映画的・絵画的・音楽的

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ロイヤル・アフェア

2013年05月18日 | 洋画(13年)
 『ロイヤル・アフェア―愛と欲望の王宮』を渋谷のル・シネマで見ました。

(1)同じ映画館ですぐ前に見た『偽りなき者』で主役を演じたマッツ・ミケルセンが、またまた主演するというので出かけてきました。

 物語の舞台は、18世紀後半のデンマーク王室。
 映画の初めの方では、イギリス王室からカロリーネアリシア・ヴィカンダー)がデンマーク王クリスチャン7世ミケル・ボー・フォルスガード)のもとへ嫁いできます(注1)。
 カロリーネとしては、素敵な国王だという噂を耳にしていたので心浮き浮きとやってきたところ、城の外で出迎えた国王は、酷く奇矯な行動をして彼女を驚かせます。
 それで、カロリーネは男の子を生むものの、国王を遠ざけてしまいます。
 国王の方は、諸外国を訪ね回る旅に出ますが、精神状態が悪化してハンブルクにとどまることになり(注2)、その治療のために呼び出された医者の一人が、ドイツ内のデンマーク領アルトナ(注3)で町医者を営むドイツ人のストルーエンセマッツ・ミケルセン)。
 彼は、国王が発したシェイクスピアの戯曲の台詞に的確に唱和することができたために、国王の心を掴み、侍医に取り立てられます。



 ストルーエンセは、初めのうちは国王べったりでしたが、そのうちにカロリーネの相談をも聞くようになり、2人の中は急速に親密さを増します。
 なにしろ、美男美女の取り合わせであり、さらにカロリーネは聡明で、絶えず書物を持ち歩いているくらいですし、ストルーエンセの方も、当時流行の啓蒙思想に傾倒しているのですから、時間の問題だったのかもしれません。



 さあ、侍医と王妃の恋の行く先は、……?

 一見したところ、都会者(あるいは先進国人:イギリス人の王妃カロリーネと、ドイツ人の侍医ストルーエンセ)が、田舎者(あるいは後進国人:デンマーク国王たち)を自分たちの好きなように扱ったお話のようでもありますが、やはり“恋は盲目”を地で行くお話と受け取るべきなのでしょう(注4)。

 マッツ・ミケルセンが出演した映画でこれまで見たものは『誰がため』と『偽りなき者』ですが、本作でも、それらと同様、愁いを帯びたインテリという役柄を演じていて、まさにうってつけと言えます。

(2)侍医のストルーエンセは、当時の啓蒙思想にかぶれていたようで、映画の中では、王妃カロリーネが、宮廷内に設けられたストルーエンセの部屋にある書棚の奥に隠し置かれていたジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』を見つけ出してしまい、借りて読んだりします。

 ところで最近、東浩紀氏が『一般意思2.0』(講談社、2011.11)で『社会契約論』を論じて話題となりましたが(注5)、同氏はその中で、ルソーの本について、「個人の自由を賞揚するかわりに、個人(特殊意志)の全体(一般意志)への絶対の服従を強調している様にも見え」、「個人主義どころか、ラディカルな全体主義の、そしてナショナリズムの起源の書としても読むことができる」と述べています(P.28)。
 あるいは、東氏は、「人民全員でひとつの意志を形成すること(一般意志)は、ルソーの構想においては、必ずしも人民全員で政府を運営すること(民主主義)に繋がらない。彼にとって重要なのは、国民の総意が主権を構成していること(国民主権)、ただそれだけなのであり、その主権が具体的にだれによって担われるかは、国民が望むのであれば王でも貴族でもだれでもよいのである」とも述べています(P.38)。

