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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

確率はゼロに近くても

2015年12月10日 | 随筆・短歌
 幼い頃にお風呂に入り、体をきれいに洗った後に上がろうとする時、一緒に入っていた父や、姉などと20とか30迄数を数えて、もういいと云う迄出られませんでした。早く上がりすぎて風邪を引いたりしないようにとの、親の配慮だったのです。そんなことからうろ覚えに、数を覚えていったように思います。
 よく、自分がなされたように子育てをするものだと聞きますが、私も矢張り一緒にお風呂に入った子供とは、数を数えて上がることにしていました。今考えるとそれはとても楽しい時間でした。些か長すぎて気分が悪くなるくらいの時間だったこともありましたが、おふろで数を数える癖は、以来今でも形を変えつつ、身に付いてしまっています。
 今迄気が付かないだけで、様々な生活習慣がそのようにして繰り返され、ある種の家庭教育として身に付いていったのでしょう。顔を洗う、手を洗う、遊んだおもちゃをかたづける、自分よりも幼いこどもの面倒を見る、などなど兄弟の多かった時代でしたから、愛情を受けることも与えることも、みな自然にそうして学んでいたように思います。
 それから長い年月が過ぎて、昨日の続きが当然今日で、何事も無い日々を過ごして来たような錯覚を持つことさえありますが、良くよく考えてみると実際は綱渡りのようでもあり、奇蹟の連続みたいで、辛うじて現在の幸せを享受していると言えそうです。産まれた時に、ここまで元気に生きて来られる確率は、どのくらいだったのか、関心を持っていました。幸運にも機雷に船が沈められず、爆撃からも逃れて、こうして生きている偶然について書かれた『「偶然」の統計学(ディヴィッド・J・ハンド 松井信彦訳 早川書房)』という本を見付けて、ワクワクする思いで読んでいます。
 今日金星探査機「あかつき」が金星の回りを回る軌道に乗ったという嬉しいニュースに接して、何だか迷いの世界から解脱したような晴れ晴れとした気持ちを味わっています。何年間も寝ても覚めても軌道に乗せる為の計算をしていた科学者は、どれ程うれしかったことか、心からその労をねぎらいお祝いを申し上げたいと思いました。
 同じ日本に住んで居る人間というだけの係わりでしかない私が、我が子の偉業のように喜ぶということは、少し可笑しいのかも知れませんが、矢張り「良くやった」と感嘆し、これから先も見つめて行きたいと思っています。こうした思いを持つ人は、多いのではないかと思いますが、当事者が拘わった膨大な時間と苦労を思うと、これが成功する確率はどのくらいだったのだろうと、つい思ってしまいます。
 私の読んでいる本に、全くもって信じがたい例として、俳優のアンソニー・ホプキンスが経験した「ペトロフカの少女」という本にまつわる話が載っています。
 この作品の映画で助演を努めたホプキンスは、1972年の夏に、原作を買いにロンドンに出掛けましたが、どの大きな本屋にも一冊もなく、帰途に地下鉄で電車を待っていたとき、隣りの椅子に本が捨て置かれているのに気が付きました。それが「ペトロフカの少女」だったのです。これでも不思議なのに、さらにその後日、原作者フアイファーとホプキンスが対面した時に、この奇妙な成り行きの話しをしたら、フアイファーが1971年の11月に「ペトロフカの少女」を一冊友人に貸したのですが、その本にはアメリカ版の刊行に向けて、イギリス英語をアメリカ英語に直す為の書き込み(labourをlaboaにするなど)が入っていた唯一の本だったといいます。友人がそれをロンドンのベイズウォーターで無くしたと聞いて、ホプキンスが早速自分の手元にある本に書き込みがあるか確かめてみると、何とファイファーの友人がどこかに置き忘れたその本だったというのです。「この確立はどのくらい?たった一冊しかなかった大切な本が、ホプキンス経由で巡り巡ってフアイファーの元へ戻すような、私達のあずかり知らない力なり影響なりが絡んだ説明が、存在するように思えて来る」とありました。
 こうした偶然は、ほぼだれもが経験していることではないだろうか、ここまで極端で無いにしろ・・・ともあります。
 読み進めて行くうちに、とても楽しくなりました。ゼロに等しい確立でも、決してゼロではない。私としては、もうこれ以上は神の存在を考える以外にはない、と思えることでも、「起こりうる確立はある」ということになります。「火のないところにも煙は立つ」到底起こりそうもない出来事にも法則があるのだとすれば、その確率を計算するのに、どのような要素が加わるのか、と空想が広がって行きます。まだ全部読んでいませんから、何とも言えませんが、「偶然にはそれなりの理由がある」ペトロニウス(訳註 古代ローマの文人、皇帝ネロの側近だった)のように、それも又想定内として、確率を計算出来るのだと期待してしまいます。さて、来年は限りなく確率ゼロに近い世界から、どのような嬉しい偶然が生まれて来るか、皆さんもご一緒に期待いたしましょう。                    
 あかつきが金星のデータ送り来る地球が出来て我が在ること(あずさ)
 

