映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

探偵はBARにいる2

2013年05月21日 | 邦画(13年)
 『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』を渋谷TOEIで見ました。

(1)大泉洋松田龍平のコンビによる作品の第2弾であり、第1弾を見ていることもあり、映画館に行ってきました。

 本作では、主人公の探偵大泉洋)とその相棒の高田松田龍平)は、自分たちの仲間でオカマのマサコゴリ)が、ある全国大会で優勝した2日後に、何者かによって殺されてしまった事件を手がけます。
 殺されたマサコはショーパブで働いていましたが、マジックに凝り出し、皆の応援もあってマジックの全国大会(マジコン)に出場するまでになったものです。
 この事件の依頼者は、関西在住のヴァイオリニストの河島弓子尾野真千子)。
 殺されたマサコが熱烈なファンだったにもかかわらず、警察の捜査が全然進展しないために、自分らで犯人捜しをしようという訳です。
 さあ、探偵とその相棒は、上手く犯人を突き止めることが出来るでしょうか、……?

 前回の作品では、雪の中に埋められた探偵がやっとのことで這い出してくるシーンが最初の方にありましたが、今回の作品も、大倉山シャンツェのスタートゲートのところに、縛られた探偵が立たされているという意表を突いたシーンから始まります。
 それで話しはどんどん面白くなっていくのかなと期待していると、さにあらず、前作同様、松田龍平の存在感がどうも稀薄であったり、殴り合いの乱闘心が延々と続いたりという具合で、全体に締まりがなく、やっぱり上映時間(119分)を長く感じてしまいました。

 それでも、主演の大泉洋は、女性との絡みシーン(注1)などサービスにこれ努めていますし、共演の松田龍平も、最近の出演作『舟を編む』の「馬締」と同様、世の中の動きにワンテンポ遅れている感じがする相棒役をさりげなく演じています。また、ヒロインの尾野真千子は、これまで見たことがない“ガサツな関西女”を巧みに演じています(注2)。




(2)本作にはいろいろ問題点がありそうに思えます〔以下はかなりのネタバレになりますので、お気を付け下さい〕。
 例えば、
イ)政治家
 本作では、反原発の政治家として脚光を浴びている橡脇渡部篤郎)が、自分の過去の汚点(東京時代のマサコと愛人関係があった)を抹消すべく、人を使うなどしてマサコを殺したのではないかとの疑いが持ち上がります。
 これは、格好のいい大衆受けのするスローガンを立てて人気を得ている政治家の裏側に秘められたドロドロしたものを暴きだす筋立てになるのかなと期待していると(演じている渡部篤郎の風貌も、そうしたストーリーにマッチしている感じです)、その線は次第に尻すぼみになってしまいます(注3)。
 そうなるとこの政治家に残るのは反原発の旗手としての表の存在ばかりであり、それも全国の子供たちから激励文が山のように届いたり、また小学生のグループに感謝の手紙を読み上げられたりするのです。
 ですが、ここは原発の是非を議論する場ではないのであまり言いたくないところ、いくらなんでもこの関連で小学生を使っているのは大層おかしな気がします。
 確かに、小学生が原発のことについて何も判断できないというわけではないでしょう。
 でも、その存廃についてとなると、大人でも判断が非常に難しい論点がたくさん転がっているのではないでしょうか(注4)?
 果たして、小学生は、そんなことを十分に理解した上で、橡脇を前にして感謝の手紙を読み上げたりするのでしょうか?
 大人の入れ知恵で大人に言われたとおりにしているだけのことではないでしょうか?
 そんなものをまともに映画で長々と見せるなんて、という気にもなってしまいます。

ロ)動機
 探偵は、証言の食い違いから犯人を割り出すところ、それは余りにも手順を踏まなすぎの感がします(注5)。ただそれはサテ置くとしても、犯人の動機が薄弱ではないでしょうか?
 映画では、マサコが全国大会で優勝し脚光を浴びたのに対する嫉妬からとされているようです(「ゴミを処分しただけ」と犯人は言います)。
 ですが、人は果たしてそんな簡単なことで殺人まで犯してしまうものでしょうか?
 それに、仮に嫉妬で人殺しをするにせよ、少なくとも、現在とか幼少期の厳しい環境など背景についてもっと丁寧に描いてもらわないと、見ている方は説得されません。