 これらの点は、それまでの貴族政(注6)を廃してストルーエンセが実権を握った時の様子を見る上で、あるいは参考になるかもしれません。
 というのも、貴族からなる枢密院が解散された後、実権を握ったストルーエンセは、代議政(注7)を導入することなく、様々な改革を実行するからですが。
 もしかしたら、ストルーエンセは、自分は国民の総意(一般意志)を実行しているのだから、代議制など導入するまでもないと考えたのかもしれません。
 とにかく、検閲の廃止などに関するおびただしい数の新しい法令が出され、デンマークはそれまでの古色蒼然とした王国から時代の先端を行く国家となり、こうした状況を見て、ルソーと並ぶ啓蒙思想家・ヴォルテールから国王宛に手紙が到来するまでにもなります。

 ただ、ストルーエンセは、最初の内は、新しい法令について一つ一つ国王の裁可を仰いでいましたが、行政の細々したことまで見る気が国王にないのを見て取ると、自分の署名だけで法令が施行出来るよう、一括した権限を国王からもらい受けます。
 こうなると、最早ストルーエンセによる独裁政(注8)であり、貴族の生活を脅かす措置(注9)をとって彼らを敵に回すと、ひとたまりもなく排除されてしまうことになってしまいます(注10)。

(3)渡まち子は、「どこまで史実に忠実かはさておき、このスキャンダル劇は、時代が前進するときには清濁併せ持つ流れが存在すると教えてくれる。北欧を代表する俳優マッツ・ミケルセンの名演や、格調高い映像も含めて、奥深い歴史ドラマに仕上がった」として65点をつけています。




(注1)イギリス王室絡みのスキャンダルと言えば、例えば、エドワード8世とシンプソン夫人との「王冠を賭けた恋」とか、ダイアナ妃の離婚などが思い起こされます。

(注2)Wikipediaのこの項には、クリスチャン7世は、「おそらく統合失調症のような深刻な精神病に悩まされていた」と記載されています。

(注3)アルトナについては、このサイトの記事が参考になります。

(注4)映画では、王妃カロリーネの妊娠は辛うじてばれずに乗り切ったものの(その子・ルイーセも、クリスチャン7世の娘として育てられます)、小間使いとか王太后の目を余り気にすることなく、王妃カロリーネと侍医ストルーエンセは自由気ままに行動します。

(注5)同書については、映画『瞳は静かに』についてのエントリの(3)で触れています。

(注6)ルソーの『社会契約論』では、「主権者は、政府を少数の人々の手に制限して、行政官の数よりも単なる市民の数が多くなるようにすることができる。このような政体は、「貴族政」と名づけられる」とされています(岩波文庫、P.94)。

(注7)ルソーの『社会契約論』では、「主権は本質上、一般意志のなかに存する。しかも、一般意志は決して代表されるものではない。一般意志はそれ自体であるか、それとも、別のものであるからであって、決してそこには中間はない。人民の代議士は、だから一般意志の代表者ではないし、代表者たりえない。彼らは人民の使用人でしかない」と述べられていて、代議政に対して否定的です(岩波文庫、P.133)。

(注8)ルソーの『社会契約論』では、「独裁」に関して、「最大の危険」があり「祖国の安全にかかわる時」に、政府の「成員の一人あるいは二人に、政府〔の権力〕を集中」したり、あるいは「すべての法律を沈黙させ、主権を一時停止するような最高の首長を一人任命」したりする、と述べられています(岩波文庫、P.171)。

(注9)ストルーエンセは、予算が逼迫してくると、貴族に支給される年金を減額してまで新しい政策を実行しようとします。

(注10)王太后を中心とするクーデターが成功し、デンマークは元の貴族制に戻り、ストルーエンセが実施した措置はことごとく元に戻されてしまいます(劇場用パンフレットに掲載されている早稲田大学教授・村井誠人氏のエッセイ「ストルーエンセの時代―デンマーク史上の晴天の霹靂」によれば、ストルーエンセによる独裁の期間は、1770年から1772年までの16ヶ月間)。
 ですが、1784年の、クリスチャン7世の息子による再度のクーデターによって、ストルーエンセの改革が復活することになるようです。




★★★☆☆



象のロケット:ロイヤル・アフェア