若返る眼

2015年10月06日 | 随筆・短歌
 美容整形ばかりでなく、治療のための手術が個人の肉体を若返らせる、いわば若返り術でもあるということに、愚かな話ですが、今頃やっと気が付いています。この度白内障の手術をすることになりました。考えてみますと、これも肉体の一部の(眼球の)古くなった所を新しくして、眼の若返りをすることです。一度でも何処かにメスを入れた人は、みな病変の部位を取り除き、本来の体を取り戻したり、長生きをする若返りを行ったとも言えそうです。
 様々な動物が持って居る眼ですが、何故、どのようにしてできたのか、考えてみるととても不思議です。ふだんは有って当たり前だと思っている体の器官は、無いと大変な不便を味わいます。特に眼は、大切な器官です。身の周りの多くのものがそうであるように、無くなって初めて日頃有ることに、大いに感謝の念が湧きます。こんな有り難いものを沢山持って生まれて来た事を感謝しないではいられません。

身近な歌集 「新版 現代の短歌 篠 弘編著」などから、目・眼に関する短歌を拾ってみました。

目のまへに並ぶ氷柱(つらら)にともし火のさす時心あたらしきごと    斎藤 茂吉
潰(つい)えゆく国のすがたのかなしさを 現目(まさめ)に見れど、死にがたきかも
                                            釈 迢空
不意に来てわが双眼を濡らしたる感動はとほき由来を持てり        岡井 隆
白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り         斎藤 史
風景はあはあはと眼にみちゐたり面影にみる死者阿古父(あこぶ)尉(じょう)
                                             馬場 あき子
みどりごは泣きつつ目ざむひえびえと北半球にあさがほひらき       高野 公彦
眼(まみ)ふかくあなたはわたしに何を言ふとてもずっと長い夜のまへに  河野 裕子

それぞれに歌人の個人史と重ねると、感慨深いものがあります。

濁りたる水晶体を手術して真実を見ん新しき眼で  あずさ

(明日から2~3週間ほどブログを書くことをお休みさせて頂きます。)


