようで、意義深かったようです。私は天孫降臨の古事記に幼い頃から興味を持ち、父が買ってくれた「神さまのお話」という古事記の子供用の本を、未だ小学校へ上がる前から繰り返し読んでおり、記紀に親しむにつれて、高千穂へは是非行ってみたかったのです。しかし、遠く内陸に入りますから、うまく旅程が組めず、その機会がありませんでした。今回やっと念願が果たせ、感動しました。
九州は各地に様々な歴史があり、神世の時代から、時の政治に深く関わって来たのだと、改めて九州の歴史の古さや重みを感じました。
今回は、桜島からフェリーに乗って鹿児島市に入りました。鹿児島県の人々は、桜島を眺めると「ああふる里へ帰ってきた」と思うようです。今回は行きませんでしたが、最初の旅で、西郷隆盛のお墓へ行った時は、高台の彼の大きなお墓を中心に、臣下がぐるりと取り巻いていて、皆桜島を一直線に見つめて並び立つ姿に圧倒されました。今回はバスの中から西郷像を眺め、西南戦争の弾痕あとが残る石垣を眺めましたが、当時の人々の見せた「最後の武士」の意地が熱く伝わって来ました。
知覧特攻記念館では、展示室に新しく映像機器が入っており、資料も増えていました。特攻隊の兵士の遺書は、何度見ても涙が流れます。継母に育てられて、義理の姉弟と平等に愛されて育てられたのに、一度も母と呼んだことがないことを詫びて、出撃前夜の遺書に「今こそ呼ばせて下さい。おかあさん・おかあさん・おかあさんと。」という遺書を読んで、最後の最後に義母の愛に感謝して散っていった特攻兵に、止めどなく涙がこぼれました。
以前は、江戸時代の面影を今に残している、こじんまりとした庭園の美しい武家屋敷を一軒一軒訪ねましたが、今回その時間はなく、代わりに枕崎まで行って、知覧を飛び立った特攻機が、富士に似た壮麗な開聞岳に、「さらば祖国よ」と翼を振って別れを告げたという、当時の兵士の気持ちに思いを重ねて、かねてからの願いの一つであった此の地まで来られて良かったとしみじみと感じました。
父母が元気な頃に矢張り、九州を一周する旅に出て、指宿温泉に泊まり、砂風呂に入ってとても楽しかったので「折りがあったら是非行っておいで」と母が言っていたのを思い出して、私も砂風呂を経験しました。何だか、とうに亡くなっている母と並んで砂風呂に入り、親孝行をしているような錯覚を覚えました。父母の道のりと私達の道のりの重なりを思い、長い時を経て、同じ経験をしている自分達に不思議な縁を感じたのでした。
熊本城は夫の大好きな城で、「本丸御殿が出来たら又来たいね」と言っていたのですが、図らずも念願が叶えられて、立派な御殿を見て来ました。昭君の間の美しさは、息を呑む思いで見つめました。加藤清正はいかなる意図でこの様な来賓用の部屋を作ったのか、後世の歴史家間にも様々な意見があるようです。ミステリアスな物語のある方が、見学する私達を楽しませてくれます。
長崎市は三回目で、26聖人、平和記念公園、如古堂、浦上天主堂や大浦天主堂へ行った初回と、二回目は、遠い道のりを外海の遠藤記念館へ行ったり、大浦天主堂でマリア像を訪ねて来た三人の婦人がいて、隠れキリシタンの存在を神父が知ったと言う、有名なマリア像を心ゆくまで拝みました。マリア像の絵はがきを買ってきたのですが、今やすっかり色褪せたので、今回新しいのを求めたかったのですが、見つかりませんでした。
この度初めてツアーの旅を経験しました。思えば自分の人生は自分の意志で自由に生きて来たと思いながら、背景にある深い歴史に思いを致しますと、見えない手に導かれて、縁(えにし)という絆によって、今を生きているのだと考えない訳にはいきませんでした。 今回の旅行で学んだことが、これからの私達の生き方に様々な影響を及ぼし、如何に生きていくか、を考えさせられることに繋がりました。
長い間、ブログを書かずに過ごしていましたので、熱心に読んで下さっている多くの読者さんに、ご心配をおかけしたかも知れないと申し訳無く思っています。