ハ)乱闘
 本作には、探偵と高田が正体不明の集団(注6)に襲われる場面何度か出てきます。 



 洋画ならば、こんなときは銃が持ち出されるのでしょうが(注7)、邦画の場合は、せいぜいバットが使われるだけで、大部分が素手による殴り合いです。
 本作もその例に洩れず殴り合いが始まるものの、素手では致命傷を与えられず、何度も倒れた敵が蘇ってきます。変化をつけるためでしょう、歌舞伎の殺陣と似たように、探偵がかなりの数の敵によって胴上げ状態になったりもします。
 でも、組手に変化がありませんから(何しろ、数十人の相手に対し探偵と高田の2人が対峙するだけなのですから)、暫くすると酷く見飽きてしまいます(注8)。

ニ)ヴァイオリニスト
 本作のラストの方で河島弓子の素性が明かされますが、複雑な過去を持った美人の音楽家となると、どうしていつもヴァイオリニストになってしまうのだろうかと思ってしまいました(注9)。
 尤も、これは単に、映画を見ながら『オーケストラ!』を思い出したからに過ぎませんが!

(3)渡まち子氏は、「大泉洋、松田龍平の凸凹コンビはますます快調だし、尾野真千子扮するヒロインも事件をうまく転がす役で効いている。ハードボイルドなのだが笑いも絶妙。これは「3」を作るしかなさそうだ」として70点を付けています。




(注1)劇場用パンフレット掲載の対談の中で、大泉洋は「エロスの部分」と言っています。

(注2)最近では、大泉洋は『グッモーエビアン』で、尾野真千子は『外事警察』で見ました。

 なお、尾野真千子は、カンヌ国際映画祭のコンペ部門に出品されている『そして父になる』に出演していることから、報道によれば、現在カンヌに滞在しているようです(彼女は、同映画祭でグランプリを獲得した『殯の森』でも主役を演じていますから、因縁が深いようです)。



(注3)“影の女帝”とされる後援会長・新堂筒井真理子)も、単に金を使って問題のもみ消しを図ろうとするだけの存在でしかありません(マサコの友人のトオルも、故郷の室蘭に追いやられるだけで殺されませんでした)。

(注4)例えば、このサイトの記事が参考になるかもしれません。
といっても、その論じ方自体に問題があると指摘する向きもあるでしょうが。

(注5)犯人とされた男は、はじめは、政治家・橡脇がマサコのマンションから出て行くのを見たと言っていたのに、次には、彼がマンションに入っていくのを見たと前言を翻すので、探偵は彼こそが犯人だと睨みます。でも、他の証拠はないのに単にそれだけから、その人が犯人だとすぐに決めつけられるものでしょうか(記憶違いだったなどと、いくらでも言い抜けできますから)?

  なお、話しは飛躍しますが、証言の食い違いということで言えば、最近見たDVD『わすれた恋のはじめかた』(2009年)では、主人公の男(アーロン・エッカート)が、自動車事故で亡くなった妻の葬儀に出たときは赤いダリアで飾られていたと話したところ、聞いていた女(ジェニファー・ジョアンナ・アニストン)が、この地方では葬儀が行われた季節にダリアは花を咲かせないと言ったことから、主人公が妻の葬儀に列席していないことが明らかとなり、一体それは何故ということで謎が深まります。

(注6)実は、橡脇を支持する反原発グループ。暴力団とは無関係の素人の集まりとされているところ、そんな人たちは、探偵らがいくら橡脇の過去を暴こうとしているにせよ、彼らを抹殺しようまでと考えるものでしょうか?
なお、表面的には、昨年9月に起きた「六本木クラブ殺人事件」が念頭に置かれているのかもしれません。

(注7)といって、最近見た『L.A.ギャングストーリー』のように、マシンガンが持ち出されて火を吹いても、さっぱり当たらないのでは意味がありませんが!

(注8)ショーパブでの乱闘はともかく、市電内の乱闘は、ちょっと見には思いつきがユニークながら、なにせ場所が極端に狭いものですから、市電の中で大勢の人間が単に蠢いているだけとしか思えません。

(注9)このサイトの記事によれば、ラストの方で河島弓子がコンサートで弾く曲はラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」だそうです。元々はピアノ曲で、それをヴァイオリンの曲に編曲されたものを弓子は弾いているのでしょうが、ピアノ伴奏なしに無伴奏で弾くのはどうかなと思ってしまいます(例えば、宮本笑里氏の演奏はこちらで)。




★★☆☆☆




象のロケット:探偵はBARにいる2