五本の線香

2015年08月14日 | 随筆・短歌
 盂蘭盆会です。日本のあちこちのふる里で、お盆を迎えて居られる人も多いかと思います。我が家も仏具をいつもより綺麗に磨き上げて、お供えの花や盆菓子などを整えました。夕食にはこの家の伝統であり、恒例の献立のお素麺を器に盛って仏前に供え、蝋燭を灯し線香を焚いてお参りしました。
 一昨日から雪洞(ぼんぼり)を仏壇の両脇の畳に置いて、回り灯籠が良く回るように調整して、赤や青や黄色のともし火の動きを楽しむと同時に、この家で先だった人達の思い出話をしています。
 ところで、線香ですが、一本目は我が家のご本尊の大日如来様、二本目は我が家のご先祖様、三本目は先に逝った娘に、四本目はやや控えめに私の両親や亡くなった兄弟に、(一人は妻子がありましたが、一人はずっと独身で母と暮らしていた弟で、祀って呉れる家族をもちませんでしたから、私が夫の許しを得て、命日にも家族と同じに偲ぶ会をしています。)そして最後の五本目の線香は、この世に生きて来られた全ての人々に、お供えしています。
 人間はみな沢山の人々のお世話になって生きて居る、という思いが強い私は、何処か思いも掛けない所でお世話になっている人達にも、何時も感謝の念を持ちたいと願っています。それが五本目の線香です。
 つい先日お隣の、奥様が亡くなられた後一人住まいして居られた御主人が亡くなられました。ボランティア精神の旺盛な方で、雪が少しでも降ると、小路の奥に住む人達の車が出せるように、早朝に雪除けをしたり、ゴミ集積所の整頓など、率先してして下さっていましたし、先にもこのブログにその生き方の素晴らしさを書きましたから、想い出される人も居られるかと思います。奥様に先立たれてから、一層家の周りに花を咲かせ、ゴルフやスポーツに取り組んで、実に一人暮らしの人のお手本のような人でした。私達も会えば楽しく立ち話をしたり、時には、手作りのおこわなど、少しお裾分けをしたりして来ました。
 入院されたとお聞きして、直ぐに夫と二人で病院へお見舞に行きました。ベッドサイドから声をかけましたら、私達の話は解って、返事をしようとするのですが、口から言葉が上手く出て来ず、もごもごと口が動くだけで、会話が成立しません。何故なのか、不思議でした。後で、町内会長さんにお聞きしたのですが、「肝臓ガンなので、入院して手術をして来ます」ととてもお元気で言って、入院されたと聞きました。それから約5日しか経っていなかったのです。手術は未だして居られませんでした。
 「与える人の喜びは、与えられる人のさびしさとなる」と山頭火が書いていましたから、私も日常はあまり差し出がましいことはしないように、ごく自然に、を心がけて来ました。それなのに、お聞きした翌日何故あんなに急いでお見舞に行ったのか、今考えると不思議なのですが、それから足かけ4日めには、もう亡くなられたのです。余りにも儚い最後ではありましたが、ひどく苦しい日が長く続いた訳ではなく、一人残された人の最後としては、我が身に置き換えて考えてみてもお幸せではなかったか、と思っています。立派な方は、仏様も見放されないし、先立たれた奥様も、きっと見計らってお迎えに来られたのだろうなどと、家族で話しあっていました。
 そのお宅のお向かいの、これも一人暮らしの男性が、残されたお花の鉢に毎日お水を与えて呉れていて、今もあるじの居た時と同じように、玄関や塀の外には、お花が暑さに負けずに咲いています。我が家はお隣といっても玄関の向きが異なり、小路を通ることもないので、回り込まないと玄関は見えませんし、私はぼんやりなので、お花の水まで思いが到りませんでした。
 従ってこのお盆は、五本目の線香は、亡くなられたその方も加わって、俄然身近で賑やかになりました。
 ご近所の人達で年老いた方達は、皆さん「次は私の番」と仰って、ご冥福を祈っておられます。未だこの辺りは、昔の隣組の近親感が残っていて、温かい心の交流を有り難いと思っています。
 

盂蘭盆会花から花へ黒き蝶新たに一人鬼籍に入りぬ(あずさ)
 

縁あって愛しきもの

2015年05月19日 | 随筆・短歌
 私にはこれと言った収集癖がある訳ではありませんが、長い年月に忘れられない想い出と共に、身の周りに増えていく品々があります。みな何かしらのご縁があって、私達の手に渡ったものです。
 先ずは仏壇の中程の壇に置いてある小石3箇、これは四国遍路に出掛けた時に、高知県桂浜で拾って来た玉石です。遍路の旅は、33歳で亡くなった娘と、お世話になった夫の両親の冥福を祈る旅でしたから、それぞれに一箇ずつの三箇拾って帰ったのです。桂浜の五色の玉石は有名で、以前は桂浜に来た記念に拾って帰る人が多かったそうです。赤・緑・グレー・黒・白の五色で、四国山地を流れる仁淀川を下って、海に到達するまでに小さく丸くなった石です。 現在は、お土産店以外に、自然の玉石は川上のダムや護岸工事で姿を消し、すっかり見られなくなったということです。
 私達が波打ち際で拾った時は、未だ様々な玉石が転がっていました。我が家には赤が二つとピンクの石に石英のような光る部分が何ヶ所かある石が飾ってあります。きっと磨けば、とても美しい石になるだろうと思いつつ、そのまま飾っています。桂浜と言えば、大きな龍馬像が有名ですが、広い渚に寄せる波の音が優しく、遠くに黒潮が紫色に光って見えました。渚の右手遠くに松があり、月の美しさでも桂浜は知られています。
 仏壇の同じ壇に「サルの腰掛け」と言われる木質のキノコが一つ置いてあります。これは京都の神護寺へ行く途中で出遭ったものです。その日は暑い日で、高山寺でバスを降り、鳥獣戯画など拝観の後、神護寺への道を歩いていた時です。若葉の美しい清冽な谷にさしかかりました。一休みしょうと、立ち寄ったお店で、名物の美味しい水飴を飲みました。丁度若主人が、沢山のサルの腰掛けを切り離しておられました。感心して眺めていた私に「一つあげましょうか?」と仰って、喜ぶ私の手に載せて下さったものです。私の実家にもサルの腰掛けの飾り物があって、何と言う懐かしく不思議なご縁かと思いました。其処は紅葉の名所で、秋には紅葉船も浮かぶというお話もお聞きしました。神護寺への長い上り石段の途中で、赤い唐傘にテーブルを置いた鄙びた茶店が一軒ありました。私達がそこで一休みしていると、「写真を撮らせて下さい」と仰って、何かのグラビアにしたいけれどいいですか、と聞かれました。どうぞ、と応えて撮って頂いたのですが、雑誌社の名前もお聞きしなかったので、その写真がどうなったことやら解らず、今になってお聞きしておくのだったと、残念に思っています。
 もう一つ、プラスチックに挟まれた瀬戸内寂聴さんの描かれた、観音像の御札が二枚飾ってあります。やはり京都の旅でのご縁です。嵯峨野の清涼寺に午前11時頃に伺うと、美しい国宝の阿弥陀如来像が拝観出来ると知って、時刻を合わせて見学した帰り道で、ある見知らぬ二人のご婦人に頂いたものです。最寄りのバス停にぼんやりバスを待っていましたら、「どちらからお越しですか」と聞かれました。県名をいいましたら、「遠くからようこそ、有り難うございます。私達は今寂庵へ行って、寂聴様のお話をお聞きし、撒いて頂いた御札を沢山拾いましたから、あなた達に少し差し上げましょう」と仰って、表に美しい観音像を描き、裏に曼荼羅山寂庵と記した二枚を下さったのです。外部から来た初対面の旅人に、「ようこそ、有り難うございます」と歓迎とお礼の言葉を掛けられて、何とお答えしたら良いのか戸惑うばかりでした。このお礼の言葉が今でも忘れられず耳に残っています。仏様のご縁としか言いようの無い出会いでした。その一言で、一気に親しい間柄になりました。寂庵には、ずっと以前、まだお庭など未完成だった頃に訪れたことがあるのですが、寂聴様には直接お会いできなかったのです。
 ご縁というのは本当に不思議なもので、こうして得難い諸々の想い出を包んで、様々な物が今は我が家に辿り付いています。
 経机の角に、私の二歳年下の弟が、中国に用があって出向いた記念に、名刹を訪れて求めて来た銅製の釣り鐘があります。周りにお経が彫ってあります。同じ場所に私達が飛び飛びに計三回巡った四国遍路の道連れの鈴が、金色に光っています。時折鳴らして、その音色に当時を懐かしみます。傍らに遍路でお参りしたお寺の納経帳があります。
 右上の壁に、鎌倉の円覚寺管長様の横田南嶺老師から、家族が頂いた手ぬぐいを、額に納めて飾ってあります。中央に右から「慈恕」の二文字が書いてあります。続いて少し小さく「いつくしみと おもいやり」と二行に縦に書かれています。お名前の所には、「円覚 南嶺」とこれも二行に書いて、落款が押してあります。
 右側の下方に、横向きの羊が一頭描かれてありますが、とても優しい表情で、目が細く微笑んでいます。
 奇しきご縁で、この家宝を頂いた訳ですが、仏様にお参りの後は、必ずこの扁額にも手を合わせます。
 他にも探して見れば、様々な人から頂いた記念品の壺や、掛け軸、置物、など様々あります。家の新築祝いのお返し、退官・退職記念、家に古くから伝わる埋もれ木の仏様(丈20センチほどの自然の流木の形が、お衣から両手を出してお顔の下に手を合わせて祈っておられる法衣のお姿にそっくなので、磨いて台を付けて飾っている)等々、どれも皆それぞれの思い出が込められていて、感慨深いものがあります。それだけ長く生きて来た証しとも言えます。
 こうして身の周りに、忘れ難い愛するべき物がふえてゆき、日常の心の支えになってくれています。折角ご縁があって、私達の手に渡った物ですから、想い出と共に大切に大切にして行きたいものだと思っています。

仏舎利を拾うがごとく玉石を桂浜に拾う遍路となりて(某誌に掲載)

南無大師お遍路みちに鈴が鳴る野火焚く見ゆる菜の花の道(再掲)


不思議なこの世の仕組み

2015年05月08日 | 随筆・短歌
 私は下手の横好きであり、その上好奇心が旺盛な方ですから、何かと興味を感じると直ぐにネットで検索したり、知らない国の名前を聞いたりすると、本棚の世界地図を引っ張り出して探したりします。本はボロボロパソコンは酷使されて、ヨロヨロです。
 言葉も漢字もろくに知りませんので、手元に様々な辞書が入った電子辞書を離さず、何かにつけて引きます。短歌を詠んで投稿するせいもあり、辞書を引かない日は無いと言って良いくらいです。
 「パソコンの辞書を引けば」と言われることもありますが、パソコンは依存症にならないように、常時立てていませんので、いざという時に時間がかかり、ついつい辞書の方に手が伸びます。
 愚かな私ですが、毎日の様に外を眺めたり、人の話を聞いたりして「どうしてこの世の中は、このように上手く出来ているのか」と不思議に、又懐疑的に思うことが多いのです。考えれば考える程、神のご意志としか言えないような、不思議な組み合わせになっていると思っています。
 神仏の存在については、否定的な方も多いと思いますが、この大自然の仕組みを考えて行く上で、突きつめていくに従い、神の存在なしには考えられないと、ノーベル賞を受賞した科学者が言っていました。自然界のことは、科学で全て説明出来る、と思うのは間違いで、科学は、自然現象の約10%しか解明していないのだそうです。
 身の周りを考えただけで、偶然とか、奇蹟的な事が多すぎます。卑近な例で恐縮ですが、何故、私は夫とめぐりあえたのか、ということは、どう考えても科学的には説明出来ません。夫は、10回の転居でしたし、私も、父の勤や私自身の都合で、少なくとも15回の転居がありました。
 また、100キロ以上離れて住んでいた私達を結びつけてくださったのは、あるご婦人でしたが、その方と私達は、直接面識があった訳ではなく、双方の両親と家庭環境を、仕事の関係である程度知っておられた人だったと言うくらいの方です。
 はじめから電流が流れたように決まった訳でもなく、さりとて障害が大きかった訳でもなく、何となく回りも巻き込んで、そのように成っていったとしか言えないのです。偶然にしては、不思議な力が働いたようにも思えます。価値観が何となく似通っていることを双方が察知したとでも言いますか、不思議な縁で出会って、一組の夫婦として、この世に存在して来た訳です。
 これを花と蝶に喩えたなら、一組の蝶のつがいが(これもどうして出会って番になったのかは解りませんが)子孫を残し、その蝶によって、受粉して子孫を残す花たちを考えると、たまたまその蝶の目に止まるように、花は自らを咲かせていたことになります。見付けてもらえるかどうかは、何に依るのでしょう。
 想像しただけでも其処には、壮大な世界があり、一方で緻密な計画が出来上がっていて、計り知れない何ものかの意志が働いているように思えてしまいます。
 我が身に戻りますが、私はどれ程多くの人々や生き物や、天候とか、自然とか、あらゆるもののお世話になって生きていることになり、それら全てがどの様に運ばれているかも知らずに、日々をのんきに暮らしています。私を取り囲む不可思議な神の配慮を、いちいち気にしていたら、思考力も判断力も麻痺し、停止してしまうでしょう。
 今日は5月のとても良いお天気です。この上なく幸せな一日でもありました。まるで夢見心地ともいえそうな、幸福感に包まれて、これを書いています。
 このような私にとって至福の時間も、世間では、せっせと働いている人が沢山居て、時刻通りに新幹線が動き、図書館は何時でもどうぞと門戸を開いて待っていてくれます。本当に贅沢な生活です。人間は、何処まで利便性を求め続けて行くのでしょう。もうこの辺で速さを競い、財力を競う生き方を一休みして、私達は何故生まれて来たのか、幸せとはどういうことか、人間本来のあり方について考えてみるのも、無駄ではないと思うのですが、如何でしょうか。五月の心地良い風に髪を撫でてもらいながらの一文です。

自らが選びし人生(ひとよ)と思ひしに運命といふ汽車の旅人(実名で某誌に掲載)